隣の芝生はいつだって青い!?

SNSを何気なく見ていて、ふと焦燥に駆られることがある。
その焦燥感は一体どこから来るのだろうか。
そうか・・・
「リア充(死語?)」で溢れかえっているからだ
と気づいた。

しかしSNSがリア充なのは、今に始まった事ではない。
それを見て焦燥感に駆られるのはつまり、自分自身がリア充ではないからなのではないか。

ああ・・気づいてしまった(笑)

隣の芝生が青く見える時とは

"隣の芝生は青い"
とは
"人のものの方が自分のものより良く見える"
ことの例えとして言うわけだけれど・・
単純に言うと、羨ましいって話。

冒頭に書いたように
最近、ちょっとSNSを見ていて
心がざわついたりしていた。

なぜざわついたのか・・・
冷静に考えてみた(笑)

冷静に考えてみた結果
羨ましかった(笑)

何が羨ましいんだろう・・・
冷静に考えてみた(笑)

誰かのイキイキと楽しそうな投稿を
時にイラッと受け取る自分がいた(笑)

ああそうか。
はい。はい。
心が狭くなってるわ。自分(笑)

自分が思うようにSNS投稿できなくて
それでイラついているのか(笑)

そもそもSNSって
そういう場だよな。

☆こんな素敵な場所へ行ってきました♪

☆こんな美味しいもの食べました♪

みたいな。

自分もそういう投稿してるし。


やりたくないならいい。
やりたいのにできていないから
羨ましく感じるわけだ。

ああ、なんて自分は小さいんだ。

やりたいならやればいいだけ。
やれないのは、色々な言い訳して
時間が作れていないだけ。

ビール飲む時間と
SNS書く時間とどっちが大事なんだい?
と自分に問うwww


これはSNSのことだけじゃない。
羨ましいと思うなら
やればいいだけ。

【隣の芝生が青いなら自分が動けばいいだけ】



隣の芝生が枯れている時とは

隣の芝生はいつも青いのだろうか。
実は、枯れてている時もあるよな。

隣の芝生が枯れている時・・・
それは、自分が見ていない時。

単純に、自分が充実しているから
隣の芝生を見る機会がないだけ。

隣の芝生は自分が見ていない時に限って枯れている(笑)
でも、その時に見ていないから
隣の芝生はいつでも青く見えるわけだ。

だとしたら
自分の芝生が青い時
同じように隣から見ている人には
自分の芝生は青く見える

自分の芝生が枯れている時
隣の人は見ていない(笑)

そうだ!
自分の芝生が枯れている時は見られてないのだー(笑)

だから
枯れている時があっても気にするな。自分。

【自分の芝生が枯れている時は誰にも見られていないからそれ以上腐る必要なし】



隣の芝生より我が家の芝生が青いこともある


"隣の芝生が青い"
とは、基本的に自分と他人を比べて起こることなのだが、例外がある。

それは、子ども。
隣の家のお子様がどんなに優秀だろうと美男美女だろうと
自分の子どもほど素晴らしいと思えるものはない
「隣の芝生は青い」
の反対で
「吾が仏尊し」
というわけだ。

無条件で、我が家の子どもは素晴らしいと思えるのが親というものなんだなあ。きっと。


それと同じように、
いや、そこまででなくてもいい
少しだけでいいから
自分自身も隣の芝生より青い時を作りたいなと思う。

他人と比べても仕方ない。
と頭でわかっていても
どうしても比べてしまうことがある。

ちっぽけな自分でも
どこかのお隣さんから見たら
青く見えていることもきっとあるわけで(笑)

そんな自分もいるなと。
自信過剰ではなく
ちょっぴり自分に自信を持って
隣と同じくらい青い芝生でいたい。

【隣の芝生は青いが、自分の芝生も青いぞ。と】

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