小説『生物失格』 1章、英雄不在の吸血鬼。(Episode 8)
1話目はこちらから。
Episode 8:決着。正しいナイフの使い方。
鉄パイプを掴んで走り出した。たったそれだけ。
それだけで、怪物は怯んだ――が、流石は『怪物』を名乗るだけある。動揺はしながらも戦闘態勢には入った。
「クソがあああああああああっ!! クソが、クソがッ!! このガキ、殺してやるッ!」
『殺す』か。
その言葉は聞き飽きた。他者の命の価値を軽くするだけの――そして価値を軽くすることで自らを正当化するだけの、その言葉など。
「殺せるものなら殺してみろよ」
本当にやれるものならば。
この生物失格を殺してみろ、英雄不在の似非怪物が。
「お前に殺される気なんて、これっぽちもないけどな!」
鉄パイプをとにかく振り回す。下手な鉄棒、数振りゃ当たる――どうせ自分は、戦闘センスなんかからっきしだ。
「……っ!」
だが、それでいい。矢鱈目鱈と振り回せば、容易に近づけない。
相手はどうせ戦闘のプロではないのだし、何より相手の得物は獲物たる自分の腹に刺さったままだ――手ぶらでは、どうしようもない。
「ふざけんじゃねえぞ、この餓鬼!」
怪物が駆けてくる。
蛮勇だ。この状態でやってくるなど、まさしく飛んで火に入る夏の虫――。
「っ!?」
……コイツ、鉄パイプをわざと腕で受け、攻撃を掻い潜りやがった。
「はっ――クソ餓鬼如きの攻撃なんざ、効くわけねェだろうがッッ!!!」
叫びながら男は蹴りを繰り出し、腹に刺さったナイフにクリーンヒット。ナイフが奥へと動き、臓器が切り裂かれるのを感じる。
血がじわりと服に染み込む。吸収しきれない血液が床に滴り落ちる。
だが、何も感じない。
何も感じない。
痛みも無ければ苦しみも無い。
カナがまた自分の名を呼んだ。
……ごめんな、すぐに終わらせてやる。
だからこう返してやる。涼しい顔で。
「……で、何だって?」
「……っ」
怪物はまた顔を歪ませる。そんなに、痛そうにしないのが不思議か。
「この、化け物が……!」
「そいつはもう聞き飽きた」
これ以上引き延ばす理由は何処にも無い。
疲れたし、眠い。それに明日は学校だった筈だし、早く帰って寝ないと。宿題は――終わっている筈だ。あと気がかりなのは家事。朝食作らないとなあ。多分冷蔵庫に食材はあったから大丈夫。
……よし。
憂いは何もない。
手っ取り早くいくぞ、廃屋の怪物。
勿論あの力は使わない――使うまでもないか。鉄パイプは手に握りしめたまま、ナイフは腹に刺さったまま――これで十分。
男はこっちに近づいてくる。腹に刺さるナイフを取る為だろう。
そうだ。そのまま、こっちに来い。
「――おい、幽霊」
「……あぁ?」
男が反応した。今の自分との距離は大体数メートル。
これなら、やれる。
そう判断して、自分はナイフの柄を掴んだ。
「っ!」
男は後退した。このナイフで刺される、とでも思ったのだろう。――馬鹿を言え。自分はあの日から、人殺しはしないと決めたんだ。カナに泣きつかれたあの日から。
「こっちをよく見ろ」
ナイフをこの手で引き抜いた。自分の腹から血が噴き出て床に叩きつけられる。血飛沫が舞う。
どうでもいい。関係ない。今は目の前にいる此奴を排除できればそれでいい。人を殺すのではない方法で。
だから。
ナイフを刺す場所は決まっている。
自分は、手に持っているナイフを。
深々と。
もう一度、自分の腹に突き刺した。
「……っ、なっ!?」
予想通り、固まった。
人間というのは非常に単純な生き物だ。予想外の出来事が起こると、行動も思考もフリーズしてしまう。
この隙に駆ける。鉄パイプを片手に、だらしなく血液を流しながら。この光景も異常に映るのだろうか、男はまだ固まっていた。
構わず自分は鉄パイプを振るう――奴の側頭部に向けて!
「……っ! まず――!」
何かを言いかけたが、知ったことか。
そのまま倒れてしまえ。
側頭部に、思い切り鉄パイプをお見舞いした。固いものを殴った感触。衝撃に伴う若干の手への痺れ。この力加減なら、気絶で済む筈だ。
「がっ……!!」
悲鳴を上げて怪物は倒れ、そのまま動かなくなった。息はあるから生きている――気絶させることに成功したらしい。
「……ふぅ」
……終わった。
まったく、とんだ幽霊屋敷探検になってしまった。
「えーたあああああっ!!!」
カナが駆け寄ってきた。あまりの自分の血の量に、顔から血の気が引いていた。
「やだやだやだ! 死なないでえーた!」
「死なないよ」
カナを安心させようと頭を撫でようとしたが、止めた。こんな血塗れの手で触れる訳にはいかない。カナを血で汚すわけにはいかない。
血でよごれるのは、じぶんだけでじゅうぶんだ。
せんとうもよごれしごとも、ひきうけるときめたのだ。きみを、まもるために。
「……っ?」
「えーた!? しっかりして、えーたっ!!」
あたまが、ぼうっとする。
いしきが、くらくなる。
うん、これは、あれだ。
えいえんのねむりはかんべんだが。
おちるのだ、いしきが。
ちを、ながしすぎた。
「しっかりして! 救急車が今来たから!」
いわれて、さいれんがたしかにきこえる。
だが、ああ、もうだめだ。
いしきが、たもてない。
「えーたっ! えーたっ……!」
こえが、とおい。しかいが、くらい。
……つぎに、めがさめたとき。
じぶんはいったい、どこにいるんだろうな。
***
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