小説『生物失格』 1章、英雄不在の吸血鬼。(Episode 5)
1話目はこちらから。
Episode 5:過剰心霊スポット。
人間が恐怖を感じる原因は、主に2つだと思う。
1つは、正体不明や意味不明を目の前にした時。何もしていないのに物が壊れるとか、それが長い間続くとか、プリンターから意味不明な文字列が勝手に印刷されていくということになれば、人間は怖く感じるものだ。その不明さを超常であると思えばこそだ。
もう1つは、あまりにも強大な脅威を目の前にした時。自分が傷つけられる、殺される、となれば怖く感じる。こちらはより原始的な恐怖と言えるのかもしれない。
ただ、どちらの恐怖も対処は簡単だ。
正体や意味が不明ならば暴いてしまえば終わりだし、強大な脅威を目の前にしたのなら、恐怖を押し殺すかその場から逃げて自分を鍛えて戦い直せばいい。
そして自分は、別にどちらの恐怖も感じない。
正体不明・意味不明だろうと何だろうと、必ず原因はある。ならば恐怖を抱きようがない。そもそも、「正体不明だ、意味不明だ」と思うから良くないのだ。
相手が如何に強かろうと関係ない。痛みを感じないという特異体質を存分に用いて、カナを守り切ればいいだけの話。
従って、件の『幽霊屋敷』を目の前にしても、特に恐怖は感じない。
――窓という窓が、全て黒いカーテンのようなもので覆われている以外は、変わったところのない、3階建ての普通の家。
人工的な街灯と自然的な月光に明るく妖しく照らされているから、不気味と言えば不気味なのかもしれない。
こんなものだろうとは思ったけど。
「うわあ、雰囲気出るねえ……」
カナは、目の前の『幽霊屋敷』に少し圧倒されているような様子だ。
少しだけ顔が引き攣っている気がする。
「よ、よし! これから入って行くわけだね! さあ、えーた! 行こう!」
「……待て待て」
明るそうな口調で言いながらカナは、自分の背中に回り、ぎゅっと服を握りしめている。
声もどことなく震えている。
明らかに怖がっているな。
普通なら、そのままカナを守る形で、自分が前に出て『幽霊屋敷』に入って行けばいいのだが。
……少しだけ、悪戯心が浮かんできた。
「まさか――怖いのか?」
この前、幽霊屋敷に誘って来た時の仕返しだ。
我ながら卑怯だなとは思うが、まあやってしまったものは仕方ない。
「ま、まさかぁ! そそそ、そんな訳ないじゃん!」
案の定慌てふためいた回答。
自分は攻撃の手を緩める筈はなく。
「へえ。ならカナが前に行ってくれよ」
「い、いやいや! ここは男であるえーたが……!」
「誘った者の責任というのがあるだろう。ほら」
「うぅ……」
……ごめん、カナ。ちょっとだけ楽しいかもしれない。
完全に言動が小学生のそれだが。
「……えーたが怖いだけでしょ」
まあ、そう来るよな。
伝家の宝刀を抜いたつもりなのだろうが、そんなものは想定済みなわけで。
「ああ、怖い。だから前に行ってくれ」
いけしゃあしゃあと言ってやった。
さあ、前に行くしかないぞ。どうするカナ。
「……ふぇ……いじわる……」
「っ」
……泣き出した。
いやいや。いやいやいや。
それは卑怯にも程があるぞ。そもそも誘ったのはカナだろうに。
……うーむ、しかし。少しやり過ぎたな。反省。
「……悪かったよ。自分が前に行くから、それでいいだろう?」
「……うん」
「いつでも対応できるように塩は手に握っておけ」
「……そうしようかな」
多分塩は効かないけど。というか、市販の塩でどうにか出来る幽霊って、それは幽霊としてどうなんだ。
***
――ドアを開ければ、そこは正しく意味不明だった。
紙類は散乱し、砕けた硝子片が散在している。木で出来た床は所々に穴が開いている。
雑貨も沢山置いてある。4時27分を指して止まっている置時計。もう点くことの叶わない割れた裸電球。右目の抉り取られた人形。何かの戦争を題にとったグロテスクな絵が何点か。
人体模型という在り来たりな品も置いてあった。右腕がもぎ取られた上で、心臓部を貫いている。訳が分からない。
壁も酷く汚れている。赤黒くなっているが、恐らくペンキか何かだろう。文字が書いてあるのだろうが、別に内容に興味はない。どうせ赤文字で『呪』が沢山書かれてるとか、『お前を見ている』くらい書かれているとかだろう。
「……っ」
カナの服を掴む力が強くなる。
まあ、意味不明なものが多いから、怖いと思っても仕方ないと言えば仕方ない。
「大丈夫だ、カナ。このままついて来い」
「……えーたは、怖くないの?」
「ああ、全く」
それは、純然たる事実だった。
怖い筈がない。むしろ幼稚すぎて笑えてくる程だ。
何故なら、この場所が『過剰』だからだ。もっとキツイ言い方を選ぶならば、無秩序、又は意味不明なものをただ配置しているだけ。
普通なら、この過剰な意味不明さにやられて逃げ出してしまうかもしれない。だが、こんなものは全く意味不明ではない。
人を近づけたくないという、子供じみた意図が見え透いている。
趣向のはっきりした趣味の悪い人工的な演出で、恐怖を抱く筈も無かった。
「えーた、心強い……」
カナが安心したような声を漏らす。
うん、カナに頼られるのは良い気分だ。
頼るのは、自分1人で良い。
それ以外に頼るな、とは言わないが。別に頼ろうと頼るまいと、どうでもいい。関係ない。
「……で、カナ。確かカメラ持ってきたよな」
「う、うん」
「カメラでパシャパシャ撮っておいてくれ」
「……え、えーたがやって……」
それを自分がやっても良い、と言っても良いのだが。
意地悪心からではなく、今度は本心から撮影をお願いすることにした。
「自分は、脅威があった時に太刀打ち出来るようにするよ」
と、床に転がる手軽な鉄パイプを手に取った。
「わ、わかった」
カナはいそいそとリュックを開けて、カメラを手に取る。
それからおずおずと、辺りの写真を撮り始めた。
まあ、心霊写真なんて撮れる筈もないだろう。こんな人工的な空間の一体どこに、幽霊がいるというのだ。
なお、カメラで写真を撮らせているのは、普通にカナの恐怖を逸らすためだ。別のことに集中させれば、少しは恐怖も和らぐ筈。
「こ、これで撮れてたらどうしよう……お祓い行った方が良いのかな……?」
「その時は、アイツに信頼できる祓師でも紹介してもらうか」
「アイツって、ユメカちゃん?」
「それ以外居ないだろ?」
まあ、もしそんなことしたらユメカに「いよいよ頭が可笑しくなったか。いや、君の場合は元々だな」と鼻で笑われそうだが。
鼻で笑われても、二つの理由で面と向かって何も言い返せないけど。
何故なら、中学生2人のみという無茶苦茶な今の生活を助けてくれているのは、そのユメカだからであり。
そしてそのユメカは、今、絶賛牢獄で悠々自適に軟禁生活中だからである。
「そ、それよりさ」
カナはシャッターを切り続けながら話を続ける。
「全然、幽霊とか出て来ないね」
「逆に出てきて欲しいのか?」
「嫌! それは勘弁!」
「カナ、何で幽霊屋敷に行こうとしたんだ……」
もうそこも含めて愛おしくなってくる。
「うう、だって……」
「いや、もういいよ。カナはそれで良いんだ」
そんなところにも、自分は惚れたんだ。
最悪な呪いを背負ってしまった自分にも、後先考えず声をかけてくれた、そういう行動ありきの優しさに。
さて、そろそろ1階も散策が終わる頃だ。
「ここに何も無ければ、次は2階だな」
「……うん」
残りはあと2フロア。
願わくば、何も起きて欲しくないものだ。
誰が行おうと、何と言おうとも。
平穏な日常を離れてスリルを求めるなんて、馬鹿のする行為であって。
スリルを求めて怪我をしたり死ぬなんて、阿呆の起こした結果でしかないのだから。
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