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神の箱から気づいた「自分が望むこと」ってたくさんあったってこと

あいも変わらず、トーシャ・シルバーさんの本をちょいちょい読んでいる。
読み返している、っていうほうが正しいかな。

その中のワークの一つに「神の箱」っていうのがあって。
「自分が望むことを紙に書いて、神様に投函する(ポストのようなもん)」ってやつなんだけど。


最近、メキシコの友達と話す機会があって。
その方は、この「神の箱」を実践なさってたんだよね。

私はやっていなかったんだけど、最近、紅茶の缶が空いたから私もやってみようと一昨日、やりはじめたんだ。


最初はね、お金のこと…本当に生活費レベルのことなんだけど。
その願いを書き込んで投函したんだよね。

あ、この「神の箱」。
別にこれをすると叶うってわけではなくて、その願いに囚われにくくなるよっていう話なんだ。
願いに囚われると視野が狭くなると同時に、叶わない時に焦りの感情が生まれてしまう。
その負のエネルギーがいろいろ悪さをするって話で。



でね



今日、いろんな作業をしていたらね。
その箱に投函したいことがたくさん出てきたんだよね。

あんまり、自分の望みや願いっていうものを持たない人間だと自分のことを思っていたんだけど。
でも、自分が望むことって案外たくさんあるなって。気づいたんだ。

それは…何か物理的なものがほしいっていうものではなく。
静かな幸せがおとずれますようにとか、好きな人と寄り添っていけますように、とか。
なんていうか、些細なものだったんだよね。

お金もすごいたくさん欲しいってわけではなく。
せめて人に迷惑をかけないレベルのお金や、今、頼ってしまっているお金が返せますように…みたいな話でさ。


なんていうか、私は…
静かな幸せを欲しているんだなって気づいたの。
ただ、それだけなんだけどね。


でもね。
何を望んで、何を感じて生きているかを自分で知ることって本当に大切なことだと思うの。
そこに目的があるというか…こうありたいと願う先が分かることって、生きる力に直結する。


生きる力。
そうだね、生きる力だ。

今打っていてすごく、感じた。
多分、健やかに生きて、毎日をそこにいたいという原初的な願いを持つことは本当に大切なことだと思う。


今生きていること。
今誰かと話しができること。

そういった、少しの幸せを感じることができるから、人は生きることができる。
何か、自分の心が輝くような…ときめきを感じられる。


だから、自分が生きる意味を感じられることは大切なんだと思うんだ。


自分の人生の、小さな幸せを噛みしめろ、とか。
自分が恵まれていることを実感して、とか。
そういう、乱暴的な話ではなくて。


ただ、今生きている中で…感じる…ほんの些細なこと。
そういったものを大切にしていきたいなって思うの。


という。
神の箱から感じた願いや、幸せについてでした。

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