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記録#9

只の自称自殺未遂記録や自傷記録。
グロくないけど嫌な人は読むの止めたほうがいいかも。








初めてのリストカットは14歳頃から始まりました。
いじめが辛くて辛くてテレビで見た手首を切ったら死ぬみたいなのを真似して、恐る恐る切ったのを覚えています。
なんだ、全然痛くないし死ねないじゃんって思ったけど、私は此処から色々な自傷行為が加速していきました。

私の左腕は10年以上経った今でもボロボロです。手首から肘より手前まで。
手の甲側、手の平側と妙に几帳面に真っ直ぐに傷跡があります。
でも全部ためらい傷で縫ったのは一度だけ。

その後くらいに私は『南条あや』という人物に出会います。
彼女の日記を全て読み、本も買って、周りは大体みんなその人を知っていました。でも私がその人を見つけたのは彼女がこの世から去ってからです。

そういう人やモノに出会い、私の自傷行為は更に加速していくことになりました。

先ずは根性焼き。根性なんて大層なものは要らなかったけど当時の彼氏さんと5回焼いてみました。

次に瀉血。これは怖かったので一度しかやってないけど、注射針で自分の血を抜くというもの。やりたがる癖に、怖がり。

後はOD。定番ですよね。その当時は寝る前の薬が23錠も出ていて、もう選び放題みたいな感じでした。バルビツール酸系睡眠薬だけは貰えなかったけど。当時お酒とかぜ薬とで飲んだら吐いちゃって、それ以来レモンチューハイが飲めません。
最初は10錠足りなくなったら20錠、そして30錠、40錠と次第に上がっていきました。お小遣いはかぜ薬と鼻炎薬に変わり、精神科では主に強い薬を並べるだけ並べて貰ってくる始末。
最終的に救急車で運ばれましたが、あの時痰が肺に行くと死にますって言われてたらしい。
そしてOD癖は一旦鳴りを潜めるのだけど、今でもたまにやってしまう時があります。多分唯一続けてるのがODだと思います。

そして援○交際。初めてもそれで、14歳のときでした。
なんか捨てなきゃ駄目なものみたいになってて、捨てたのを覚えてます。
それは結構続けていたと思います。

これは関係ないですが、精神を病んでる子が家に泊まりに来た時にたまたま私のナイフを見ちゃって目の前でリスカしようとしたので、そんな姿見たくないしやるなら私の手でやってよって言うと本当にやられました。
手の甲に大きな✕印。片方は消えたけどもう片方の線はまだ残ってます。

​後は自殺未遂でもなんでもない未遂ですね。
当時団地に住んでいて、一番上の5階からちょっと足りないだろうけどいけるかなと思って柵を乗り越えられないので本を積み上げ越えようとしました。
本当の走馬灯じゃないと思うけど、色んな思い出が二重にも三重にも重なって、そして怖くて号泣しながら飛ぶことは出来ませんでした。
そして上記で書いた、ODで救急車に運ばれたこと。
後はドアノブで吊ろうと思って用意までしたのに、いざ首にかけてみるとやっぱり怖くて、苦しいし止めました。

こうやって自分の事を改めて書き連ねてると本当に勇気がないんだなと思います。

リストカットには主に、カッター、メス(当時東急ハンズで売っていたらしいもの)、デザインカッター。貝印のカミソリは苦手でした。

もしリストカットをしようと思っている人は、するなとは言わないけど傷跡のことを考えてやるかやらないかを決めた方がいいかもです。
開き直って半袖を着た時期もありましたが、今では年中長袖なので。

今覚えてるのはこれくらいかな。
下らない馬鹿げた記録かもしれないけど、読んでくれたならありがとう。


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