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オーストラリア留学1週目2/22木〜25日

ジョギング、プール、カヌー、ジムでの筋トレ、自転車、海、暖かい気候、大きい家、大きいスーパー、フレンドリーな人たち、私の理想の生活がもうこの三日で叶っている。これから10ヶ月間ほどこの理想の生活が続けられると思うととてつもなく幸せだ。

しかし、イライラしてしまうのはなぜだろうか。

こんなに幸せな生活をしているのに、、、こんなに恵まれてるのに、、、今が人生で理想の生活ができている時なのに、、、

シェアハウスのオーナー夫婦はよくしてくれてるのに、妻の方の少し上からの態度にイラッとしてしまった。日本人だから下に見ているのではないかと思ってしまい、卑屈になってしまったのだ。

冷静に様子を見てみると、夫に対しても少し上からなので、その人の性格なのだろうと思う。

それでもイラッとしてしまう理由は、自分自身が日本人であることを西洋人に対して劣っていると思ってしまっているからなのかもしれない。それか、英語圏において流暢に英語を話せないことの不利さを感じているのかもしれない。後者は当たり前のことだが、少しでも前者の感情を持ってしまうことは辞めたい。

自分が日本人であることを西洋人に誇れるようになりたい。というか対等に思えるようになりたい。というか自分の中で人種で自分と相手を分けることを辞めたい。

でも、実際、日本でも海外に住む人、特にアメリカとかイギリスとかヨーロッパに住む人はすごく憧れの存在であるし、そう思っている人は日本人も少なくないはず。西洋人と対等だとみんな本当に思えるのだろうか。特にアメリカによって戦後再建された日本にすむ国民は、アメリカ人と対等だと思えるのだろうか。

少し話は変わるが、昨日、少しオーストラリアの人から見下されているような気がしたので、今日は対等になれるように、聞き取れなかった時にしっかりWhat did you say?と聞き返すことを意識した。そしたらしっかり相手も話してくれて、見下されてると思わなかった。自分の感覚的な話だと思うが、に対等になれた気がした。

まず、自分が境界線を引かないことが大事なのだと思う。そのためには、自分が同じ人として対等であることを意識して、及び腰にならないことが必要だ。それは決して、強く言い返すとか、そういうことではなくて、笑顔で、話している人と真正面に向き合って話すことだと思う。

私は日本でもそれができていなかったと思う。友だちの話を聞いてあげて、ただ、友達が返して欲しいような言葉をかけてあげて、大人びた良い人でいようとしていた。でも、それで友達と一緒にいるのが楽しくなく、毎回友達と遊びに行くのが嫌になってしまった。

確かに、人がして欲しいことをするのは、思いやりのある人と称賛されると思う。でも、それだけでは、自己犠牲すぎて、人生あまり楽しくない。バランスもとりながらだと思うが、自分の本音を言ってもいいし、相手の愚痴も聞くし、でも疲れた時は空気を読まず無言でもいい、美味しいものや楽しいことは共有できる、そんな自分が心から楽しめる人間関係を留学中に作りたいと思う。

まあ9割くらいは楽しいし、何も考えることもないし、最高なので、悩まず、深く考えずに10ヶ月の休暇を謳歌しようと思う。


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