見出し画像

母とのこと。

人生で最初に直面する格差問題。
兄弟姉妹は、いやでも親に比べられる。

そして私は、そのために今でも自分に自信が持てずにいる。

***

それは些細なことから始まった。

子供の頃。夕飯のおかずが、いつも兄の分だけ多かった。

ハンバーグが出たときなどは、兄のお皿にだけ2つものっているので、「わたしも2個にして!」と抗議すると、「お兄ちゃんは男の子だから、仕方ないでしょ」と言われた。

ご飯の不公平を抗議すると、いつも決まって母は"お兄ちゃんは男の子だから仕方ない” 拳を繰り出してくる。

なにがどのように仕方ないのか論理的に説明せよ、と反論できるほど知能が育っていなかった小学校低学年のわたしは、そうか、それなら男の子になればいいんだな、とよくわからない結論に至った。

それからというもの、夢中になっていたリカちゃん人形とはおさらばし、プラレールやミニカー、モデルガンを使って行う『戦いごっこ』を主な遊びとすることにした。

ちなみに、モデルガンは兄の宝物だったので、勝手に持ち出してはよく頭を叩かれた。

懸命に男の子っぽくなろうとしても、いっこうに晩のおかずは増えなかった。
あたりまえだけど。

***

その頃はまだ、男の子のような遊びをしていても、まだ女の子らしい可愛さに憧れていた時代。

ところが、あることがきっかけとなり、女子っぽさをさらに遠ざけるようになっていく。

***

4歳年下の妹は、姉の私から見てもとても可愛かった。なんというか、いわゆるアイドル顔的な顔立ちで、実際、キッズモデルにスカウトもされた。そのこと自体は姉としても自慢だった。

でも、ひとつ不満があった。

母と妹と3人で買い物に行くと、母は妹の服ばかり買う。大げさではなく、妹と私の買ってもらえる服は8:2で、妹の圧勝だった。

ここでももちろん、いちおう抗議はしてみた。すると母の答えは、「だって、モデルのお仕事があるから。」

ぎゃふん。

それ以上、どう反撃できるのか。
できない。黙るしかない。

***

そして、妹は優等生でもあった。

お転婆で、男子と戦いごっこばかりしている荒くれ者の姉が、よく母に叱られているのを観察して育ったせいか、とにかく親の言うことをよく聞く、素直な良い子だった。そして天性なのか、女子力レベルがカンストしていた。

末っ子でアイドル顔で女子力マックスな妹を、もちろん母は溺愛していた。
溺愛しすぎて、カメラを構えると妹しか目に入らなくなっていた。

写真を撮ることが大好きだった母は、家でも外出先でもいつもカメラを構えていた記憶がある。

林屋ペー並みに、家族をパシャパシャ撮りまくっていた。

しかし私は、母のカメラには嫌な思い出しかない。

フィルムを現像に出して、戻ってきた写真を皆で見ると、妹の写っているものが一番多く、ここでも妹の圧勝なのだ。

母がカメラを構えた先に、兄と私の2人しかいないと絶対に妹が戻って来るまで待つのに、私がフレームの中に居ないことはそれほど気にならないようだった。

カメラを持つと、母はよく妹に対して、
「その服、似合うわねぇ。」とか、
「あら、可愛いねぇ。」などと、
グラビアカメラマンのように褒め称えながら撮影していた。

私はあまり、母から可愛いねと褒められた記憶がない。わたしに向けて母の口からでるのは、「男の子みたいね」という言葉ばかり。

晩のおかず増量のためだけに、無謀にも男の子になろうとした報いだろうか。

いつも、カメラのレンズ越しに妹と比べられている居心地の悪さばかりがあった。

そしていつしか、母のカメラが嫌いになっていった。

***

私は「可愛い」という言葉に嫌悪感を持つようになった。
そして、かわいさで比較されるのを避けるため、本格的に男の子みたいな格好をするようになった。

そうしておけば、母が妹のことを「可愛いね。」と褒めても、私は可愛らしい格好をしていないから褒められないだけだ、と自分に言い訳がたつ。

そうやって、母の目が自分にフォーカスされない寂しさみたいなものを誤魔化していた。

***

思春期に入ると、もう母と私の関係はいつも戦争だった。

何かといえば母に苛立ち、そんな私に決まって母はこういうのだ。

「あなたのことは、本当に理解ができない。」

***

いま思い返してみても、母に関する記憶として出てくるのは、反抗する私に、竹製の1メートル物差しを振りかざしながら鬼の形相で迫り来るシーンとか、何かといえば「本当にお兄ちゃんと入れ違えばよかったのにね」(兄は色白でお目目ぱっちり、素直ないい子ちゃんキャラだった)と天真爛漫に言い放つ顔だ。

そして、あなたはなぜ妹のようにきちんとできないのか、とお小言を垂れていた表情が浮かんでくる。

亡くなった人の回想のようになってしまったけれど、生きておりますので。

***

子供の頃からずっと"自分は選ばれない"感は消えなかった。大人になって歳を重ねても、いまだ私の中にあり続けて、時々古傷がシクシク痛む。

そして、ふとした瞬間に鮮明に戻ってきて私を混乱させる。

でも、これを墓場まで持っていってはいけない。だからいま、気持ちを整理していくために、ここにこうして書いてみた。

最近は、夫や娘に聞いてもらうこともある。誰かに話していくことによって、少しずつ少しずつ、自分を受け止められる気がしている。


頂いたサポートは社会になにか還元できる形で使わせていただきます。