Indivisualistは没個性化する

他人と異なろうとする人々は逆に個性を失っている場合が多い。

わかりやすい例が大学とかにいる「意識高い系」。彼らはそこらへんの人のぼーっとしてる人とは違うことをしたいという思いの強さは感じるが、やってることはイベントだの、勉強会だの皆似たり寄ったりだ。そういうことを嬉々としてやってる人々は、そういった行動を起こしたことについて「普通の大学生がやらないことをした」と仲間内で評価したがる傾向がある。だが、端からみるとその仲間たちとその人はひどく同質化した存在だ。

若くてして成功した起業家というのも良い例にみえる。俺はそこらへんの奴にはならない、ビックになる!って感じで、お金を手にしても、高級マンションに住むなり、暖炉買ったり等、結局他の成功した人々と同じような生活に行き着いている人が多い。

結局、他人と違った存在になろうという目的だけが強いと、同じような思いを持ってる人と似てしまうってことなのだろう。別に、お金持って裕福に暮らしたいと思うだけなら、実際に成功した人を真似ればいいんだろうけど、それよりも他人と異なろうとすることを大切にするんだったら、まず成功したいとか、他人に認められたいとかという気持ちを捨てることから始めるべきではないか?

他の人には理解されないけど、自分はこれが好きとか、これやってる時が幸せみたいなオタク的な気質を持っていないといけない。自分の身体から感じていることを軸にしないと、他人からの評価にすぐながされ、その評価を得るための行動に走ってしまう。自分の感性に徹底的に賭けた人のみが、他の人には成し得ないことを成す権利が与えられるのだろう。

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