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好きなことの本質を見極め、生業を作っていく

夫と娘と、三人で仕事について話をしていた。

娘は社会人4年目を過ぎ、自分の人生設計を見つめなおす時期を迎えているようで、今後の生き方についてよく相談を受けるようになった。


夫は料理人をやっている。フランス料理一筋30年のベテランの域に入ったコックだ。

彼は小学校一年生から野球を始め、高校はスポーツ推薦で私立校へ入り、ずっと甲子園を目指していた。地方大会の決勝で敗れて惜しくも甲子園へ出場する夢は叶わなかったが、卒業後も大学で野球を続けるか、もしくは社会人野球へ進むかという選択肢があったそうだ。

けれども、彼はそのどちらの道へも進まずに、高校卒業とともに料理人になることを選んだ。


なぜ、野球ではなく料理の世界を選んだのか、娘が夫に聞いた。

「これからも野球を続けていくほど、自分は野球が好きなのかって考えてしまったんだよね。」と彼は言った。

野球をやるために大学へ進学すればお金もかかる。それを親に負担してもらってまで、自分は野球がしたいのか。そこでは、YESの答えが出なかったそうだ。

当時は不景気で就職氷河期時代に入ったところでもあり、廃部になる社会人野球チームも結構あったらしい。そんな不安定なところへ飛び込んでいくほどの情熱も持てない。

野球を続けるか、新しい道を探すか。悩んだ時に1番考えたのは、自分は野球の何が好きだったのか、という問いだった。

「野球というスポーツが好きだったのか、野球じゃなくちゃいけないのかって考えたら、違う気がしたんだ。多分、試合中の本気と本気のぶつかり合いみたいな、ひりひりするような感じが好きだったんだよね。だから、きっとそれが味わえるなら、野球じゃなくても良かったんだと思う。それがわかったら、もういいかなって思えた。」

好きな事の本質を見極めていったら、自分の価値観がわかるのかもしれない。

「そういえば、最初に野球人生の限界を感じたのって、実は中学生の時なんだ。」

中学校時代のある練習試合で、対戦チームに飛び抜けて上手い選手がいたらしい。体格が周りの選手と比べると格段に恵まれていて、何しろ全てにおいてセンスが違う、と強烈な印象だったそうだ。その後も何度か対戦する事があったらしいが、会うたびに凄いと思わされ、“プロに行くのはこういう人間なのだ”と確信したのだという。それが、元巨人軍監督の高橋由伸さんだ。

圧倒的なものを目にしたときに自分の限界を感じてしまう、というのは、私も中学校時代に音楽の世界で同じ経験があったので、彼の気持ちがよくわかった。

どんなに好きで打ち込んでいたものでも諦めてしまいたくなるほどに、それは痛烈な一撃だ。

プロになれないなら、野球を続けても自分にとっては意味がないと、彼は思った。

高校卒業と同時に就職することを決めた時、野球しかやってこなかった自分に何ができるのか、何がしたいのか、短い時間で彼は選択しなければならなかった。

そこでふと思いついたのが料理人だったそうだ。

夫の父親は、飲食店を経営して自ら調理場に立っている。それを見て育った彼にとって、料理人は身近な職業だった。これならば出来るかもしれない、と飛び込んだのがコックの世界だ。

「最初からフランス料理のコックさんを目指したの?」と娘が聞くと、「そうじゃなくて、流れなんだよね。」と笑って答えた。

料理ならとりあえずなんでもいいや、と仕事を探していたら、たまたま見つけた募集は日本料理店だった。そこで一年ほど働き、その店で知り合った人に紹介されて移ったのが、小さなフランス料理店だったらしい。

初めて触れるフランス料理の世界は、それは好奇心を刺激されるものだった。基礎技術から鍛錬を重ね、その技を駆使して表現される料理の世界。とても奥が深くて簡単にはできないからこそ、のめりこめたのかも知れない。

夢や好きなことから選んだわけではない仕事ではあっても、真剣に挑めば、時々ひりひりするような瞬間がある。できそうなことから入って、目の前に出された課題や難題に取り組み、少しづつ目標を上げていく。そういう生き方もあるのだ。

料理人として彼は、一つの場所でずっと働くやり方ではなく、いろいろな技術や表現方法を学ぶために、いくつかのお店で修行を重ねていった。一つ店を移るたび、こういう料理をやって行きたいという自分だけの道筋のようなものが徐々に出来上がっていき、いつかは自分の店を持ちたいという夢もできていった。

もちろん、30年もやっていると良いことばかりあるわけではない。

野球をやっていた時と同じように、素晴らしい才能を持つ人、圧倒的な努力ができる人に出会うこともあり、その度に自分自身と比べ、そこまで自分はたどり着けるのかと悩んだこともあったらしい。

勤めていた店が経営不振で無くなってしまったこともあったし、自分がやりたい料理ばかり作れるわけではない。シェフやオーナーの要望に沿って作らなければならないことが大半だったから、「今やっているものは、つまらない。」「楽しくない。」と家で漏らすこともあった。上司と喧嘩をして辞めそうになったことも、実はある。

それでも、つまらない仕事全てが無駄になるわけではなく、後々になって、あの時やっていてよかった、辞めなくてよかったと言っている。

結局、やってきたことを無駄にするのかどうかは、自分自身が決めるのだ。自分がしてきた選択を、生かすも殺すも自分次第なんだと思う。

夫の料理人人生をずっと横で見てきたけれど、自分ではどうにも出来ないところで理不尽な運命に翻弄された時もある。それでも彼は負けずに粘りに粘ってきたと思う。家族のために、諦めたものがあることも私は知っている。それら全てを他のことで気を紛らわしながらでも、本筋を見失わずに30年歩いてきた。

そんな彼を私は心から尊敬しているし、娘も同じように思ってくれている。


これからの生き方に悩む娘に言えることがあるとするなら、自分の選択に責任を持って粘ってみてほしい、そして自分の選択が一番正しいと、周りがなんと言おうとも自分自身で信じてほしい、ということしかない。

自分の嗅覚に従って、何に自分は価値をおいているのか、その本質を見極めて選択する。

はっきりわかっている、誰もが使える成功方法なんて、この世には存在しない。だから自分の選択を信じることでしか前には進めないと思うのだ。

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