年明けの2週間は結構大変だった。

おはようございます。

明日から学校が始まります、などと言ってこちらに書いたのがもう2週間も前になるとは、時間の流れが早すぎて怖いです。
学校が始まってすぐレッスンが2度あり、本当にパスできたかどうか自信が皆目ありませんが、先週の水曜日には音響学の試験を片付けて、この間ホリデーが終わったばかりだというのに、またSemesterferienと言って、1ヶ月ほど授業がありません。なんだか変なシステムだなと初めは思いましたが、よくよく考えてみると藝大も同じでしたね。科の定期やら合わせやらで学校には行き続けていたし、休暇らしい休暇を取ることもしていなかったので、気がついていなかったけど。

楽器の方の調子はというと、年明け初回のレッスンで「次回までにBastaさらってきてね」とサラッと言われて、4日後の次回までになんとか形にしようとストレスフルなBastaチャレンジをしたりなどしていました。無伴奏の機会がある度に、BachとPersichettiに逃避していたことをこれほど悔やんだ4日間はありませんでした。でもおかげで、できないと思っていた重音を数日の練習とレッスンの数分で取得、調子に乗って翌日の即興の授業で「特殊技法のみを使って演奏する」というコンセプトを提案した結果、先生に随分と気に入ってもらって、なんかいい感じになったという相乗効果もありました。
この1ヶ月の休暇の間に、Bastaをきっちり仕上げてまたレッスンに持っていきます。初学期は低音とサウンドにフォーカスした選曲とエチュードだったけど、今回渡された曲たちをみるに、“土台ができたところで今度はハイトーンも頑張ろうね”月間にしようかな、と思っているところです。きっちりしっかり向き合って、またしっかり成長したい。

と言いつつ、真逆のことを言うようでなんですが、、、この休暇中に出る旅では、楽器を手放して出かけてみようと思っています。なんだかんだ楽器を始めてからいままで、そんなような休みも、旅も、持ってこなかったような気がして。

私は楽器を始めたばかりの時期から、羽生結弦選手に憧れていました。初めて感動して涙が出たのは5歳のとき、アンパンマンの映画を観た時だったと記憶しているのですが、そこから久しくその体験をせずに成長して、12 歳の時に記念すべき2度目の涙を経験、それが羽生選手の2013年全日本選手権のエキシビションでした。そのときの衝撃と、彼のような心を動かす仕事がしたいという思いが、私に音楽を選ばせてくれたし、その後も彼の中にある生き方の軸やスケートへの向き合い方を心底尊敬しながら、彼の前で胸を張れる自分かどうかを自分に問いながら、常に進んでいた部分があって。実際今もそれは変わらないし、今でもその当時の衝撃波が私を助けてくれることはよくあります。ただ、その結果私のマインドはいつも、「身に起こる全てを演奏の上達に繋げないといけない」「頑張ってない時間は無駄」「迷ったら難しい方を選ぶのが正解」みたいな状態にあったんです。それだけが正解の道じゃないと気がつくのに、けっこう時間がかかりました。音楽家としての自分、音楽家としての成功だけが人生ではないし、私が幸せだと感じるものが別の場所にもあること、それから、寄り道や無駄足だと思ったところが、知らないうちに自分自身を豊かにしてくれることが沢山あること。音楽を志す者としてだけではなく、1人の人間としても豊かな人間でありたいという気持ちがどういうことか。それに気がついてからは、関係ないところの心の摩擦や経験値、未来の伸び代はさておき、今現在を目一杯楽しむことを心がけてはいるものの、長年の思考の癖というのはなかなか抜けないもので、何も考えずに練習を選んだほうが方が楽だったりすることもあったりなんかしたんですが、この間、今しかできないことってなんだろう、とぼんやり休暇のプランを考えていたとき、楽器を置いて、自分自身だけで旅に出ることだ、ってふと思ったんです。トロンボーン吹きとしての心は端に置いておいて、身軽に色々吸い込む旅にしようと。自分のやりたいことの声だけを聴いて、いろいろやってみる時間にできたらなと思っています。

目の前のタスクをただただ食べていった2週間なので、なんだか面白みに欠ける記事になってしまったような気がしますが、定期的に更新することに意義があると信じております。またあれこれ書きに来ます。また引き続き、覗きに来ていただけたらと思います:)


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