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家の中にファンタジーは存在するか

結婚したばかりの頃、夫はどうも、我が家に妖精が住んでいると信じていたようだった。

たとえば夫が、「ノドが乾いたな。」とキッチンへ行ってグラスにミネラルウォーターを注ぎ、グビグビと飲み干す。そしてシンクにグラスをそっと置いて、去る。

すると、いつの間にか妖精さんがやってきて、グラスを洗い食器棚にしまっておいてくれる。

はたまた、トイレに入り用を足し、トイレットペーパーを使おうとしたら残量が少なく途中で切れてしまう。そこで新しいものを出してホルダーにセットする。はて、この手元に残ってしまったペーパーの芯はどうするかなと思案し、そっとトイレの床に置いて、去る。

するとまた妖精さんがやってきて、床に置かれたトイレットペーパーの芯をよいしょと持ち上げ、可愛らしい羽を羽ばたかせながらゴミ箱まで運んでくれる。

そういうファンタジーが家の中に存在すると思っているフシがあった。なので夫は、妖精さんが退屈しないように、脱いだ靴下やら洋服やら、食べ終わったお菓子の袋やら空き缶やらやらやらやらを、いつもどこかに置いていた。

妖精さんを信じて疑わない夫の行いにキレた妻(わたし)は、ある時烈火の如く怒ってメラゾーマを放った。「そんなファンタジーは存在しません!」と言い聞かせ続け、その結果、長い年月がかかりはしたけれども、夫は“なんでも自分でできる君”へと変貌を遂げた。

ここ数年で私が怒りの衝撃波を放つ機会はだんだんと減り、むしろ最近は夫に感謝することが増え、家庭内の平和は保たれ続けている。

***

一方わたしはといえば、進化した夫とは対照的に、どうも脳の劣化を感じるようになってきた。

「お茶でも入れようかな」と、お茶の葉をポットに入れて、ティファールの沸騰ボタンを押す。

沸くまでの間に、洗濯機を回しておこう、と脱衣所へ行く。いざ洗剤を入れようとしたら、残りがほとんど無い。

あららと思いながら、洗面台にフタを開けた洗剤容器を置いて、替えの洗剤を収納場所へ取りに行く。するとそこへ、ピンポーンと宅急便屋さんがやってくる。渡された荷物の中身を片付け、梱包材の段ボールを潰してベランダの置き場へ持っていく。すると植木たちが目に入り、「あら、葉っぱが蝶の幼虫に喰われている。」と虫の駆除を始め、葉水をやったり軽く剪定したりベランダを少し掃いたりする。

植木の世話を一通り終え、「あー疲れた。」とダイニングのテーブルに座ろうとすると、わたしの保温マグカップにお茶が入れられ、テーブルに置かれている。

あ、そうだったお茶を飲もうとしてたんだ、あれ?わたし淹れたっけかな?とか思う。

訝りながらお茶を啜っていると、唐突に洗濯機のことを思い出す。そうだったそうだった、洗濯機をセットするのを忘れていた、と急いで脱衣所へ行く。するとあら不思議、洗濯機はウィーンと音がして仕事中なのである。

はて、と思いながら洗濯機を見つめていると、これまた唐突に補充しようとしていた洗剤のことを思い出す。「洗剤、補充しなきゃいけないんだった!」と洗面台を振り返ると、そこに置いたはずの容器が無くなっている。え?と思って洗濯機横の棚を見ると、きちんと蓋が閉められた洗剤が、元の場所に戻っている。

やっぱり夫が信じていた妖精が我が家に住んでいるのでは?

とかいう事ではもちろんなくて、すべて気を効かせた娘が、私のやりかけの痕跡をきれいに片付けて回ってくれたのだった。

娘よ、似たもの夫婦でごめんなさい。

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