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祈祷師アンゲラ/7話

【祈祷師アンゲラ~黒翼のワルキューレ~】
【7話/刻まれし痛み】

――37――

G……GROOOOOWL……」山の泉。粗服の乙女は、灰色の巨獣と対峙する。
(この距離じゃ逃げ切れない……できれば穏便に追い返したいものね……)
CLAP!CLAP!CLAP! 紫電を纏うアンゲラの、長い黒髪が宙に浮かぶ!

足元には、水の満たされたローラの天秤。担ぐのも一苦労の大きさである!
(これを武器にするのは厳しい……慎重に動くのよ……決して目を離さずに)
距離5メートルで、両者は睨み合う。アンゲラが退くと、狼が前進した。

G……GROOOOOWL……」狼はぜいぜいと息を切らし、唸り声を放った。
カツン。後退するアンゲラの踵に、自分の天秤が触れて音を立てる。
アンゲラは狼から視線を離さず、屈み込むと、天秤から水瓶を外した。

狼は苦しそうに喘ぎ、足元をふらつかせながら、ゆっくりと距離を詰める。
アンゲラが水瓶の一つを持ち上げると、こぼれた水が両手を濡らした。
SPAAAAARK! 水瓶の水がばら撒かれ、アンゲラの放電が爆音を上げる!

猛獣も逃げ出す超自然の暴威! しかし見よ! 狼はその場を動かない!
G……GROOOOOWL……」距離3メートル。狼がよろめき、立ち止まる。
アンゲラは当惑した。何か様子がおかしい。彼女の直感がそう告げていた。

G……GRO……」狼は大口を開いて牙を剥くと、ドサリとその場に倒れる。
アンゲラが真意を計りかねる中、狼は大地に臥せり、苦しげに息を荒げた。
狼が飛びかかる気配は無い。アンゲラは思考を巡らせ、双眸を細めた。

――38――

泉に静寂が戻り、こんこんと湧き出る水音と、鳥の鳴き声だけが響いた。
アンゲラはもう一つの水瓶を手に、警戒を怠らず、狼に慎重に歩み寄った。
GROOOOWL!」狼が上体をもたげ咆哮! しかし、直後に崩れ落ちる!

アンゲラが狼の間近に達し、彼の全身を観察した時、彼女は理由を悟った。
狼の横腹に、血の滴る銃創! 狼は深い傷に、力尽きようとしていた!
もはや立ち上がる気力すら無いが、狼はそれでも、威厳ある眼光で睨んだ。

アンゲラは睨み返し、思案した……しかし魂の囁きに抗えず、頭を振った。
G……GROOOOOWL!」自らの傍らに屈み込む少女に、狼が牙を剥く!
SPARK! 狼の鼻先に平手が翳され、放電! 狼は痙攣し、意識を失った。

手負いの巨獣。その灰色の密林めいた重厚な毛皮に、躊躇いがちに触れる。
今ならまだ間に合う。アンゲラは両の瞼を閉ざすと、翠色の燐光を強めた。
彼女の思考に暗黒と虚無が渦を巻き……彼女は狼の意識に『接続』する。

茂みの只中で、寝そべる母狼に群れる幼獣たち。群れの仲間と戯れる日々。
やがて彼は大きくなり、仲間と共に獲物を追う。倒した獲物を分かち合う。
別れの時。自らを産み落とした母親に追われ、荒野に放逐される子供たち。

若い狼たちの群れが、野を駆ける。眼前には、斜面に放牧された羊の群れ。
銃声が響く。羊飼いが銃を打ち鳴らし、狼たちは一頭また一頭と倒れ行く。
彼は誰よりも早く駆け、恐るべき銃撃から生き残り、そして孤独となった。

――39――

GROOOOWL! GROOOOOWL!」狼が激痛で失神から目覚め、咆哮!
横腹の銃創が血のあぶくを噴き、体内で潰れた銃弾が、押し戻されていく!
GRO……」再び失神! 体中に激痛が充満し、失神と覚醒を繰り返す!

群れを持たぬ狼が、山を駆け下る。背後を無数の狼が牙を剥き、追い縋る。
羊飼いの群れが銃を持ち、猟犬が藪に飛び込む! 一斉射撃が硝煙を噴く!
彼は無数の危機を乗り越え、敵を倒し、時には腐った死体すらも口にした。

GROOOOOWL!」狼が大口を開き、アンゲラの片腕に食らいついた!
激痛! 牙が肉を引き裂き、骨まで達する! しかしアンゲラは動かない!
GRO……」狼が痙攣して失神! 横腹の傷口から、銃弾がこぼれ落ちる!

そして彼の悪運は尽きた。眼帯の老人が、ヤーゲル銃を抱えて彼を追う。
老人は山に溶け込み、狼の足跡を辿り、どこまでもしつこく追跡を続けた。
「手前に恨みはねぇが……狼は殺すしかねぇのさ」BLAM! 迸る銃声!

最後の力を振り絞り、彼は藪に紛れて逃げた。いつだってそうしてきた。
身体に留まる銃弾が、彼の生命力を蝕み続ける。彼は苦痛に耐え、歩いた。
朝靄の泉を包む黄昏の中、彼は倒れた。眼前には一糸纏わぬ、刺青の少女。

GROOOOOWL!」狼が激しく跳躍! アンゲラから素早く飛び離れる!
アンゲラは苦痛に眉根を寄せ、笑った。片腕は、殆ど千切れかけていた。
GRO……GRO……」狼は暫し牙を剥いて唸ると、やがて藪の中に姿を消す。

――40――

静寂が戻った。藪の中から、三人の黒服が顔を出し、注意深く周囲を窺う。
体格の良いローラ。恰幅の良いフィアナ。背の低いツェツィエリャ。
「消えた。もう大丈夫」フィアナが翠色の燐光を放ち、耳を澄まして頷く。

「あの新入り、死んだかな?」「どうだかねェ」「食われてたらウケる!」
三人の乙女たちは、恐ろしげに周囲を見回しながら、泉を目指して歩く。
「……見てッ!」フィアナの指差す先、跪いてうずくまるアンゲラの姿。

ローラは二人と顔を見合わせると、ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべた。
「おーい新入り! 平気か! 水はしっかりくんでおいただろうな!」
返事は無かった。アンゲラは片腕を押さえて跪いたまま、微動だにしない。

「おい、先輩が聞いてんだろうが! 何とか言ったらどうなんだ、よッ!」
BASH! ローラの大きな手がアンゲラを叩き、前のめりに押し飛ばした。
GNAW! 水音めいた嫌な音と共に……アンゲラの左腕が、転がり落ちた。

「「「あッ……」」」三人は言葉を失って立ち尽くす中、流血が広がる。
「うッ……ぐぅッ……」アンゲラは奥歯を噛み締め、左腕を押さえ苦悶した。
治癒の祈祷も効果は無い。祈祷師は、自分自身の負傷を治せないのだ!

「キャアアア! ローラ!」「ヒッ!? 違ッあたしじゃ……ゲボーッ!」
フィアナが叫び、ローラが嘔吐! アンゲラは芋虫めいてのたうつ!
混乱の最中、ツェツィが無言で舌打ち! 素早くアンゲラに駆け寄った!

――41――

(駄目よ……私に触れては……私に触れては、いけない……危、険だわ……)
「うるさいわね。少し黙ってなさい!」ツェツィは毒づき、ハッとした。
伸ばした手が凍りつく。今の言葉……直接、頭の中に語りかけてきた?

「クソックソックソッ! 念話、だから何? 新入りのくせに生意気な!」
ツェツィは小さな身体を怒りに震わせ、アンゲラの左腕を乱暴に掴み取る。
ゾクリ。ツェツィの身体に悪寒が走り、視界が万華鏡めいて乱反射した。

「ツェツィ、やめとけって!」「放っといて、私たちだけで帰ろうよ!」
「オ……オゴッ! クソッ、私だってやればできる……舐めるなよッ……!」
ツェツィ、聞く耳持たず! 吐き気を堪え、アンゲラの身体に手を伸ばす!

アンゲラに触れた瞬間、ツェツィの精神に『何か』が濁流めいて流れ込む!
WOOOOOBLE!
 全音階の狂鳴! 方向感覚消失! 無限遠の虹色世界!
「オゴッ……ゲボ――ッ!」ツェツィは嘔吐しつつも、偏執狂めいて祈祷!

「キャアアア! ツェツィ!」「ツェツィエリャ! 今すぐ手を離せ!」
異変を察したローラが手を伸ばし、ツェツィを引き離そうと掴みかかる!
強制精神接続!「ゲボ――ッ!」ローラは白目を剥き、嘔吐して泡を吹く!

「キャアアア! ローラ!」フィアナの眼前でローラが痙攣、硬直し卒倒!
「大変! 心臓が停まってるわ!」フィアナは半泣きで心臓マッサージ!
翠色の燐光が乱舞! ツェツィは胃液を吐きながら、治癒祈祷を続行する!

――42――

「見たまえ! これはクウォイラ人の伝承……胸に聖痕の刻まれし赤子!
神童が生まれたぞ!」「救世主の到来だ!」「生まれついての祈祷師!」
天高く掲げられる、血塗れの赤子! 周囲の大人が瞳をぎらつかせる!

「ギャア―――――ッ!?」アンゲラ、1歳の時。祭壇に流れる夥しい血。
満ち溢れる翠色の燐光! 高位の祈祷師たちが円陣を組み、祈りを捧げる!
狂気! 寝台に縛られた幼子! その身に『祝福の刻印』が刻まれていく!

7歳のアンゲラと、首を切られた鶏! 翠色の燐光が消え、鶏が事切れる!
「駄目だ、駄目だ、駄目だ! 初めからやり直せ! 手抜きは許さんぞ!」
WHOMP! 教範役の祈祷師が殴打! アンゲラは痣塗れで床に転がる!

(何よ、これ……あたしは何を見てるッての? これが、あいつ……!?)
「お前は神童なのだ!」「もう殴らないで!」「一族の救世主なのだ!」
殴打、罵倒、そして殴打! 常軌を逸する光景に、ツェツィは震え上がる!

「何が神童だ、この出来損ないグワーッ!?」SPAAAAARK! 迸る紫電!
黒焦げで倒れる祈祷師! アンゲラは泣きながら奥歯を噛み、拳を握る!
アンゲラ、10歳の時。内に秘めた苦痛と怨念が、雷の力を目覚めさせた!

14歳の朝。国立祈祷師学校の入学を迎え、生まれ育った村を出ていく日。
期待と羨望。憎悪と恐怖。様々な思念に満ちた目を、アンゲラは睨み返す。
「私は救世主なんかじゃない……あんたらの思い通りには、ならない!」


【祈祷師アンゲラ~黒翼のワルキューレ~】
【7話/刻まれし痛み 終わり……次回に続く】

From: slaughtercult
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