『屋上の深海』
これはワタシの話。
埼玉で商売をやっている親戚がいて、子供の頃、頻繁に家族で遊びに行った。
母の兄にあたる叔父さんは3階建ての自社ビルを持つほど成功していて、1階がお店兼リビングで、2階から上が住まい。何よりも屋上があったことが珍しく、遊びに行くとワタシは必ず屋上に行ったものだ。
叔父さんは兎に角、熱帯魚が好きだった。子供がいない分、魚に愛情を注いでいるんだと自虐的に笑って話していた。家のいたるところに水槽があった。どれも几帳面に管理されていて、子供心にも美しいと感じていた。
ところが、なぜだか屋上にある巨大な水槽は掃除をされた形跡がなく、ガラス面に黒緑の藻がびっしりと付着していて、中が見えないほど水も黒く濁っていた。
叔父さんは幼いワタシを屋上に連れて行ってはくれるが、その水槽に近付けようとは決してしなかった。何となく、それを意識して見ないようにしているのが感じられた。
小学校3年生の頃、父と叔父さんが2人で近所のスナックにカラオケをしに行くと出掛けた。土曜の夜、泊まって明日の昼頃帰ればいいだろうと酒を大いに飲んだ勢いからだろう。
ワタシは気になって仕方なかった屋上の水槽を確かめるのは今しかないと思い立ち、叔母さんから懐中電灯を借りて一人で屋上に上がった。
秋雨が静かに降る、夜10時。屋上に出て、懐中電灯の明かりを水槽に当てた時、
巨大な眼と、ギザギザの歯を持った、見たことも無い魚と目が合った。
それは一瞬のことで、すぐさま魚の眼は水槽のガラスから離れ、漆黒の水の中に消えてしまった。
図鑑にも載っていない、その深海魚みたいな奇妙な魚のことは、叔父さんに聞きそびれたまま現在に至る。
冠婚葬祭の席で会うたびに聞こうと思うのだが、その勇気が、ワタシには無い。
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