見出し画像

小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 7)

目次

Episode 7:敵地侵入と再会。

 ――ということで、退屈な日常を飛ばして翌週土曜日。

 昼過ぎ、サーカス団『ノービハインド』のテントを訪れた。金曜日昨日が最終公演だったそうで、今日に片付けや休暇に時間を費やし、明日には街から撤収するそうだ。
 明白で軽薄な計画だと思った。
 あくまで自分の推測ではあるが、決行は今日。どこかのタイミングで自分を殺害するに違いない。それから明日までに処理を終え(方法は幾らでもあるが、倫理と禁忌を無視すれば一番やり易いのは食材にしてしまうことだろう)、街から死骸諸共出て行く算段だろう。
 愚かにも程があるし、おろそかにも程がある。日本の警察の捜査力を舐め過ぎな不完全犯罪だった。街中に監視カメラがある状況下で、逃れられる筈は無いのだ。
 何よりこちらには夢果がいる。自分が死んだとなれば、夢果はどんな手段を使ってでも犯人を追い詰め問い詰めるだろう。……追い詰めてくれると良いな。そこは、友人という関係性を信じるしかない。

 しかし。だからこそ。
 京戸希望の計画は、こうとも言い換えられる。
 それだけ杜撰な計画でも構わないと思っている程に、、とも。

 ……そうだとすれば、もう如何しようもない。
 だからと言って、神様にお祈りをする訳にも、部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする訳にもいかない。その先に待ち受けるのは、ただただ虚無で無駄な死のみだ。
 自分はカナを守る――大人しく殺される訳にはいかない、子供らしく未来の為に生きなくては。
 反論を待たず、勿論不退転ではあり得ない。殺されたくも死にたくもないから、この1週間、背水の陣を引く振りしてせっせと橋を建造してきた。なるべくなら、を使わずに終わらせたいところだ――余計な借りで人生を悩ませたくはない。
 人間は生きる為に貸し借りというシステムを作ったが、決して楽に生きられる為ではない。楽なのは一時だけで、借りたら返済義務に追われ、最悪破滅する。最悪の一途をも辿り得ることに、自分は時間を使いたくなかった。

 ……という訳で。
 前置きが長くなった。そろそろ目の前のピエロの話を聞き始めるとしよう。
「おー☆ 約束通り来てくれてありがとうね!」
「私、ものすごく楽しみだったんですから!」
 目をキラキラと輝かせるカナと、明るい振る舞いをするピエロはハイタッチを決める。
「今日はよろしくお願いします」
 取り敢えず自分は礼をしながら挨拶をした。手合わせを願う状況の様で笑えてくる。……手合わせ? 果し合いの間違いだな。
 これから行われるのは命のやり取りだ。但し、自分は命を奪うことができない。そういう枷を付けられているからだ、この隣にいる恋人に。
 別に人を殺したい欲求は無いが、殺される前に殺すという先制攻撃は絶対に仕掛けられない。
「うんうん、よろしくねー☆」
 希望のぞみはやはり、可愛らしい笑みを浮かべる……普通の、普通の! 笑みを浮かべる。気をしっかり持て、此処は戦場だ、先が思い遣られるぞ死城影汰。
 しかし、本当におくびにも出さない完璧な営業スマイルだ。殺したい程憎い相手がいて、その上で悟らせることもない笑顔を出せるのは途轍もない精神力である。
 この世は舞台で人は皆役者――そんな言葉を思い出す。その意味では、ピエロはベテラン役者だ。自分の大根役者振りでは及ぶべくもない。
「それじゃ、早速お詫びと言ってはアレだけど、サーカスの舞台裏へ潜入して行こうー!☆」
「おー!」
 自分は乗り気がしなかったが、取り敢えず腕を上げた。腕の上がり方が足りないのかテンションの上がり方が足りないのか、或いは両方か、「ノリ悪いよー?」とカナの頬を膨らませてしまった。
 ……本当に、先が思い遣られる。

***

 テントの中では、様々なことが行われていた。片や片付けが行われ、片や演技訓練が行われる。この攻河町での公演は終了したが、移動サーカス団の公演は半永久的に終わりがない。次の町、その次の町、その次の次の……と。金を稼ぐ為には動きを止める訳には行かない。実に生物的だと思った。現代の人間と異なり、生物は餌を求めて常に移動を続けるからだ。
 だからこそ今も様々な演技訓練がごった返しているのだが、しかし、これは。
「……ほえ~……」
 隣でカナが言葉を失い、ぽかんと金魚の様に口を開けていたが、さもありなん。
 空中ブランコ。アクロバット。ジャグリング。一輪車。竹馬。組体操。マジック。大道芸張りの椅子積み上げ。超絶演技の大渋滞だ。その横で道具の掃除や設備の片付けに走り回る人達。
 その全員が、全くぶつかり合わない。当然だ、予定通りだと言わんばかりに、事故も謝罪も起こらない。此処まで統率と調和の取れた動きを、自分は嘗て見たことが無い。幾つか、有名な体育系大学がアクロバットを披露しながら全くぶつかり合わないという演目を見たことはあるが、アレとは次元が違い過ぎる。
 演目の中でぶつからないことは当然だ。それを演目外の日常でも実現させるなんて、最早異常である。
「私達は長い間共同生活をしているからね☆」
 感嘆の目を向けている自分達に、ピエロが解説を加える。
「だから細かい癖も行動様式も全部つぶさに分かるの! それをずーっと続けて行けば、いつかは『息ピッタリ』という状態になるものよ☆」
 それは言い得て妙だと思った。
 一緒にいる時間が長いということは、良くも悪くも、その人の本性を垣間見る瞬間が増えるということだ。
 もしも普段から素で接していれば本性はそれ以上暴かれることはないが、人間はそこまで上手くできていない。普段から虚飾を塗り固めて仮面を覆い被せている――今の自分とピエロの様に。だから、常に時間と空間の共有を強制される空間では、本性がボロを出してボロボロ出てくる。
 それを経た『息ピッタリ』とは、信頼関係ができていると言い換えられる。信頼とは、その人が良い人だと思い込むこと
 前者でしか『信頼』を捉えていない人は、悪いところがあらわになると途端に『裏切られた』と思うのだ。「良い人だと思っていたのに!」という風に。元々悪いところがあるというのに後で知って『裏切られた』なんて、あまりにも虫が良すぎるし人が悪すぎる――そしてこれは、サーカスでは命取りだ。
 文字通り、命を取られかねない。
 だからこその、共同生活なのだろう。
 それを最大限考慮して最大数を差し引いても、このシンクロ率は異様だが。
 ……そう言えば、演目にはナイフを使ったものもあった筈だ。辺り一帯ざっと見渡すが見つからない。
「――ナイフ投げ系は別のテントよ☆」
 っ! おいおい、急に耳打ちしてくるな。鳥肌が立つ。
「だってまた気を失われても困るからね」
 ……最低限の配慮ってことか。その情けをどうかカナだけでなく自分にも分けてくれないものか。それは夢物語だろうな。
「あ、君達!」
 そんなことを考えていると、1人の女性がやって来る。スーツ姿に身を包むマジシャンだ。舞台で一緒になっていたからか、流石によく顔は覚えているようだ。
「ようこそ、『ノービハインド』の舞台裏へ――ビハインドがない筈なのに舞台裏なんて、可笑しな話だけれどね」
 全くだ。
 裏があり過ぎて困る、このサーカスは。
「あ、あの、あの時は……」
 カナが急にしおらしくなって頭を下げる……舞台どころか公演を滅茶苦茶にしたという責任と自覚があるのだろう。
 違う、それを言うなら自分の方に責任がある――カナは何も悪くない。というか、むしろ自分の方が大迷惑をかけた。
 階段から転げ落ちてしまい、完全に進行を堰き止めたのだから。

 ……

「いえ、自分がちゃんと見ていなかったからです。それに自分も公演を止めてしまいましたし。すみません、ご迷惑をお掛けして」
「え、えーたは何も悪くないよ!」
 あたふたと自分のことを庇おうとするカナ。嬉しいけれど、違う。カナを守ると決めたのはこの自分で――。
「いやいや、2人とも悪いわけがないじゃないか」
 ぐい、と自分とカナの間に割り入る形で口を挟んだのはマジシャンだった。
「どういう演目であれ、楽しませるどころか怪我までさせるなんてエンターテイナーとして失格だから」
 その顔には、謝罪を抑え込もうとした笑顔が張り付いていた。粘着力が弱いのか殆ど剥がれかかっていたが。
「お詫びと行ってはなんだけど、暫くこのカオスな練習風景見たら休憩しないかい? 甘いお菓子とかあるし、ご馳走するよ」
 マジシャンの申し出は断りたかった。敵地ど真ん中で受ける饗応など碌なものじゃない。第一、敵にこれ以上塩を送られたくはなかった――いや、お菓子だから砂糖を送られたくはない、か。
 兎も角も、しかしながら。申し出は甘んじて受け取るしか無さそうだ。
 横でキラキラ目を輝かせる恋人の姿を見て断るなんて、この世の人間に出来るだろうか?
「……では、お言葉に甘えて」
 甘い物を受け取るとしよう。
 カナは「やったー!」と万歳しながらストレートに喜んだ。この可愛い反応が見れただけ良しとするか。

次↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?