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小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 15)

目次
前話

Episode 15:静寂の作戦会議。

 風呂場でもあれだけ騒がしく、テントに帰って来ても賑やかさを保っていたサーカスは、就寝時間を迎えると嘘みたいに森閑としていた。
 月明かりに照らされるテント群。一転して不気味な雰囲気が漂う。くだんの幽霊屋敷で抱かなかった感情だ。自分にとっては、月並みな言葉だが『幽霊なんかより人間の方がよっぽど怖い』。
 音1つ響かないテントの間を通ると、それがまた不気味さを助長させた。少しばかりの警戒を備え、自分はとある場所へと向かっている――ビスタのテント小屋から奇季と共に出る直前、彼女が耳打ちしてきた集合場所へ。似た様なテントが並んでいるが、目印を見つけさえすれば一目瞭然だった。
(……地面に罰印、か)
 目的のテントは割とすぐ見つかった。駐車場であるからコンクリートの地面には駐車区域を区切る白線が引かれているが、その中に絶対に存在しない筈の白い罰印が書かれている。それを入口の前に用意するテントが1つ。
(……)
 テントの入口は閉められていた。布製の臨時家屋なのでしっかりした扉が付いている訳ではなく、ジッパーで開けるようになっている。
 自分は言われた通りに、ジッパーをゆっくり数センチ、開けては閉じてを3度繰り返した。それからジッパーから手を離すと、中からジッパーを開ける音が鳴った。奇季の姿を目にする。
「入って」
 自分はテントの中に言われるがまま入った。

 今、自分は有り得ない事をしている。
 カナを連れることなく、1人で別の女の所に行っていることなど。自分には考えもつかないことだった――何せ、夢果にだってしたこともない。
 だが、今は非常事態だ。こうする以外手段がなく、打破する為に自分はここに来た。そう、全てはカナの為。自分の行動は可笑しくなどない。
 あのピエロに毒されている訳ではない。決して。

「……よく来たね。手短にちゃっちゃと話しちゃおう」
「はい」
 奇季は昼間と変わらぬマジシャンの衣装に身を包んでいた。これが仕事着なのだろう――仕事着を身に包まないと気が入らない人がいるらしいのを聞いたことがある。彼女はその類かもしれない。
 エンターテイナーとして、自分子供達を無事に帰すという使命を果たす為に。
「まず、状況確認から」
 奇季は手書きの地図を広げる。自分が来るまでに書き切ったのだろうか。
「今いるのがここ」地図上の罰印を指差す。その指を紙面で滑らせ、ある一点で止めた。「そして出口がここ」
「カナがいるのは?」
 奇季が頷いて指を地図から離し、宙を移動する。罰印現在地すら通り過ぎ、出口から最も遠いある一点――このサーカス群の中心部に着陸した。
「ここ」
「……遠いですね」
 あまりにも不利だったが、予想してないことはなかった。出入口からも外部からも最も遠くに将を置くのは理に適っているからだ。戦国時代の城と同じ様なものである。それら城塞と異なるのは、要害が自然環境でなく人間達である点だ――ピエロの持つ異能(もとい呪い)により従順な兵隊が、彼女の身を固めている。
「カナちゃんを連れ出して此処から脱出し、警察に逃げ込むまでは、あまりにも遠い」
 計画の要点を交えながら奇季が同意する。
「カナちゃんを連れ出せば、間違いなくここのサーカス集団の人間は全員起こされる。そうなったら強行突破しかないんだけれど……」
「ですね」
 自分はその間自身の体を点検していた。傷付けても問題が相対的になく、かつ呪いの効果の高い箇所は何処かと。
 無闇には使わない。最終手段だ。体は資本であるし、第一これ以上自滅行為をすると本当にカナから嫌われてしまう。
 だが、それは使わなくても良さそうだという公算は大きい。
「……実はですね」
 此処で奇季に打ち明けることにした。銭湯で会ったあのパーソナルスペース破壊男のことを。

んです」

「……え?」
 素っ頓狂な声を上げた。奇季のそう言った声は初めてだった。
「それは、本当?」
「間違いないと思います。警察手帳も見せて貰いました」
 あの時銭湯で、こっそりと警察手帳を見せて貰っていた。そこには男の真顔のバストアップ写真と名前――鎌川かまがわ鐡牢てつろうが記されていた。名前の上には警部補。間違いなく本物の警察官アヒルだった。風呂場に浮かぶアヒルは、見事に風景に溶け込んでいた訳だ。
 ……まさか、ここまで手を打ってくるとは。夢果のお蔭だろう。どちらにせよ助けの手が早めに来ているのはありがたい限りだった。
 ちなみに奇季推しだと言ったことも伝えると、ちょっとビックリしていた。
「え、ええ……? 私? そう? そうなのね……」
 満更でも無さそうだった。頬が緩んでいる。が、直ぐに小さな咳払いと共に緩みは捨てた。流石はプロだ。
「……それはそうと。確かに新入りが最近入ったことは入ったわ。操ちゃんより更に後。でもそれなら好都合――希望の力が及んでないなら尚更。行けるかもしれないわね」
 彼と連絡を取ることはできる?
 その質問に対して首肯する。銭湯で会った時に連絡先の交換まで済ませてある。
 早速鳴らしてみると、ワンコールで出た。
『そろそろだと思ってたぜ』
 聞き取れるギリギリの声量が電話越しに聞こえる。
「……今しかありませんからね」
『計画の詳細は聞いてないが、差し詰めもう此処から逃げようって魂胆だろ?』
「加えて、自分の恋人の救出です」
『で、彼女さんは何処にいる?』
「ピエロ――京戸希望の元に」
『他に仲間は?』
「マジシャンの奇季、それからライオンのビスタが」
 矢継ぎ早で的確な質問。手慣れてる。
『成程……まあ取れる手段は幾つかあるな』
 手っ取り早く済ませるなら、と提案が上がる。
『陽動作戦。それこそ少年の脱出を手助けするのみならそれが良い。少年以外で各所で暴走して、彼を逃す』
「……とはいえ、陽動を行うあなた達が犠牲になるのでは?」
 確かにそれならば手取り早い。一般的な意味で問題があるとすれば、囮となる2人と1匹に恐らく明るい明日が無い可能性があるということか。
 自分にとってはどうでも良いが、それを口にすることはしない。ここでは団結が大事なのだ。だから敢えて心配の言を述べる。
『優しいな少年――だがごもっともだ』気を良くした鐡牢の声が続ける。『すると2つ目が強行突破。数の差で言うとお勧めはしないが』
「そういや何人でしたっけ、このサーカスの構成員」
「100は居るはずよ」
 4 VS 100以上。戦力差25倍以上。向こうは連携が取れているから戦力差はそれ以上に跳ね上がる。これもナシか。
『3つ目は――この夜の間中、少年だけがずっと逃げ続けることだ』
「……」
 現在時刻は22時。あまりに長い時間、標的として逃走をしなくてはならない。
 だが、これが現状では現実的とも言える。この狭いサーカス会場の中。或いは会場外。警察にでも逃げ込めれば勝ちだ。
 しかし。
「……それは、勘弁したいですね」
 出来ることなら拒否したい。
「カナを――彼女を置いて逃げることはできませんから。たとえ、カナが殺されないという確約があったとしても、もし自分が逃げてしまったらどうなるか分かりません」
 カナは、殺されない。
 但しそれは、自分が標的として此処に存在する限りの話ではないだろうか? 獲物か上手く逃げて続けてしまえばそんな約束は直ぐにでも反故にされる――つまり、人質とされる危険があるばかりか、生かしておく意味が無くなるのでは? 寧ろ、殺してしまって生首を掲げ逆上した自分を戦いに向かわせようともするだろう。
 弟の為なら半殺しも厭わない奴だ。有り得ない話じゃない。

 万が一、億が一にでもカナが殺されてしまったら。
 自分はカナを奪ったこの世界全てを呪って、呪って呪って呪い殺すのだろうか。
 奴らみたいに。

『……と、思い付くのはこの位か? 他に案があれば聞くが、無ければ決断するしかないぜ』
 どうする? と電話越しに尋ねられて漸く我に帰るが、正直難しい選択だった。これが大人の言う、答えの無い問いというモノだろうか。何となくそんな香りが――。

「私は一番最初の案でも良いよ。陽動作戦」

 ――声を上げたのは、奇季。
 確かに彼女はそう言った。
「ただねえ。ビスタが協力要請に応じてくれるかは分からないけれど」
『獣がモノを言うと?』
 鐡牢が少し驚いて応えると、奇季は「まさか」と続ける。
「喋れないわよ。ただ、動物にも心があると言いたいだけ」
『……成程』
 電話の向こう側で鐡牢が嘆息を吐いた気がした。
『良いね。動物にも心がある、か。お前、優しすぎると言われたことは?』
「察しの良いこと。あるわ」
『だろうな』
「……何。私、可笑しなこと言ったかしら?」
『いいや』
 奇季の質問に、鐡牢は独り言を呟いた。
『俺にはそんな優しさはないからな。あったらどんなモンだろうと思っただけさ』
 自分は黙った。奇季も同様に。これ以上の深い詮索は無用と判断して話を進める。
「さて、私は覚悟くらいは決めているわ。恐らく警察官も。ビスタは、私としては協力を仰ぐけどその答えがイエスでもノーでも実行はするわ。後は君の決断だけよ。えーた君」
 奇季は面向かい目線を合わせる。
「君が決めるだけ」
「……」
 正直、自分には分からなかった。
 何故この女は、ここまで自分に肩入れできるのか。出会ってまだ半日も経っていないというのに。ある種気味悪ささえ覚える。
「何故ここまで自分に手を貸せるのか、ってまた不思議そうな顔ね」
 ……奇季にまたしても心の内を見破られた。あのピエロとは別の意味で、目を合わせてはいけない相手だと思った。味方で良かった。……『味方』で良いはずだ。
「それは簡単――1つは前にも言ったけどプロ意識として君達を無事に帰したいから。人殺しに加担するなんて寝覚めが悪過ぎるからね。あとは、君と同じ様な理由よ」
「……というと?」
「私にも、いざとなれば助けてくれる人がいる」
 警察なんて大層な組織じゃなくて、一個人だけど、と付け加えた。
 一個人。確か彼女、一度だけ『師匠』と口にしていたが、その師匠とやらが助けになる人なのか?
 マジシャンの師匠が? それは何とも奇妙な話であったが、敵地に於いて寝返った豪胆な彼女がここまで信頼を置く人物なのだ。間違いはあるまい。間違っていたら死んでも恨んでやる。
「最終手段とやらが奇季さんにもある、ということですね」
「そ」
 だから、何とかなる公算が高いと。
 それはあまりにも自分の命を粗末に思い過ぎだが、しかし本人の申し出を断る義理はない。
 結構だ。決行しよう。
 カナを助けてそのまま逃げ切ることが出来るのであれば、お前らの生死は問わないのだから。
「……なら、次はビスタの所に行きましょう。鐡牢さん、ビスタのテントで集合できますか?」
『お安い御用だ』
 明るい笑顔を幻視しながら、その返答で以て通話を切った。
 自分は奇季と目を合わせて意思疎通し、可及的速やかに次なる目的地へ向かうことにした。

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