小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 8)
Episode 8:曲弦師。
暫し異様なシンクロ率の練習風景を飽くこと無く堪能したところで、別のテントに連れられることとなった。それが休憩スペースらしく、件のお菓子があるらしい。広場を目一杯使っているからか、目的別に沢山テントがある様だ。
「奇季のお菓子、すっごく美味しいんだから☆」
「え、そうなんですか! 俄然楽しみです!」
ピエロの言葉にカナが尻尾を振る様に返すと、マジシャン――奇季という名前らしい――は頬を掻く。
「あはは、あんましハードル上げないでよね〜、ノゾミさん」
「どれだけハードル上げたところで越えられる癖に☆」
「もう……」
と言いながら女性2人が会話をする。それなりに仲は良いようだ。
興味は無いが。興味は無い。断じて無い。
「さてさて、じゃあ座って!」
マジシャンに勧められるがままに座る。机の上には何も置かれていない。恐らくこれからお菓子の乗ったお皿を持って来るのだろう――と思ったが、どこにもお菓子の姿が見当たらない。
「大変お待たせしました!」
恭しく礼をするマジシャンの腕に掛かっているのは、布。
……とすれば、行われることはただ1つ。それを察したのかカナもワクワクした表情で待ち構えている。
予想通りに、マジシャンは布をテーブルに掛け。
「1、2の――3!」
指を鳴らす。
布が取られるとそこには――皿に盛られた多種多様なクッキーの山。
「わあっ! すっごい!」
「ふふ、これはサービスよ」
マジシャンは悪戯っ子っぽい笑みを浮かべた。
「ありがとうございますっ! えーと、キキさん?」
「おー! 名前を覚えてくれてて嬉しいな! ささ、早くお食べ!」
はにかみながらマジシャンが勧めるので、カナは早速クッキーを手に取り齧る。チョコチップクッキーが砕ける音が響く。こりこり、と音を数回鳴らすときらりと目に輝きが宿る。
「美味しいっ!」
感動のあまりカナ、大声を上げる。そんなに美味いのか。オーバーリアクションに見えるカナに、マジシャンは頬を掻く。
「あ、あはは。何かそこまで喜んで貰えると照れちゃうね……」
「ほら☆ ハードルが高くなっても越えられるって言ったでしょ!」
「本当ですね!」
「もう、だからと言ってハードル上げて良い理由にはならないからね――ノゾミさん、そろそろパワハラで訴えますよ?」
冗談めかすマジシャン。それはそうだ――と思いながら、自分もクッキーを掴んだ。カナと同じチョコチップクッキー。
敵地のクッキーを食べるなんて自滅行為に等しいが、ここで食べない限りは余計に怪しまれる。大体、ピエロもマジシャンもクッキーを摘んで食べ始めたし、その時点で毒は無いと断じて良いだろう。仮に毒の入ったものを幾つか混ぜ込んだとしても、それを意図的に自分に食べさせる芸当は不可能に近い。如何にマジシャンとは言え、そんな超常現象は起こすことはできないだろう。
齧る。咀嚼する……呑み込む。
声は上げないものの、確かにこれは美味い。ただ甘いだけではなく生地の塩気も少し効いていてチョコの苦味も少し混じっている。しかもそれら全てが上手く調和していた。飽きずにいつまでも食べられそうだ。
「ね! 美味しいでしょ?☆」
「……はい、美味しいです」
「ね、えーたもそう思うよね!」
カナがずいっと割り込むと、ピエロと「ねー!」と意気投合していた。いやテンション上がりすぎだろ――とは思ったが、マジックを披露されて尚且つクッキーも美味いときたら当然か。
「もう、盛り上がりすぎ!」
マジシャンがピエロを小突くと「やったなー!」とピエロも小突き返す。仲が良いな、本当に。
「お2人、仲良いですよね!」
カナが純朴にそう尋ねると、「でしょ?☆」と可愛らしくウインクをしながら希望――ピエロが返す。
「皆大体はこんな感じで仲が良いのよ? あ、中には入ったばかりで馴染めてない子もいるけど」
……成程?
マジシャンが続けて口を開く。
「確か――あの子よね? 曲芸師――いや、曲弦師って言うのかしらね、あの子は」
「きょくげんし?」
初めて聴いた言葉だ。恐らく造語だろう――パズルで丁度いいピースが無い時に、材料を削って作る具合の。
カナが可愛く首を傾げて尋ねた疑問に、ピエロが答える。
「有体に言えば、糸を使う子なのよ。人形を操れたり、林檎だって切れちゃうの☆」
「す、すご……林檎切っちゃうんですか……」
……出来れば相手にしたくないな。が、これは有益な情報かもしれない。
如何にピエロの異能じみた魅了があれど、入りたてならばまだ彼女の魅了に落ち切っていない可能性がある。
つまり、自陣に引き込む余地はある。
後で人目を忍んで接近してみるか――?
「あら☆ 噂をすれば操ちゃん!」
――吃驚した。
背後に人がいつの間に立っていた。ボブカットの黒髪をした女の子だ。子供である自分でさえも「女の子」と表現しているのは、とても背が小さいからだ――自分よりも背が低い。小学生なのではないか、と思われても可笑しくない程。
どうも、この子が件の曲弦師であるらしかった。
「……よ」
眠たげな瞼のまま、挨拶なのか気怠げに肘から上だけを上げて返事をする操。彼女を呼び寄せるべくピエロが手招きする。
「紹介するわ☆ この子が新人の曲弦師、糸弦操ちゃんよ! それからこっちが――」
一瞬、ピエロが彼女に耳打ちする。
次の瞬間――少しばかり殺気が漂うのを敏感に感じ取った。何を言ったのか粗方の想像がつく。
だからこそ思う。先を越された――どころではない。そんな問題じゃない。
人知れぬ所で接近しなくて正解だ。感情表現が薄いからか洗脳されてるかどうか判らないが、それでも確信を持って断じられる。
ピエロやマジシャンと異なる、明確で隠匿なき殺意を抱いていると。
「こっちがエイタ君、こっちがカナちゃん!」
「よろしくお願いします!」
「……む」
心配を余所にカナは元気よく挨拶する。自分も挨拶を返すと同じく「む」と挨拶された。この子、基本的に無口なのだろうか。どうにもコミュニケーションが取り辛そうな子だった。
気疲れする。もう帰りたい。帰してくれる筈無いのだが。
「……と、さてさて。クッキーも食べて落ち着いたらだけど、何かしたいことはあるかしら?」
クッキーを摘んで口に運びながらピエロが尋ねる。その間にも曲弦師の頭を撫で撫でとしていた。心地よいのか、先程までの殺気は何処へやら、目を細めてほうと欠伸を1つ。子犬の様な子だ。
愛らしささえ覚える。……覚えたくなかった。覚えてしまうのだからどうにもならない。どうにかしたいのに、その前にどうにかなってしまいそうだ。
しかし――したいこと、か。即刻この場から抜け出す以外に自分は無いのでカナに振ると、カナはすぐにこう言った。
「ら、ライオンさんに会えたらなって思うんですけど……」
「ビスタのことね!」
ライオン、ビスタ。
あの火の輪くぐりをしたライオンのことか。
炎恐怖症のカナがちゃんと直視できて演目自体を楽しめた存在だからか、特別視しているのかもしれない。
……思えば、炎恐怖症なのにあの演目を見れたのって、このピエロの能力のせいじゃないだろうか?
もしそうなら、感謝は――一瞬くらいはしておいてやっても良いだろう。
「良いよ! 多分初めての人が来ると少しビックリしちゃうかもだけど、その辺りは私が宥めるから!☆」
さらりと怖い発言をするなよ。カナも怯えてしまうじゃ――。
「それなら安心ですね!」
……怯えなかった。
元々のカナの気質によるのか、はたまたやはり、ピエロによる影響なのか――。
自分には終ぞ分からぬまま、ツアー御一行は次なる予定地、猛獣の飼われるエリアへ足を向けることとなった。
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