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ニューメキシコの赤土の大地と、孤独を楽しむことについて。

一冊の本を眺めている。

これを書いている今はまだ初夏で、窓からは爽やかな風が入ってくるけれど、ベランダを照らす日差しはとても強くて、軒下の日陰の向こうの景色は眩しく輝いている。時々、スズメがやってきてはベランダの手すりにとまって、可愛らしい声をあげる。

丘の上にあるマンションの上層階に住んでいるので目の前に建物はなく、リビングの窓もカーテンも昼間はすべて開け放ってあり、屋外と繋がっているような感じがする。

リビングのテーブルに座り、その本を眺めていると、なんともいえない解放的な気持ちになった。行ったことのない、ニューメキシコの荒々しく神々しい景色に心を奪われる。

『ジョージア・オキーフとふたつの家 ゴーストランチとアビキュー』。本の表紙には、女流画家ジョージア・オキーフの描いた赤土の家と、その家のとても大きな窓から見える荒涼たる山の写真が並んでいる。

図書館の写真集のコーナーでみつけて借り出し、2週間の貸出期間中なんども繰り返しページをめくり、そこにある写真を眺めつづけた。

返却するとき、なんともいえない寂しい気持ちになってしまったので、早速手に入れようと探し回った。

ところが中古すらどこにも無い。たまに見つけてもプレミア価格で三倍くらいに値段が跳ね上がっていて、手が出せない。いろいろなサイトで入荷通知の設定をして、一年くらい待った頃だったろうか。定価に近い値段で出しているところから入荷の連絡があった。

自宅に届いた時には、やっと会いたい人に会えたような気持ちがした。


それほどまでに、この本に惹かれた理由はなんだったのかは分からない。けれど、写真を見ているだけで心が落ち着いた。実際には訪れたこともないけれど、熱く乾いた空気と風と、大きく広がった青すぎるほどの空が、荒々しい赤土の丘が、目の前にあるような気がするのだ。

そして、写真の中にいるジョージア・オキーフの厳しく凛とした佇まい。その人柄をそのまま写したような、美しくすっきりと整った家のしつらえ。

孤独と静けさを愛した人だったらしい。その人となりに惹かれたのかもしれない。

人に囲まれて暮らす都会から逃れ、周りには険しい山と赤土の大地しかなく、植物すら育ちにくい痩せて荒涼とした土地に移り住んだオキーフ。彼女が夫や友人に宛てて書いた手紙の一言一言にその選択の意味が表れている。

自分を確立し信念を持っていなければ、とても寂しくて住んではいられないだろう場所。けれど、自己と向き合い続けるには絶好の場所だったに違いない。その揺るぎない存在感と、何もかも見通すような澄んで厳しい眼差し。オキーフの心のありように、何よりも惹かれる。


ところで、私は独りが好きだ。人が嫌いなわけではない。けれども一緒にいる時間はとても少なくていい。

好きな本を読み映画を見て、食べたいものを食べ、行きたい場所に行き、気に入った場所には長い時間留まっている。それらのことを、誰かに合わせてするのがとても苦手なのだ。

そして、よく考え事や妄想をしている。誰かと一緒にいて、それができなかったり中断されたりするのが辛い。

最近わかったことだけれども、一人きりで、どこにも誰にも繋がっていない時間が多いほど、心が安定する。いま自分が何を欲していて何を欲していないのか、じっくり考えることができる。

若い頃は、そういう自分は少し変わっているのだとコンプレックスに思っていた。だから、無理矢理誰かといようとして疲れていた。自分が好きなものは何なのか、嫌いなものが何か、やりたいことややりたくないことさえ、分からなくなっていた。

ずっと、孤独とは寂しいものでダメなものだと勘違いしていたのだと思う。

この頃では私は独りが好きなのだと、普通に言えて、望んだように居ることができている。

本の中のオキーフの目は、それを当たり前のことのように受け止めてくれる気がしているのだ。

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