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あれから12年。

わたしは東北に住んでいるので、3月になると、あ。。あれからもう12年か。と、TVの特集を観て今年も思う。

昨年は11年、
今年は12年。
当たり前だけど、過ぎゆく月日の速さは、例えて言うなら、
ゆっくり歩いているのに、流れる景色は新幹線🚄❗️的な。

2011年、2月23日に故郷の母が天国に旅立った。
家族で実家に戻り(敦賀市)葬儀を終えて数日後仙台に戻ってきた。覚悟はしていたけれど、喪失感諸々、こころに穴が空いた感覚が続いていた。

3月11日の午前中、わたしはヨガ教室に行った。
他に生徒さんは居なくて、先生と(当時、仲良しのマキちゃん)と、ふたりヨガだった。
終わったあと、普段は帰るのに、その日は何故かずっと2人で話しをしてた。

生と死のこと。
深い内容だった。
手放すってどういうことだろうね。
手放すって、究極は天命を全うして向こう側に行くとき、生を手放す。
とか、
なんだかそういう人生観みたいなものを、本気モードで、ずっと話していた。

ふと、窓の外を見ると
3月なのに雪が舞っていた。
街中の道路は車で混んでいた。

この車たちの中には人が乗っていて、大切な命があって、
ひとりひとりに大切な人生があって、私も、皆んなも、
いま懸命に生きている。
と、ぼんやり思いつつ、
何故か、
それがとてもとても哀しく感じていた。(今から思えば特別な感じだったから、無意識に何かを感じていたように思う)。


13時になって、
ああ、お昼過ぎたね。
家に帰らないと、15時から用事あるから、じゃあね。
ってスタジオを出た。

自宅に着いて、いろいろ準備していたら、14時46分に震災が来た。

もの凄く、長い時間揺れていた。
とても不気味な音が、外でぐわんぐわん鳴っていて、
足の下は、巨大なローラーが、グルングルン廻っているようだった。

リビングにある水槽から、水が激しく溢れて(90センチ水槽は揺れ始めて直ぐに重いテーブルを寄せて押さえ、60センチ水槽は手で押さえた。)
びしょ濡れながら、少し揺れが緩んだ時にコンセントを抜き、
それからまた大揺れが来て、ひたすら止むのを待ったけど、止む気配が無くて、だんだん腹が立ってきた。
地面に向かって、いい加減にしろ!とか、止みなさい!!とか叫んでいたっけ。(⌒-⌒; )
(後ほど息子に、ママの声がうるさかったと言われた😅)それくらい止まない揺れに怒りが湧いてきていた。

記憶はその辺から曖昧になっている。

大揺れが収まった後、
床をタオルケットやバスタオルで拭きまくったこと、

電池を求めて、コンビニやスーパーに行ったが、もう閉じていたこと。

近所の時計屋さんのおじさんが、必要なだけの電池をくれたこと。(感謝)

テレビが倒れて壊れたのと、停電で情報がわからない。
震災は中心部に居るほど情報が分からない事を初めて経験した。
何もわからないけど、何か大変なことになったのは分かった。

買い置きのペットボトルが6本しか無くて、この水で家族4人とおじいちゃん入れると5人でどれくらい持つかな。。と、一瞬考えたこと。

ストーブを焚いて雑炊を作ったこと。

懐中電灯の灯りで夫の帰りを待ったこと。いつ帰ってきたのか思い出せないけど、無事に帰ってきて、その日は家族皆んなで、一緒に眠った。

姉と連絡取れたのもいつか思い出せないこと。

友人からの電話に「星空が綺麗で。」と答えたこと。

夜中に神戸の友人から気仙沼が燃えてると聞いて、その意味がわからなかったこと。

津波のことは家族が携帯から情報を得ていたが、わたしの脳はそれを受け付けず、何が起きたかがまるで理解できなかったこと。

次の日だったか数日後か曖昧だけど、友だちと連絡取り合って食料を頂いたり、分けたりして、共に助け合ったこと。

ぼんやりしながら懸命だったこと。

星空が美しくて、街中なのに夜は漆黒の闇だったこと。
おそろしく寒かったこと。

2週間前の母の死が、とても遠い昔のようになったこと。


考えられない体験をすると、人は今までの価値観や何かが大きく変わるんだと思う。(これは個人差があると思う)
わたしの場合は、
何が大切なのか、
これからどうやって生きていきたいか、が、大きかったように思う。

今まで大切だと信じていたものが色褪せてしまうのと同時に、
違う価値観を得たように感じる。

ひとの温かさ、思いやり、愛、いっぱいあった。
体験した。目撃した。
心の何処かが開いた。
明確化された。揺さぶられた。

不思議なことに、郵便が復帰すると同時に、あちこちからフラワーエッセンスがどんどん届いた。
私はフラワーエッセンスの中継場のようになり、必要な人にレスキューや助けになるフォーミュラをどんどん手渡す係になった。
多くの人がエッセンスを受け取ってくれた。この体験は、今後の大きな自分の道の橋になった。


💐
さっき観たTVで、
震災後の映画を作った監督さんの言葉が印象に残った。
「生きているだけでいいんだよ!それだけであなたには価値があるんだよ!それを伝えたくて映画を作った」と言っていた。

それを聞いて、
うん。
わたしも、それを伝えたくて
これからもフラワーエッセンスと共に、占星術とアートセラピーと共に、生きたいな。って思った。

💐

なんだかごちゃごちゃといっぱい書いたけど、
生きることをやめない。
絶望の裏には希望が必ずある、と信じたい。信じている。


いま世界は痛みに溢れている。
だけど僕らは信じてる。
愛だけが全てを導くたったひとつの光だと。
僕たちが、生まれてきた、
その意味をいつか、知るときまで。*

わたしの大切な友だち↑
岡倉ゆかりさんの歌う「約束の日」
(作詞、作曲、中原楡さん)

10年前に、栃木に行って録画したものです。
宜しければ
是非、聴いて観てみてください。❤️🎵

明日も良い日に。







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