小説『生物失格』 3章、封切る身。(Future Preface 3)
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Future Preface 3:期待値の低い期待。
――こんな話がある。獣に育てられた姉妹の話だ。
名前は忘れてしまったが、確か親に捨てられた後、獣に見つかる。だが姉妹は食われるどころかそのまま拾われ、厳しい自然での生き残り方を教えられ、正しく獣と化した。何年かして人間に発見された時には完璧に人間に敵意を示していた。結局人間の手により保護されたものの、遂に完全に人間になり切れる前に両方共に死んでしまった。
道徳の教科書にも載っている有名な話だ。そう、道徳――事実に対して人は一々、教訓を作り出したり捻り出したりする。自分も生物としては失格だが権利は剥奪されていない様で、学校でどんな教訓が導かれるかを教師に尋ねられたことがある。
面倒なことこの上無いが、答えなければ変に目を付けられる。それでカナと過ごす時間が減るのが嫌だと思い、仕方なく考えた末、自分はこう結論付けた。
自分はここから信頼という教訓を一つ汲み取れる、と。
赤ん坊というのは得てして一人で生きる事は出来ない。庇護する期間の長短が違う(その原因は生きる世界の複雑さによる。食う為に狩り取る自然界か、食う為に心情を読み関係に気を配る人工的社会かの違いだ)だけで、それは人間も動物も同じ。
従って赤ん坊は、自らを保護してくれたモノを信頼する。例えばそれが、普段は自分達の肉を喰らう猛獣であったとしても――喰われても仕方がないにも関わらず、自然界で独り立ち出来る様に育ててくれた。あの姉妹はそうした猛獣をこそ信頼していたために、初めは人間に対して敵意を向けたのだろうと思う。
猛獣と人間の間にも信頼関係は存在し得る。
しかし、あくまで存在し得るという可能性の話でしかない。確率としては『成立しない』方に傾いていて同様に確からしくない。つまり信頼関係を築ける期待値は低いのだから、期待する方がそもそも間違っている。
期待するくらいなら殺した方がマシだ。可能ならば逃げるべきだ。
……こんな教訓を昔に引っ張り出しておいて、自分は何をしていたんだろう、とせせら笑う。
そう、期待していたからだ。心の中で、或いは何処かで。
カナ以外なんて滅びても良いと思っていた自分が。
目の前で自分にのしかかり、肩に爪を立てて抉っている(らしい)大型の獅子に対して、信頼関係を築けるんじゃないかと思ってしまったのだ。
愚かにも間違って、思ってしまった。
「……全く」
自分は口を開く。
どうして自分は期待なんてしてしまったのだろう。可能性が限りなく低いことが発生するのではないかと願うことはどんな素人のギャンブラーでも思わない。況して生物失格が。期待なんてした時点で普通では無かったのだ。
多分、いや間違いなくピエロのせいだ。彼奴のせいで自分の感情も思考も何もかもぐちゃぐちゃだ。そういや、あのバラバラにされた死体を目にした時もそうだった――あの死体に対して一抹の憐憫が浮かぶ。
……憐憫だと? 自分はもう笑うしかなかった。他者の生死に興味がない癖に、憐れみを向けるなど!
……閑話休題だ。支離滅裂な退屈話は此処までだ。
とっとと殺せ。終わらせろ。言うべきこともさっさと言って、目の前の獅子を殺せ。
殺せ、死城影汰!
「期待なんてした自分が馬鹿だったよ」
二重の意味で。即ちこの状況と、期待なんてしてしまった生物失格と、両方に対して失望した。
さて、言いたいことは言った。
「――ぐ、る、オアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
対するライオンは天井へ向けて、ただ吼え狂う。そこには何の感情も宿っていない――宿るはずが無い。狂乱には感情は籠らない。狂気は狂気でしかないのだ。
なら、狂気には狂気で応えてやろう。
狂人君子からお前へ、せめてもの手向けだ。
自分はナイフの柄に力を込め、ライオンの顔に目掛けて突き刺した。
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