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【推し活】同担拒否

私は基本、同担拒否はしない。アラフィフ女子がそれをして何のメリットもないのもいえるが、推しに関してリアルの友達と出会ったからだと思う。

同担拒否(どうたんきょひ)とは、おたく用語で、同じ対象を応援する他のファン(愛好家、同担)と交流を持ちたくないという姿勢を指す。逆に同じ対象を応援する他のファンと積極的に交流しようとする姿勢は「同担歓迎」という。

Wikipediaより

若い頃だったら、多分同担拒否はしたかもしれません。推しに対してガチ恋リアコのスタンスだったら、選択肢として考えたかも。でも、それは自分の性格上出来ないとわかってるから、選ばなかっただけ。


アラフィフ女子の付き合い方

アラフィフになると、世代的に友達と交流をするのが常識で、学校でも会社でも「友だちを作るのが当たり前」という環境だった。歌の歌詞にもあるように『友達100人できるかな』が当然で、ひとりで行動するのがかわいそうだと認定されていたのだ。

私の場合は、この環境が土台を作っていたのもあったせいか、『ご縁があれば』というスタンスで交流していた。推しが一緒の友達に出会えたのは、もともとオフでのイベントだったし、一緒に話しても嫌な感情はなかったから。それに無理に頑張らなくても付き合える間柄だと感じたから。多分、彼女たちの人柄によるものだと思っている。

『おひとりさま』女子

しかし、近年は『どんな形であれ友達がたくさんいることがいいこと』という価値観から『面倒なら付き合う必要はない、ひとりでも大丈夫』という『おひとりさま』という考え方が普及した。この考え方って、女性の生き方にもつながっているのではないかと思っている。

私はこういう生き方って、意外と刺激がないんじゃないだろうかと思っている。友達を通じて新しい考え方も得られるし、自分の凝り固まった考え方から脱却できると感じているからだ。
「くーさんって結婚してるの?」
そんなことをよく聞かれるが、多分『アラフィフ女子は結婚している』という思い込みが前提にあるからだ。しかし、「結婚してないよ、ずっとおひとりさま(笑)」というと納得してもらえた。結婚の有無でも付き合いは変わらないと思っているからだ。むしろ、知らなくても生きていける。

女子の付き合い方

幼少の頃から学生の頃までは、ベタベタした付き合いが当たり前だと思っていた。しかし、大人になってからはそのような付き合い方は出来なくなった。結婚や出産などのライフステージが当たり前のように変わるからだ。当然、会話の材料もパートナーや子供のことがメインとして変わってしまう。それに対して受け入れられなくなった途端、一緒でいられないと思い始めるのだ。

多分、同担拒否をしている人は日常の付き合い方で傷ついたり、嫌な思いをした経験があったからじゃないかなって感じている。ライフステージが変わるのは20代後半~30代が多く、いろんな形で比較対象が生まれてしまう。結婚やパートナー、子どもの有無、仕事の状況、収入……私もこの年代の頃は色々考えさせられた。しかし、これらは努力してもうまくいかないこともわかった。しかし、この年代の親世代(1950年代)は「努力は報われる」の価値観なので、そことのギャップに苦しむようになる。

私の場合

私の場合は「頑張れば、努力すれば報われる」で育った影響もあって、結婚も就職も頑張ればうまくいくと思っていた。しかし、それらは思うようにいかなかった。思うようにいかなくて、いろいろな本を読んだり、話を聞くようになった。それらを通じて、『頑張る必要はない』と気づいた。そして、常にフラットでいればうまくいくだろうと思い始めた。
だから、友達がいくつになっても出来るのはご縁だと思うようになったし、無理に頑張らなくてもよいと気づいた。

お陰様なのか、学生の頃よりも多くの人と付き合うことが出来た。オフでのイベントを通じて出会った友人や知り合いも増えた。基本はSNSでつながっているので、無理に頑張らずに上手に距離感をつかめばよいと思っている。リアルで出会えたら、最低限の挨拶ができればよいと思っている。

ただ、価値観というか考え方の不一致が起きた場合は、無理して付き合う必要はないと思っている。頑張っても努力しても、そこは変えることが出来ない事実だからだ。

そんなことを思っても、たまに同担拒否をしたくなる気持ちはわかるのです……

おまけ

たまたま検索したら出会ったのが、HoneyWorksの楽曲でもある『同担☆拒否』。歌詞を読んでいたら何となく分かるけど、ここまで生きてると『出来ること』と『出来ないこと』がはっきり分かれてるなと自覚。

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