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Sonny Boyの感想


※物語の流れに触れず、言葉を選ぶ際は万全を期しておりますが、稀にネタバレを含む場合がございます。お気をつけくださいませ。




わかりきらないまま、面白いまま、見終わってしまった。

四畳半神話大系を見ていたら、気づかずにおすすめを押してしまっていたのだろう。
Sonny Boyの1話目を、それと気づかずに見始めた。




意味がわからなかった。



何か違う物語を見始めていることに、あとで気づいた。わからないまま物語が当然のように進んでいくので、きちんと1話から見始めている自信がなかった。
何度も確認したが、シーズン1、エピソード1の表示は確かにあった。

わからないままなのに、何故か見てしまう。
いつの間にか見続けていて、いつの間にか自分自身も物語の一部になっていると錯覚するくらい引き込まれ、最終話まで見終えてしまった。



主人公の長良は、この世界(この"この"が何を指すかは、ぜひSonny Boyを見て知ってほしいので明示しない)で生きることを選んだけれど、私は、この、今自分が存在している(はず?の)世界で生きることを選んだわけではない。

だから、"そこそこ"大変な境遇でも、
変わらないままの世界でも、
選んだ未来で、選択した世界で、
生きていける長良が羨ましかった。

自身で選択したと言い切ることのできる長良を羨ましく思ったのだ。

(あと友達がいることも。大丈夫だと言ってくれる友達、自身の大丈夫な過去を共有し、知っていてくれる友達。)

その後すぐに、
もしかしたら私は忘れているだけで、
私が覚えていないだけで、
どこかでこの世界を選んだ過去があるのかもしれない。と持ち前の空想の力で考え直したのだが…。



それにしても長良はすごい。
強く、優しい。もともと備えていたのか、
漂流の過程で培われていった(人はそれを成長と呼ぶのか)のか、花開いたのか、
分からないが、改めて思い返すと、強く優しい主人公であった。

そして長良が元の世界に帰りたがる動機は最初から最後までわからなかった。

というか、物語が進むにつれてどんどんわからなくなった。
ずっと、とにかく、心から帰ることを目指していたことは態度や行動で伝わってきたけれど、その動機は何だったのだろう。

ラジダニの言うように、人生は果てしない徒労なのだろうか。

時間をかけて変容する、生と死という状態。
それが、この世界と、この世界では変わらないという考えを長良は理解していた。

それでも長良は帰りたがった。

長良はラジダニとは異なる考えを持っていたか、あるいは長良の気持ちを揺るがせることがない"何か"が存在したのだろうか。
(ストーリーのなかで明かされなかった動機を推測して書き記すのは、どうも不粋な気がしてならないけれど)

個人的な妄想だが、その"何か"に希が関係するのなら、片想いの人への気持ちに全振りしていた自分自身の中高生時代と重なる…。

そうなのだとしたら人間のエネルギーってすごいなぁと思うのだ。




わからない世界、世界のわからなさ、というかこの世界そのもの、生きることとか、物事の状態とか、なんかそういうもの、
この世界があって、存在があるということとか、不条理とか理不尽も、個人的なことも概念も、出会いと別れも、一瞬で通過していく関係も深い関わりも…

混沌で、全部そのまま、そういうことがすごく高度にそのまま、この今私たちが生きる世界のまま、謎なまま、面白いまま、表現されていた。

登場人物たちのセリフに何度もはっとさせられ、大切なことに改めて気づかされた。

それぞれの生き方や、表情や言葉から読み取れる感情に共感ができて愛着が持てた。

(個人的には特にラジダニ。
序盤から魅力たっぷりで(私も一緒に漂流していたらラジダニみたいな人を好きになってしまいそう)人ができすぎていたので、物語のどこかで、いつか別の顔が登場するのではないかと信用しないままヒヤヒヤしながら見続けた。)

生きるということは歪な何かになって、
自身の偏りに無感動になって、
最後にはぽっかりと歪な穴ができるということなのだろうか。

そしていつか時間に干されて、ただの形になるということなのだろうか。

確かに中庸の大切さを説いたアリストテレスも、めちゃくちゃに偏りのある人間かもしれない。とか思った。会ったことはないけど
(というか一人の人間が全く偏りもなく存在するのは無理。これは言いきれる気がする。)




世界の面白さとか、色々な人が色々な考えのもとに日々状態を変えながら生きていることとか、こんなアニメをつくっちゃう、つくれちゃう人々がいることとか、そんな人々がいる国に生まれたこととか、たくさんのことに思いを馳せた。(音楽もとても好みだった。)


と思ってるけど、なんかもう、それもなんか違うかも。

でも今、そう思う。そういう意識が生じて、なんとか言語化しようとして、今書いてみている。



わからないまま物語が進んでいく。
私もわからないまま生きている。

感情も意識も確かではない。
確実に存在し続けることはできない。

(無意味だからこそ、
その時その人にしかないからこそ、
それは尊いとラジダニは言っていたけれど、
それだけで無条件に尊いと言ってしまって良いのか個人的には疑問が残る。)


物語というのは、どうしてこうも終わってしまうのが悲しいのだろう。

人と感想を語り合いたいような、今この時のように一人っきりで余韻に浸って何か言葉にしたいような、そんなことして見終わった後の自分を塗り替えてしまうのが怖いような勿体ないような、その全てを少しもしたくないような気持ちだ。

今宵はとてつもなく大きな広大な宇宙を抱えて、自分自身に広がる宇宙も抱えて、眠りにつけそうだ。

切なくて、爽快で、いじらしい



【参考URL】
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https://watch.amazon.co.jp/detail?gti=amzn1.dv.gti.76ad9863-f79b-4e64-9889-3c24492a55c0&ref_=atv_dp_share_seas&r=web



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