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小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 9)

目次

Episode 9:ライオン『ビスタ』。

 ――百獣の王。
 それは道具の存在しない完全な自然界で通用する呼称だ。大柄な体躯に強靭な顎、そして脚力。掴まったが最後、肉を毟られ命を喰らわれる。
 そんな生物相手に、他の生物は対抗する手段を持たない。故に、『百獣の王』。
 だが人間の世界では、百獣の王は所詮「の王」でしかなくなる。知を手にしてしまった罪深き人間が生み出す武器科学と生存への渇望の結晶を前に、獣の王など塵屑ちりくず同然。恐れるに足らずなのだ。
 ――そう、手にしていればの話。今は誰一人としてそんなものを持ち合わせてはいない。丸腰だ。
 従って、今の自分達は『百獣の王』を前にして一溜りも無くイチコロだ。

「――さて、ここね」
 閑話休題。
 休憩用のテントから歩いて1〜2分といったところか、目的のテントに着いた。識別の為か、他のテントとは明らかに色が異なっている。その視覚的な区別が無くても、漂う少しばかりの獣臭さで充分な気がするが念には念を入れて、という形だろう。
 素晴らしく反吐が出る心掛けだ。
 その念には念を入れる心持ちは、死城を殺すに相応しい。
「実はね、猛獣はビスタしかいないんだ」
 マジシャンが説明を挟む。
 猛獣が1匹だけ? と疑問に思ったが、確かにサーカスでも出て来たのはあのライオンだけだ。普通は他にタイガーやら小動物が出てきそうなものだが――。
「飼育が大変だからですか?」当然の疑問にカナが尋ねると、曲弦師を抱っこしているピエロが首を横に振った。
「何にしたって飼育は大変なものよ。そうじゃないの。直接の原因はあまり面白い話題じゃないけど、動物虐待だーとか何とかで抗議を受けちゃうからよ」
 珍しくキャラを潜めて答えたが、内容が軽口で軽く口にして良いものではないからだろう。
 動物虐待か。危険な演目を意思に背いてさせるのは確かに虐待だ。例えば人間に『今から火の輪を飛んで潜れ。火傷を負っても死んでも責任は負わないが、選択肢はお前にはない』と言って飛ばせるようなものと想像すれば理解は容易い筈だ。
 しかし――。
「でも」思考する途中で、ピエロがぼやく様に続けた。「私達はビスタを信頼しているし、ビスタもそうだと信じたい――そうじゃなかったらきっと噛み殺されているだろうから。そんな関係性が出来ている気がするのに、水を差されるのは気に入らないのよ」
 ……一理はある。
 もし、もしだ。動物が進んで――サーカスで危険な演目を披露する人間と同様に、エンターテイメントを提供するために自発的に参加しているとしたら、それは虐待ではない。
 その仮定には、『動物には感情がある』という哲学的命題と『動物の感情を完全に理解できる』という技術的命題とが立ちはだかる。ピエロの言い分では哲学的命題は真であるとし、技術的命題はある意味放棄して状況証拠で判断をしている訳だ。
 だからこそ『ビスタも』なのだ。科学的確らしさではなく、想像上の確信でしかない。
 とは言え、それが正しいと思う。『動物の感情を完全に理解できる』という命題そのものが絶対に不可能だからだ。
 逆に問いたい。人間同士ですら理解し切れない感情を、一体どうして動物相手になら出来ると思えるのか、と。自分には皆目見当が付かない。

 ――以上を踏まえて。
 ビスタは一体どちらか。完全にピエロの虜となって取り込まれたか、或いは。
 味方は、多い方に越したことがないのだ。何度言っても言い足りない。

「じゃ、入るわよ☆」
 ピエロが口調を元に戻してテントの入口を開ける。獣臭さが中から広がってくるが、掃除は高頻度でなされているのかキツすぎる事はない。
 中には、檻の中でリラックスするライオン――ビスタがいた。此方を一瞥するなり、気の抜けた欠伸を1つ。たてがみが揺れる。
「ビスタ!」
 ピエロが声を掛けると、ビスタは再び振り向き、体を起こして近づいて来る。普通ならば恐れ慄く光景だが、何故だかそこまでの恐怖を感じなかった。
 全く、このサーカステントに来てからというもの、客観的に見て正しい感情が浮かばなくなるくらい、感情がぐちゃぐちゃだ。……ぐちゃぐちゃになるだけの感情は残っていたらしい。
 嗚呼、閑話休題。
 丁寧な手入れと丁重な世話をされているのか、火の輪潜りという危険な演目をしているにも関わらず、綺麗な毛並みをしていた。先程のテント巡りをしていても思っていたが、このサーカスはかなり労働環境が良さそうだ。
 恐らくは希望の意向によるところが強いのだろう。それは良いことだ。敵を褒めるのは癪だが、貶した所で何にもならない。
 貶したら、そもそもこのライオン――ビスタ以下の存在になってしまうだろう気がして。
「改めて紹介ね☆ ライオンのビスタよ! 年齢は、人間で言うと、ちょっとお爺ちゃんに差し掛かってるくらいかな」
「え、全然そうは見えませんよ! 若そう……」
 カナ、その言葉を人間以外に向ける人は初めて見たかもしれない。
「ご存知の通り、サーカスのメインで活躍してくれているのよ☆」
 希望は言いながら鬣をさらりと撫でる。目を細めてそれを受け入れるビスタは、その場に座り込み喉を鳴らす。猫科である事を痛感させられる光景だ。
「誰が撫でたって大丈夫なんだから☆ ほら、奇季も!」
「じゃあ、久々に撫でさせて貰おうかな」
 そう言ってマジシャンがビスタへと手を近づける。その瞬間だ。
 ぐわ、と口を開け、マジシャンの手首から先を呑み込んだ。
「え」
 マジシャンが素っ頓狂な声を出すと同時、ビスタは再び口を開けた。手首から先は――存在していなかった。
「え、えっ、あ、だだだ、大丈夫ですかっ!?」
 突然の事故にカナが慌てふためく。自分も2割程はそうだ。残りの内3割は『敵が勝手に傷を負って』だ。所詮自分は生物失格。同種が傷ついても平気の平左で見ていられる。
 究極的にカナ以外はどうなっても良いのだから、それが然るべき反応というものだろう。
 しかし、その『得した』という感情には
「いや、大丈夫だよカナ」
「えっ、えーた!? これの何がどう大丈夫って――!」

 ――そう。『、得したな』という注釈付きの感情。
 だから、残り5割の感情はこうだ。

 『』。

「……あはは。えーた君、だっけ? 鋭いなあ」
 申し訳程度に舌を出し、手首から先の無くなった部位を残る片手で隠す。それから手を退けると喰われた筈の手が元に戻っていた。
 そう、そういうマジック。百戦錬磨のマジシャンなら訳ないだろう。きっとビスタも共犯なのだろう。ここまで示し合わせた様なマジックだ、幾度となくやって来たに違いない。
 しかし、そうするとビスタもかなりこのサーカスに取り込まれていると見て良いかもしれない。人間と獣が分かり合えるのかという根本的な問いは残っているが、もし味方にできるなら味方にしてみたかったものだ。
「もう! もう! キキさーん!!」
 横でカンカンに怒った口調でマジシャンをポカポカと叩くカナ。本気で心配したのだろう。
 カナの本気の怒りを見たマジシャンは、殴られるまま頭を下げた。
「……すまなかった。そこまで本気で受け取ってしまうとは思わなかったんだ」
 ……腐っても人を楽しませる職人エンターテイナーらしい。人を悲しませたり怒らせるなんて失格でしかないからだ。

 失格、か。
 親近感の湧く響きだ。
 ……何、親近感を湧かせてやがる。

 謝った奇季に誠意を感じたのか、カナは「……ううん、大丈夫です」と笑みを浮かべていた。
「……えーと、カナちゃん」ピエロも言い辛そうに言葉を繋ぐ。「本当はビスタに触って貰おうと思ってたんだけど……どうするかはカナちゃんが決め――」
「触って良いんですか!?」
 言葉を遮って目を輝かせる。
 凄えな、人を食うマジック見せた後だぞ? この辺りの怖いもの知らずというか切替が速いというか……。
「ど、どうぞ☆」
 流石のピエロもカナの感情の移り変わりの速さには驚いたらしく、珍しく狼狽えた。そりゃそうだ。自分も引いてる。
 カナは目を輝かせながらビスタに近づく。ビスタはカナに敵意が無いと察したか、目を閉じて座り込む。完全にカナに対して警戒を解いている。
 そのままカナは鬣に触れた。「うひゃあ」とか「お〜……」とか言いながら楽しそうだ。
「どう? ライオンの鬣は?」
「思ったより、ごわごわしてます……!」
 へえ。まあ毛は硬そうだなと思ったけど……。
「一説には敵から身を守る為とも言われているしな、だから柔らかく出来てないんだろう」と継ぐのは奇季。「後は、相手に威圧感を与える為、とかな」
「……確かに、めちゃくちゃ怖いですもんね、前に立ったら」
 百獣の王たる所以だろうな。
「ねえ、えーたも触ってみたら?」
 鬣を片手で撫で撫でしながら、もう片手で招く様に指先を動かすカナ。
 そうだな、折角の機会だし――。

 ……。

「……えーた?」
 ……ビスタの目が、見開いた。
 それから、自分のことを見ていた。
 ビスタの目には、どこか友好的というか――協力者的な視線を感じる。
 それがどうした――と一蹴しても良かった。カナに対しても気を許す程の、このライオンの特異性によるものだ、何も気にする必要はないと。
 なのに、どうにも割り切れない。
 ……本当に、このサーカステントに乗り込んでから自分が変だ。全部このピエロ――京戸希望のせいだろう。
 最早今の感情や感覚が正解かすら分からないのだ。採点者は自身以外いない筈なのに。
 そもそも、ライオンから何らかの情を感知すること自体異常だ。

 それでも、無視できず。

「……えーたってば」
 そんな視線でライオンに射抜かれれば、対等に接する他は無く。
「……
 結局自分は、カナに勧められたにも関わらず。
 ビスタを撫でることは

***

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