小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 10)
Episode 10:嘘。
「も〜、勿体ないことしたね、えーた!」
「む、む」
テントを出た後、カナどころかピエロに抱っこされる曲弦師にも頷かれた。何故だ。曲弦師、お前に自分の何が分かる。
「もしかして、ビスタにビビっちゃったの〜?」
「うむ、うむ」
悪戯っぽく言うカナに、また曲弦師が頷く。……自分は今見も知らなかった他人に弄られてるな?
まあ、何でも良いけど。
どの道倒すべき相手なのだ、無理に仲良くする必要も良い印象を抱かれる必要もない。
「ビビった訳じゃないよ。猫アレルギーなんだ」
「初耳なんだけど!」
長らく一緒にいるのに知らない事が出て来たのが驚きなのか、効果音に「ガーン」とピアノの不協和音が鳴りそうな表情で驚く。
しかしカナが知らなくても仕方ない。何故なら猫アレルギーは嘘だからだ。
「……うーん、それなら仕方ないか」
カナは納得してくれた様だった。カナさえ納得してくれればそれで良いかと思いつつ。
そろそろ登場人物が多くなってきたから、頭の整理の為に改めて戦況分析だ。
(恐らく)他人の感情を自分に好意的になる様にさせるピエロ、京戸希望。
高度なマジックを披露するマジシャン、奇季(苗字は聞いていないから不明)。
曲弦師(能力詳細不明)、糸弦操。
そして百獣の王、ライオンビスタ。
不確定情報が多いものの、これだけ敵(潜在的含む)が多くては勝ち目がない。
更にサーカスにはまだまだ団員がいる。最初に訪れた練習場には少なくとも数十人がいた。もし全員が敵であったとしたら――とてもじゃないがカナを逃すので精一杯だ。自分は殺されてしまうだろう。
……本当に夢果に顔向けできなくなってしまうな。物理的な意味で。
それ故、切り札を抱えているのだが、まだ切るべき場面では無い。ギリギリまで引きつけなければならない。
――今、自分は落ちたら死ぬ急流を背に立っている。引きつけた上で、相手が襲い掛かった時に身を翻し、逆に相手を急流に突き落とす。これぐらいしか勝ち目が無いのだ。
しかもその手段は1度失敗すれば2度と使う事はできない。
戦場らしくなってきた。なって欲しくなかった。残念ながら自分は戦闘狂ではない。口角は上がらず下がるばかりだ。
「でも楽しいね! 外から見ているだけのものの内側を見るとワクワクしちゃう!」
一方のカナは目を輝かせながら手をぶんぶん振る勢いで言う。楽しいのは本当なのだろう。非日常体験は程好い刺激となって退屈を一時期和らげてくれる。カナと過ごす非日常体験は何かとトラブルが多く、刺激が強すぎて退屈を殺してしまっている気もするが。
常々思っているが、自分は何でもない日常が好ましい。刺激を求めている者には只々愚かしさを感じる程に。
何故人は非日常を求めるのだろう。日常から外れたものなんて碌でもないことばかりだと言うのに。
理論的には理解できる。太古よりハレとケの日が設けられている通り、人は非日常的空間があるからこそ日々の鬱屈を発散することが出来る。そうして心の穢れを晴らして、また労働の毎日へと戻っていく。
しかし、薬も過ぎたれば毒になる通り、非日常も過ぎたれば災害だ。
そんな非日常で人が死ぬのを見るのは、もう沢山だ。
自分の代で終わりにしなければならない。
ぐるるるる。
自分の思考のキリが良い絶妙なタイミングで、奇妙な音が鳴り響く。
発信音はカナ――お腹を押さえて顔を赤らめてるから何の音かは明白だ。
「……お腹、空いてる?」
希望――ピエロが尋ねると、ビクッと体を震わせる。顔が真っ赤なまま手をぶんぶん振って否定する。図星だ。
「ままま、まさか! 先程お菓子を頂きましてですね、そんなわけないじゃないでありませんかー! あ、あははは……」
もう面白いくらいに動揺してる。思わずクスッと来た。それはカナ以外3人も同じだった。だろうな。
「いいのよ、遠慮しなくても! そうよね、もうじき夜になるし、このまま夜ご飯食べて行ったらどうかしら?」
……だが、この展開はまずい。
ズブズブと、ズルズルと。このサーカス集団に引き摺られてしまう。そうなったら愈愈勝ち目がない。どんな形の戦いであれ、相手のペースに呑まれたら終わりだ。この場合は、スペースに呑まれたら終わりなのかもしれない。
戯言を言ってる場合ではない。先手を打たねば。
「いえ、そこま――」
「良いんですかっ!?」
カナが食い気味に尋ねる。お、遅かった……。
「勿論☆ 普段の食事だからそんなに豪勢なものは出せないけど、量はあるから少しなら大丈夫よ!」
「やった! ね、えーたも良いよね?」
「……ああ」
残念ながら自分は、唯一と言っても良い身内に厳しくなることはできない。決められた通りに首肯する。
「そうしたら、食堂に案内するわ☆ ついて来て!」
大仰に手を振りながら先頭を行くピエロ。そこにカナと曲弦師が我先にと着いていく。その後を自分が、少し遅れてマジシャンが行く。
***
料理は確かに豪勢ではないが、味は中々良かった。メニューは、大量に作ることが出来るためかビーフシチューである。丸々とした体の兄弟――名前は、肥前飽満と八満というらしい――が作っているらしく、汗一つかかずにせっせと大量のブラウンソースをかき混ぜていた。
出されたビーフシチューも、悔しいことに美味しそうだ。てらりと輝く人参と崩れて角のない馬鈴薯、マッシュルームと豚肉が入ったオーソドックスな仕上がり。匂いも香ばしく空いた腹を刺激する。付け合わせはフランスパン、腹を満たすにも充分な長さだ。
「わあ……美味しそうですねっ!」
目をキラキラ輝かせるカナ。同意しているのか、「む、む」と曲弦師が頷く。
「遠慮なくどーぞ☆」
その掛け声と同時、全員手を合わせ、それから各々で食べ始める。自分はスプーンでソースを食べる……美味い。
これが食べられるのは中々に幸せなサーカス団だ……ではなく。
「んー! 美味しいー!」
「む、む」
目の前を見ればカナと曲弦師が頷き合ってる。「でしょー?☆」とピエロが声を掛ければ二人揃って首肯する。何か更に息ぴったりになってないか?
「で、どう? えーた君は?」
急に振り向かれて訊かれても、返答など一つしかない。敵意を悟られない為には、これしか。
「美味しいです。自分も参考にしたいくらいですね」
「お! レシピなら多分肥前兄弟が教えてくれると思うよ! お土産に教わったらどうかな☆」
お土産。
冥土の土産の間違いだろう?
「……後で教わります」自分は取り敢えず、皿に入ったビーフシチューを平らげた後(悔しいことに美味かった)、腹を摩る動作をしながら尋ねる。「それより、御手洗いってどこですか」
「トイレなら、ここのテント出て右手よ☆」
「少し、お借りしますね」
立ち上がり、出口へと歩いていく。「ごゆっくり〜」というカナの明るい声を後ろに。
食堂テントから出ると、まだ夜と言うには少し明るい。今は6月頃(もうそんなに経ってたのか。時が過ぎるのは早い)だから日が伸びているのかもしれない。
さて、勿論トイレに行きたいというのは嘘だ。
自分は何度嘘を塗り重ねているのだろう。嘘吐きは泥棒の始まりというが、こんなに嘘をついちゃあ大泥棒の始まりだ。
閑話休題。ならば何の為に出てきたのか。
……どうしても、どうしても気になってしまったからだ。
「確か、テントはここだったな」
記憶を頼りに目的地に辿り着いた。記憶力だけは良いのだ――人の名前を覚えられるし、一度した約束もあまり忘れない。
このテントの色も獣臭さも同じだ。忘れる筈がない。
誰も人がいなさそうということを確認して、テントの入り口を潜る。
そこには既に夕食を喰らったのか、口周りに肉の欠片を付けるライオン、ビスタが座っていた。
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