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小説『生物失格』 1章、英雄不在の吸血鬼。(Episode 7)

1話目はこちらから。

Episode 7:可愛い狂気と狂人君子。

「えーた、えーたぁ!」
 思わず鉄パイプを床に落とした自分に、カナの悲痛な声が届く。
 まあ、それはそうだろう。ナイフが恋人である自分の腹に突き刺さっているのだ。こんな異常事態を前にして冷静でいられる筈がない。
「えーたぁっ! え――」
「うるせえ、餓鬼。黙らないとコイツをとっとと殺しちまうぞ」
 目の前の幽霊――いや、『幽霊を騙る男』は低い声でカナに言った。
 流石にカナも黙ってしまった。無理もない。そして、無理をする必要もない。だからどうか、今は何もしないでおいてくれ。
 ――そう心の中で言い切った後、カナが黙ったことに満足したのか、男が自分に話しかけてきた。
「どうだ、痛いだろ」
 ……。
 その問いにどう答えるか、一瞬迷った。が、最適解はやはりこれしかなかった。

 人間らしい回答。
 ナイフで刺されたら痛いと返す、当たり前の返答をした。
「……その割には冷静だな」
 他人からすれば、人間でない何かを感じさせるらしいけど。今の男の様に。
 まあいい、と男は別に気にする素振りもなく続ける。
「痛みに悶え苦しんでいれば良い。なあ、ナイフをいきなり刺して悪かったな。いや、悪いとは思ってねえが。何故なら、お前みたいな希望も夢もある人間が、俺は嫌いだからだ。あらゆる人間を、俺はこの手で殺してやりたい――いや、違うな。この不平等な世界を殺してやりたいんだ」
「世界を殺す、ね」
 馬鹿げている。
 世界を殺すなんて、子供アニメの悪役か青年漫画の狂人のセリフでしかないからだ。夢物語で、机上の空論で、絵に描いた餅なのだ。
 たとえそれを現実の人間が吐き捨てたとしても、そして実行したとしても、世界なんて殺すことはできない。
 1人で世界を殺せたら、それこそ神だ――世界を創造した神と同じだ。だが人は、神にはなれない。精々が怪物だ。
 ……どうでもいいか、そんなことは。
 目の前の男はぺらぺらと発声を続けている。
「世界は凄絶な程に非対等で、壮絶なまでに不平等だ。生まれからスタートは違い、受ける報いも人によって違う。裕福な家に生まれるヤツもいれば、貧乏な家に生まれるヤツもいる。健康で一生過ごすヤツもいれば――」
 そこまで言って、男は巻いている包帯を指さした。
「俺のように、一生日光を浴びられないヤツもいる」
「……」
 ちらり、と横に目をやった。
 カナが震えている。恐怖と緊張に呑まれ始めている。
「俺は、病気に罹った――奇病だよ。日光に当たらない病気。病気の名前は忘れちまったがな」
「……」
「あの日、俺は人間としての生活を失った。いや、奪われたんだ。何の言われもなく何の理由もなく」
 人間としての生活を奪われた。
 それは、この世を呪うに足る理由ではあるが――。

「――何で、俺だったんだよ!!!」

「っ!」
 怪物が、いきなり叫びやがった。
 かと思えば、へらりと笑い始める。
 ……情緒不安定が過ぎる。
 カナは、もう今にも泣きそうだった。が、ギリギリで嗚咽を堰き止めている。
「……ってな、今も思うわけだ」
 ……狂ってるな、コイツ。
 まあ、今時珍しいことじゃないが。
 新幹線の中で無差別に人を刺した挙句、無期懲役に処されて万歳三唱する野郎もいれば。
 若さを得られると本気で信じ、若い女性を解体して血を浴びるように飲んだ女王もいた。
 今も昔も、東も西も、現実でも虚構でも、どいつもこいつも狂ってる。
 だから別にどうってことはない。
 こんな狂気は可愛いくらいだ。幼稚園児レベルでしかない、ありふれた狂気。
「俺は身に余る不平等を俺に押し付けたこの世を恨んでいる。そこに恣意も故意もなかったとしても、関係がない。俺は不平等を受けた。それに対して恨み、攻撃するなんてのは当然のことだろ」
 ……もういいか。
 コイツの話を聞くのにも飽きたし、何よりカナの精神が保たない。
 早く終わらせて、家に帰ろう――いや、この腹の傷があるから家に帰れるような状態じゃないだろうけど。
 それでもとにかく、早く終わらせる。そのためには何をするか。
 相手を黙らせるしかない。
 では、黙らせるにはどうするか。
 ――実に、簡単なことだ。

 相手の幼稚園児並みの狂気に対して、で返せば良い。

「……ああ、スッキリした」
 男が近づく。
 そろそろ『自分を終わらせる』気の様だ。それでいい。
「そろそろ、テメエを殺してやるとするか」
 それでなくては、こちらも狂気を浴びせられない。
 男は自分の目の前に来て、腹に刺さったナイフの柄を掴む。
「まずはめった刺し。それで終いだクソ餓鬼」
 そして引き抜こうとした。

 ……が、できる筈がない。
「……は?」
 ――ナイフを掴んだ男の手を自分が掴んでいるからだ。離すまいと、腹に刺さるナイフを愛しく思うように。
 だが、まだだ。コイツを黙らせるには――コイツの狂気を易々と超えてやるには、あと幾つか。
「……はっ」
 作り物の凶悪な笑みを浮かべて、男を見つめてやる。
 次だ。間髪入れずに次の狂気を叩き込む。
「さっきから何を甘たれたこと言ってんだよ、幽霊」
「……っ!?」
 怪物はたじろぐ――痛みすら感じていないような、芯の通った自分の声に。
 思わず怪物はナイフから手を離す――ああ、千載一遇のチャンスだったのに、残念なことをするものだ。
 所詮は人間か。怪物になろうとして怪物になり切れなかった、ただの人間。
 ならば、人間は人間らしくとっとと光の世界へ帰れ。別に闇の世界で死んでも、自分は何も言わないが。
 だから、ここから先は過剰攻撃オーバーキルだ。こいつの生死なんて、心底どうでもいい。
「この世は不平等で不公平。そんなものは当たり前だ。お前が世界を恨むことなんてよりも当たり前のことだ。お前は世界を恨んでるんじゃねえ――この世界から救い出してくれるヒーローってやつが出てこないことに苛立ってるだけの子供だ。或いは世界を壊してくれる神ってやつが出てこないことに、か?」
「お前……何で」
「だから自分が自分を救おうとして、自分が世界を壊そうとして、怪物にでもなろうとしたんだろ? いや実際は『幽霊』か。お前じゃ神にも、英雄にすらもなれねえからな。だが生憎、怪物になることすらお前には夢物語で、机上の空論で、絵に描いた餅だ」
「何なんだよお前……」
「ま、夢物語を達成しようなんて、24時間連続で放映する番組よろしく御涙頂戴の物語だけどな。あの番組は好きでも嫌いでもないけどよ、少なくともお前よりは崇高らしい人間は出ているぜ――お前みたいな『幽霊』と言われて世間的に死んでいる引きこもりよりはな。世界を殺したいのなら――それだけこの世を恨んでいるのなら、爆弾でも何でも作ってとっとと無差別に殺せばいいだろ。殺しに酔って、殺しに縋れば良い。怪物に、身を浸せば良い」
「何なんだって訊いてんだよッ!!」
「ちなみに、そんな物理的な殺しに縋りきれないのなら黙殺すれば良いぜ。存在を無視していない者としてしまえばいい。弱冠15歳の、狂人君子からのアドバイスだ。……良いじゃねえか、他人なんて無視して平穏に生きてくたばれば。周りを気にして自分と比較して、嫉妬と羨望に塗れた言葉を吐き散らしても、世界は変わらねえんだからよ。だったら自分にとっての世界を変えるために、自分を変えちまえば良いって話だ」
「こ、この化け物がッ!」
 とうとう男はそんな言葉を吐き捨てた。
 『化け物』か――そんな言葉は、1年くらい前に聞き飽きた。
 痛みに悶えず、淡々と虚な戯言を話し続ける人間なんて、確かに怪物に見えるだろう。少なくとも傑物では有り得ない。
「どうせ自分は人間じゃねえよ――人間じゃねえってのは『言葉の綾』だけどな」
 俺は怪物の目をしっかりと見て、答えてやった。
 ――俺がここまで動いたことで、漸くカナも動く気になったらしい。
 俺の名前を呼びかけた。それに対して、大丈夫と笑みを返してやった――返せたかどうかは分からないけど。
 次にカナはスマートフォンで色々と操作をし始める。大方警察とかその辺りを色々呼ぶんだろう。そのまま外部へのSOSは、カナに任せてしまおう。
 俺の役目は、別にある。
 恋人を守ること。そしてそのために、今目の前にいる障害を黙らせることだ。

 さあ、この下らない幽霊屋敷ごっこに、とっとと幕を下ろそう。
 やはり、過激な刺激のない日常が――カナと謳歌する平穏な日々が一番だ。
「……お前っ」
 目の前にいる廃屋の怪物は、震える声で問いかける。
「何者……なんだ!」
 その陳腐な問いに。自分は、何ということもなく答える。
 驚くほどに、はっきりとした声で。
 生物に必須の痛覚を失えば、こう呼ばざるを得ないという確信を持って。

「『生物失格』だよ」

 ――落とした鉄パイプを、拾い上げた。

次の話へ。

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