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自由に生きるためのヒント

その青年は言う。

「人生において必要なのは実際の強さより強いと感じる心だ。一度は自分を試すこと。一度は太古の人間のような環境に身を置くこと。自分の頭と手しか頼れない。過酷な状況に一人で立ち向かうこと。」

そして彼は旅に出る。アラスカの大自然の中で、たった一人で生きてみることを夢見て。彼が自分を試したかったのは、なにを確かめるためだったのか。

「自分」とは何か

映画『イントゥ・ザ・ワイルド』を数年ぶりに見た。

以前、初めてこの映画を見たとき強烈に惹かれるものがあって、原作のノンフィクション『荒野へ』を読んだ。恵まれた環境に生まれ育ったように見える青年が抱えていた苦悩、アラスカへ向かう旅の途中で出会った人たちの証言、彼が残した日記や写真など、事実を追って書かれている。

お金や物質に支配された社会や、置かれた境遇の複雑さに見失ってしまった“自分“とは何者であるのか。それらを全て捨てた時に初めて見えてくる“自分“があるのではないか。彼はそれを探しに旅にでたのかもしれない。当時の私は、そんな印象を抱いていた。

彼の行動を「思春期特有の自分探しだ」と言う人たちもいるが、果たしてそうか。

人は誰しもわからなくなる瞬間があるのではないだろうか。自分が思っている“自分“が本当の姿なのか、他人が見ている“自分“が本当の姿なのか。そもそも“自分“とは何か。

「私」が望む生き方

自分、とはすなわち自己、アイデンティティである。

アイデンティティとは何かを調べると「自己が、環境や時間の変化に関わらず一貫して存在しているもの」とある。

だとすると、裕福な家庭に育った“彼“も、複雑な境遇に苦しんでいる“彼“も、アラスカでひとり大自然の中で生きる“彼“も、すべて同じ“彼“なのだから、それこそがアイデンティティなのだと言える。

どこにいて何をしていても、私は私なのだ。わざわざどこかに探しに行くものではない。

彼の旅の始まりは、自分探しなどではなく、“私“が望む人生を歩みたいと思ったからではないか。

両親が望む“エリートである自分“としての人生。そういう道を歩むことが彼自身の望みでもあるならば、それでいいのだろう。

けれども、彼はきっと違ったのだ。両親が望むエリートの自分は、“私“の人生ではない。だから自分が思うように自由に生きてみたい。そう思ったのではないのだろうか。


彼が残した言葉

たった一人大自然の中で、自分の力だけで自由に生きてみたかった青年。しかし、辿り着いたアラスカで孤独と飢餓に苦しみ最後は亡くなってしまう。その彼が残した言葉の中に、こんな一節がある。

「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ」

この言葉は、人間が社会で生きる生物であるということを表しているような気がする。

“私“の人生を歩むということは、ひとり好き勝手に生きることではない。

自由に生きる、好きに生きることは、実は一人では決してなし得ないことなのだ。

実際、青年も旅の途中で出会った人々に助けられながらアラスカへたどり着いた。お金や物質に支配される社会を嫌ってみても、途中でアルバイトをしてお金を稼ぎながら旅を続けていった。

そして大自然の脅威のなか、たったひとりでは生き抜くことはできなかった。

社会から隔絶して生きることが、どれほど難しいことなのかがわかる。文明の恩恵を一切排除して生活するのは、もはや不可能に近い。


「好きなことをやって生きる」はユートピアではない

ある方のnoteの中に、自由に生きることのヒントがあった。

この中にはこう書かれている。

“『好きなことをやって生きる』というのは楽して生きるユートピアではなく、そこに付随するたくさんの面倒なこともまるっと抱え込まなければならないということ。“

「好きなこと」という綺麗な側面だけ見ていては、本当に自由には生きられない。「好きなこと」をやっていく中で起きる全てのことを受け入れる心の準備も必要なのだ。

そしてこうも言っている。

“やりたいことが大きくなればなるほど協力者が必要になり、協力者に信頼してもらうために必要なのは、やりたいことに付随するあれこれを突破した経験だからです。“

大自然の中でたった一人では生きられないように、この社会でやりたいことを成し遂げていくには誰かの助けが必ず必要になる。そしてその結果を協力者と分かち合ったとき、幸福を感じることができる。それは、青年が最後に書き残した言葉そのものだ。


本当に自由に生きるために

協力者を得るために最も大事なことは何か。

最所さんのエッセイの言葉の中にその答えがある。自分がやりたいことだけをやるのではなく、面倒なことから逃げ出さず、真摯に一つ一つクリアしていくこと。その姿が周りの信頼を勝ち取るのだと。そうして初めて本当の協力者が現れるのだろう。

闇雲に人脈を広げようと活動するのは本末転倒だ。

自分のやるべきことに真摯に向き合い、その結果として協力者を得てやりたいことを成し遂げていく。この社会で自由に生きるとは、本来こういうことなのかもしれない。

そしてそれは、最所さんが言うように"好きなことだから続けられたり頑張れる“のだろう。






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