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福子(ふくし)について考えたこと

創価学会では、創価学会員の親から生まれた子は福子(ふくし)と呼ばれる文化があります。
子供の頃から、「福子は生まれたときから福運があるから恵まれてるね」、「親の信心に守られているね」等と、周りの大人から言われることがありました。

私はこの言葉にずっとプレッシャーを受けてきていたんですが、先日聖教新聞の記事にあった、ある会員さんの言葉で考え方が変わりました。

「福子っていうのは親の信心を正しくする使命を持った子なんですよ。」

聖教新聞より

子供は生きているだけで親に色んな悩みを与えます。そして、その悩みに向き合う中で、親は自分の信心を深めることができます。つまり子供は親にとって善知識(信心を教えてくれる存在)であり恩人です。

信心を教える人には福運がつく。だから、存在するだけで親に信心を教えている福子は生まれたときから福運があるんだなと、この言葉を見て思いました。(上記の言葉を言われたのは、障害を持つ子の親御さんです。)

つまり、福子っていうのは、親目線の言葉であって、子供がプレッシャーを感じる必要は全くないんですね。

親から福運をもらってるから、幸せなんだ。とか、福子は福運をもらってるんだから親に感謝しなきゃ。とか、福子だから周りより信心を理解しなきゃ、頑張らなきゃ。とか、

全部、逆で。

子供が信心をしようが、しまいが、信心を教えてくれる存在である子供に対して、「あなたのおかけで信心が深まったよ、あなたは私の福子だ、本当にありがとう」と、親の方が子供に感謝すべきなんだろうなと思いました。

もちろん、子供が「私が信心を教えてやってるんだから、感謝しろよ」って言うのは傲慢になっちゃうし、そんなこと言ったら喧嘩になっちゃうんでやめたほうがいいとは思いますが。

創価学会じゃない家庭でもありますよね。
「親の稼いだお金で食わせてやってるんだから感謝しろ」と言われたらプレッシャーだけど、「あなたがいるから私達も仕事を頑張れるわ。ありがとう」って言われたら嬉しいし、素直に「こちらこそ育ててくれてありがとう」って思えるみたいな。

私の子供は入会していないです。でも、福子だと思います。この子がいるから私は自分に向き合って生きて行けている。信心を教えてもらっていると思います。

追記
子供が信心をしなければ、親として駄目なんじゃないかと、罪悪感を抱える人に、
・一家で一人が信心していればいい。
・信心は一人前。
・自身が「一家の太陽」となることが、一家和楽を築いていく直道にほかならない。
という指導を伝えていきたいです。※いつどこで言われたものか今度リンク貼ります