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だれか母ちゃんの話を聞いてくれ!

今、0〜3歳の母親で恐れられているRSウイルスに感染し、ようやく回復してほっとしているコーチで彫金作家で二児の母のぐっちです。

そう。我が家は先月6月中旬から、0歳保育園デビューと姉妹育児の洗礼を受けまくった。

ノロ&RSという最強最悪コンビ。特に、1歳3ヶ月の次女にとって、RSは厄介だった。次女、一度感染して治る。その後長女感染。次女は大丈夫だと油断していたら再感染。

長女もうすぐ4歳。2歳でかかったので、免疫なのか抗体なのか、1週間弱で完全回復したけど、次女は4日ほど40度〜39度を行ったり来たり。3日ほど解熱剤が全く効かず、慌てふためいた。今、保育園で大流行の強力なRSウイルス。2〜3歳までにほぼ全ての子供がかかるらしく、幼くしてかかると厄介なウイルス…

と、RSの厄介話はそこそこに、「話を聴く」コーチ母親の視点で、子どもの病気がもたらした母さんの叫びとそこからのアイデアを書いてみたい。主な叫びは、タイトルの通り、だれか母ちゃんの話を聞いてくれ!だ。

リスケ・キャンセルの嵐

子どもが風邪をひくとお母さん(とお父さん)に何が起こるか。仕事を休まざるを得なくなる。まさかこの仕事がNGになろうとは…と落胆しつつ、予定を確認して、これリスケ、これキャンセル…。「子どもが発熱してしまって…」「次女がRSにかかってまだなかなか熱が下がらなくて…」と、リスケ、キャンセル。この調子なら明日もダメか…明後日は大丈夫かな?あ、やっぱりダメだったか。あ、明日も無理か…

「すみません、ごめんなさい」を言いすぎて言うのが嫌になり、途中からやたら「ありがとうございます!」に切り替えた。

慢性的寝不足による疲れの蓄積

病気で苦しい時は、いつも以上に母親の匂いや体温が恋しいらしい。深く寝入るまで添い寝が必須となる。夜も深く眠れず、こまめに起きてお茶を求める。くしゃみをして鼻水を拭う。激しい咳やくしゃみで飛沫をふっかぶることは多々ある。“おおお、このくしゃみにとんでもない量のウイルスが含まれているだろうな”と慄くけど、仕方ない。常時マスクをして看病するわけにもいかない。“よしこい!受けてたつぞ”そんな精神論で飛沫を受け止め、手持ちの漢方薬を夜飲んでおく。人にうつした方が早く治るなんて聞くから、母ちゃんにうつせ!母ちゃんなら早く治せるぞ!と思うけど、うつして治る保証もないし、共倒れは勘弁なので、やっぱりうつされたくない。

こんな生活が2週間ほど続くと、こちらもかなり弱ってくる。子どもの体調不良は親の健康に強い一撃を食らわせる。

日常の家事と仕事のメールはやってくるので、ウイルスに負けて寝込むわけにはいかない。

看病リスケ疲れのトリプルは健全な視点を失わせる

看病とリスケと疲れの蓄積。これは想像以上に心の健康を損ない明るく健全な視点を失わせる。

ああ、私大変…
この悲惨な状況を誰か助けに来てくれないだろうか…
誰か聞いて欲しい…私の大変な話を聞いて欲しい…
このまま私は仕事もできず、子どもも元気にならなかったらどうしよう…

そんな心に棲みつく“犠牲者”の声が徐々に大きくなる感じがする。
この声は看病が長くなればなるほど大きくなって、徐々に溜まっていった。

大きな声で心のバケツをひっくり返したい

徐々に溜まってくる不満・ストレス。

一番身近な夫に、もう限界だ、辛いよ、と言いたい。言葉にしたい。ぶちまけたい!
だけど、夫も思いっきり当事者で、仕事を休んだり、在宅ワークで私が外せない仕事の時は見ていてくれる。夫もくしゃみによるウイルス飛沫を顔面で浴びている。そしてなぜか毎度夫の方がうつりやすい。基本的に子どもが体調を崩すと、もれなく夫も具合が悪くなる。そんな弱っている夫に濁った感情はぶつけられない。

もちろんぶちまけたことはある。私、今、猛烈に大変なんだよ!と溜まったバケツを蹴飛ばした。そしてその後、お互い非常に嫌な気持ちになる。勢いに任せて爆発して失敗したことはたくさんある。衝動に任せて夫に当たるのは本当によろしくない。

実の親に言うのも憚られる。私は母親と時々LINE電話するものの、福岡⇄東京なので、言ったところで助けてにきてもらえるわけではない。ただ心配をかけるだけなので、渦中の時はあまり言わない。落ち着いた時に、「いや〜実は数日前さ、大変だったんだよ」と話すことはあるけど、ど真ん中の時は撒き散らすから言いたくない。

友達、ママ友も皆それぞれ自分たちの生活のペースで生きている。忙しい中、LINEして、捕まえて、電話でねちねち愚痴を言い放てる友人はいない。いよいよなとき連絡すれば、聴いてくれるだろうけど、時間泥棒になるので、これまたあまり言いたくない。

保育園の先生、小児科の先生。ちょっと違う。これからの関係もある。本音をぶちまけていい相手ではない。何より突然こんなぐちぐちした話をぶちまけられたら、ちょっとした当て事故になってしまう。

じゃあ、このモヤモヤ、憤り、どうすりゃいいんだ!ずっとひとりで抱えるのか!辛いじゃないか!

そう。今1歳と3歳の女の子2人を抱えて、個人事業主になってがんばるぞ!と走り始めて4ヶ月目の私が抱えていたのは、

どうしたらいいんだー!
誰か私の今の頑張りを聞いてくれー!
極限の中、粛々と頑張っていることを聞いてくれー!
頼れる親戚がいない中、よくひとりで頑張ってるね!と褒めてくれー!
十分よくやってるよ、あんたはえらいよ!と言葉をかけてくれー!
誰か〜私の非常事態宣言を聞いてくれ〜!

こんな犠牲者の叫び声だった。

いや、コーチだろ?自分で処理しろよ

こんな罵声は自分で処理しろよ、という声も自分の中から聞こえてくる。私の中にいる裁判官のような存在だ。

常日頃、〇〇心理学やら〜法やら、××本を読んで自己研鑽していれば、この声は私の内側の声で、外からの声はこれ。本当の気持ちやこれからどうしたいかを内省し、いま何を感じているか瞑想から体で感じて、未来のありたい姿は?心からの願いは…こんなことを自分で内省できるだろ!それはまだ研鑽が足りないからなんじゃないか?!

弱った私を裁く声も頭に出てくる。もう疲労困憊だ。

そんなのわかってるけど、そういう理性さえは吹っ飛ばすのが子どもの看病だ。不安定な命の前に、寝不足の頭で平静な分析なんてできない。

子どもの看病が、これほど体と頭をパンパンにすることを体験した。

10分誰かと話すだけでいい

4日間40度前後の発熱、解熱剤も効かず、寝れない次女を病院に連れていき、肺炎になっていないか血液検査とレントゲン。嫌がる口に吸入器を押し、タオルでぐるぐる巻きにされ鼻水を吸引されて、母子ともにぐったり。まさに渦中。そんな夕方、偶然長女と同じ時期に1週間RSで保育園を休んでいたHくんのママに会った。

わー!ぐっちさん元気でしたか? お互い大変だったねー。和葉ちゃん辛そうね…ぐっちさんもお疲れでしょ。私たちほんとよく頑張っているよね!看病辛いよね…仕事もどれだけ休んだかわかんないよ。あともう一踏ん張りだね。ほんとお疲れ様だよー!あと少しだね!

10分程度の立ち話。私の中の“犠牲者”は、不思議とスーっといなくなった。まさにガス抜きだった。立ち話、話をきいてもらう、共感してもらう。短い時間でもすごくパワフルだった。

子どもが病気だとお母さんもパンパンになる

平時は、前向きに仕事をして、お母さんもして、自分の夢も目標もしっかり見据えていたとしても、いつもそうあり続けられるわけじゃない。特にまだ幼い子どもがそばにいると病気はつきものだ。

この2週間弱。弱っていく子どもを介抱しつつ、リスケの相談をしながら思っていたことは、ネガティブそのものだった。

こんな気持ちになる私はわがままなんだろうか・・・
母親として優しくないんじゃないだろうか・・・
性格がひん曲がっているじゃないだろうか・・・
他のお母さんはうまく気持ちを切り替えてやっているんじゃなかろうか・・
私は被害者意識が強いんじゃないか

渦中で何も思うように動けない時、ひとり悶々と考えて、また新しい負のループを作り出していた。

でも、犠牲者のような叫びを心に抱えるのは、私ひとりってことは絶対ない。少なくともH君ママは叫んでたらしい。もう1人か2人か、5人くらいは同時にいそうな気がする。今日小児科で出会ったお母さんの中に、同じように叫んでいたお母さんがいたと思う。

いつかこんなサービスを作りたい

今日、私とH君のママが作った偶然の10分のように、思い立った時に、10分、15分、30分でも、安心安全な環境で、今の気持ちを話していい、聴いてもらえる相手がいたらいいナと思う。病児保育で子どもは預かってもらえるけど、お母さんのガスは抜いてもらえない。

突発的な看病で、自分の中の犠牲者がムクムク現れてきた時、「3時間後に30分間、思いっきり私の話ができる!あとすこし看病頑張ろう!」「明日思いっきり吐き出そう!」って思えるだけで、かなり救われる。

近いうちにそんな今の気持ちを安心安全な場で放出できる場を作りたいなぁと2週間の看病で思った。コーチだからこそ、ただ聴くことも、共感することも、真っ直ぐ受け止めることも、ご自身で“犠牲者の声”を振り払うお手伝いもできるだろう。

空前絶後のRS大流行の渦中で看病したコーチな母ちゃんが、看病しながらこんなこと思ったぜ!こんなの欲しいぜ!と思ったリアルな話を書いてみた。病児保育のもう片方、お母さんのガス抜き時間。そんなことがあってもいい気がする。どうだろう。



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