人は恋愛から論理の貧弱さを学ぶ

恋愛というのは能天気な人ほどうまくいっている、むしろ頭を使いすぎるとうまくいかないといった印象を皆持っていると思う。なぜ恋愛に論理的な思考で立ち向かえないのか、これを考察することで論理の限界が見えてくる。

論理的な思考は、問いを立てることから始まる。恋愛においてよく立てられる問いというのは、「彼女は僕のことが好きなのだろうか?」であろう。そして問いを立てた後、解に正しい論理でたどり着くために、その根拠となり得るデータを集める。ここが最も難関、というか恋愛において一歩を踏み出せない人はここで行き詰まっている。彼女とよく目が合う、これはたまたまなのか、相手から自分への好意ゆえなのか、ただ自分が相手を眺めてることが多いだけなのか、意識し過ぎなだけなのか... 
根拠を集めてみても、そのデータの信用度は如何程か、どれだけの確からしさがあるのか、正しい結論がわからない状況で正しくデータを解釈することはとても難しい。

さらに、もっと根本的に考えなければならないのは「問いの立て方は正しいか」だ。そもそもギャルゲーみたいに、相手の好感度が上がれば良い結果が得られるとは限らない。付き合うことが目的ならば、「相手が自分のことを好きか」を考えるよりも、「如何にして断られにくいような告白にもっていくか」を考えるべきなのかもしれない。相手に何を求めたいかによっても、問いの立て方というのは変わってくるものなのだろう。ここで適切な問いが立てられないと、答えのない問いに延々と悩み続け、何も踏み出せなくなってしまう。

主張や意見というのは、その筋道が正しければ正論と言われ支持されることが多いのだが、そもそもの問いの立て方であったりとか、データの解釈の仕方がずれてることって結構多いと思う。真実がわからず、失敗したら痛い目をみる恋愛においては皆慎重になるのに、ツイッターとかで誰かの意見に賛同したり、批判したりするときは、直感的に自分の感じた答えに対してテキトーに根拠を持ってきてそれをネットに吐き捨てるってことが多いのではないだろうか。

まあ、結局僕たちもわかっているんですけどね、あれこれ語る前に自分でやれって、実行しなきゃ何も起こらないって。でも、これを書こうと思ったきっかけは、恋愛ゲーム『アマガミ』を買ったからなんですよね...

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