発達障害のアレソレ……。

今ではグレーゾーンや大人の発達障害とかなんだか色々な逃げ道を轢かれて色々な病気を新しく造られ専門家も総じて言葉が上手く伝える事が出来ない故にわがままで組織に逆らい独裁的で傲慢で子供……と中々に日本で辛辣な扱いを受けて理解されずに居る発達障害者の真っ黒黒な当事者であるが、組織的な世界から逃げずに向き合った32年、少数派で生きた事で視える事もあるのだという事を私はここに記す。

因みに私はその解釈に対して「もっともな意見だ」と純粋な日本人として思うし「どちらが善か悪か根底を覆すと組織が壊れるから向き合いたくない変わりたくない」と同調圧力の組織構造に我慢して耐えて働いてきた人が居ることも「誰かこの世界変えてくれ」と思う人が居ることも知っている。(因みに日本人と言うカテゴリーにも様々なタイプが居るので頭が固い人は沢山の人間と議論してみると良い)

ずっと好きな物や嫌いな物を忘れないし捨てれない……物は散らかし放題オモチャ箱の様な小さな子供部屋に生きている、記憶の断捨離にも同じ事が言える。

子供や時には猫の様に純粋に楽しく好きな物を愛で続けて居たいが向き合わなければいけない親や他人やリアルは何処にだって存在しているのを皆忘れてしまっている様だ。

私は決して護られてチヤホヤされて来た存在では無い、自分の加害的な一面や汚い一面、忘れ去りたい恐怖を記憶の再起や夢で繰り返し繰り返し自ら突きつけて生きてきた。

死の概念を覚えた日から

一秒先にあるのは恐ろしく悲惨で苦痛にまみれた死がある、と夢の境地ですらそれを突き付けてくるし常にストレス負荷をかけられて常に変わることを強要される。

因みに私は34歳になった今でも“好き”は少数派だが二次元や腐女子やネットの交流の文化を上手く可愛がって愛してくれる人が沢山いる為にそれに関しては少数派にも楽園はあると思っている。(因みにアラシックでもあるのでその軌跡を辿ると組織の重要性や個々を大事にする人々がどういう存在であるかも理解出来るようになる。)

自分がADHDでASDで……という意味では私は真っ黒黒な訳だが32歳を迎えるまでそれに気付かなかった。

産まれてからここに行き着くまで鬱病やPTSD的な恐怖、卵巣嚢腫(奇形腫)、自律神経失調症、頭痛、胃痛、鼻血、爪噛み、自傷癖、浪費、孤立、夢遊病、振戦、愛着障害、表情は読み取りにくく言葉は汲み取られにくく他者が誤解を生じる嵐……かなり様々な二次的な症状を沢山兼ね揃えている(笑)

発達障害を日本はかなり悪として見てきた故に親も祖父母も周りも、そもそも健常者であろうとする人間が少数派の敵が多い環境に愛する子供を置きたいと誰もかれも思う筈がない故に気付かれずに居た、と綺麗な言葉で納得させてもいいが現実はそうじゃない。

異常、異端、変、恐い、わがまま、違う、正せない、縛れない、忘れたくても突き付ける、更に周りからの攻撃に弱く脆い、要らない、でも大事、もう見たくない、でも居る

と、家族や周りは思った事だろう

“個性的”と言う言葉で片付けられてきた

日本では個性なんて出る杭であるのに……常に打たれるだけである。

神経過敏症状や脳の暴走なのか一生懸命生きている弊害という事なのか外的要因が生じる事で二次的な病気や症状を発症する事が多発するがインフルエンザやおたふく風邪と言った流行り病の症状を医者が「そうかもしれない」で片付けてきた……そんなもんなんだろうか……

痛みや苦しみを少し我慢しろとも言われた、話が通じないし症状もうまく伝えられないし信じても精神的なもので片付けてくるのでかなり困る……常に仮病扱いだ(笑)

実際私の脳は恐らく特殊なので神経過敏だったり他の原因から意識を反らしたいのだと思う。

自分は加害的な一面もあるが知識が無く解らない事で正義感や好奇心を履き違え全力で振り切り命を奪わなくて済んで本当に良かったと思う。力過激やブレーキを間違えて大変な事になる前に気付けて良かった……先人達の努力のお陰である……。

スイッチが切れると冬眠したかのように眠り家に居る時間が多く人とあまり深く関わらない様にしている、全力で不幸を回避したい(笑)

集中力に欠ける私が免許を持っていた事実は非常に恐ろしい(しかし居眠りの自損事故だけで金を貫いた、今は運転しなくて良い環境だが地元に帰ったら車を持たなければ生きていけない現実もある)

起きていると常に過去のアレソレをうまく断捨離する事が出来なかった故に幸せな感情より辛く苦しく不幸な感情に取り憑かれる。

私は女なのでホルモンに左右されることも多く常に頭痛や身体の痛みに苛まれる。

視覚聴覚嗅覚……どれも大事だと神経をフル活用し過ぎて異常に集中する時と何も手に付かない事が多い。

ライブ会場とかあんなに大きな音声なので他の声が一つも聞こえなくなる、テレビの音声も外的要因から声やBGMが聞き取れなくなるので好きなアニメや好きな漫画、可愛い猫が居ても集中できなくなって頭がぐちゃぐちゃになるし好きな音楽をずっと繰り返し聴いていると突然飽きたりするのだ。それに関してはいつかまた再熱する為にその思い出も棄てられない。

何を言葉にしたいのか解らなくなってきた……しかしそういう人間が多数決においてノーを出した時に組織の人間は困るだろう、だから他の誰にも迷惑をかけないところに配置するべきなのだ。

危ないなら護れば良いしもう既に未来を予測出来る人間は沢山いるのにその存在を抜け落とす意味は社会にまだ必要だからではないのか?

大多数の人間が右を向いているから左と言うが理由が無い訳じゃない。

その意見はかなり間違っているかもしれない、でも何が善で何が悪か本当に解っている人がいるならコロナや伝染病なんて直ぐに打ち勝てる筈じゃないのか??

見て解りにくいと思えば伝える事がうまい人間は沢山居るので変わりに伝えてくれたら良い話なんじゃないのか?


今私はふとエヴァンゲリオンの「おめでとう」と主役の役割を終えて世界に祝福される碇シンジの笑顔を思い出した。

あれは、意味が解らないから随分悪く言われたが実は誠に利に叶っているのかもしれない。

私は名も無き脇役で良いので早く誰か荷をおろして欲しい、しかしそれは苦しみ取り残され恐怖に怯えこれから戦う為の最後だったり闇を闇と理解するラストじゃ何も報われないのだ。

終わろうと思った時に誰かが手を差し伸べて助けてくれた意味を考える、ずっと生きることの理由を考え死と向き合って来た人間が書き記す言葉だ。

皆が笑って無いと私は悲しいし好きな物も何処が良くて苦手な物は何処が苦手か、理解して貰えるまで本当は向き合いたいのだが、人の寿命は遥かに短い

私の好きな世界の寿命もまた短い

天才が居るなら

どうか私と私の好きな世界を護って欲しい。

私の神様は沢山の苦痛も与えるが沢山の奇跡を魅せてくれた、知ってる人や関わる人、皆に幸せになって欲しい。


と、考えてまた一秒先には違うことを考える様な生物が発達障害と言う(※沢山の偉人や先人が繋いで護ってきた先の1個体なので個人差はあるぞ、私の選びたい世界に過ぎない)


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