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文明と文化

日本人は話し合いが下手だと思う。ずっとそれが不思議だった。その原因がどこにあるのかはなんとなく分かっているが、今日はそれをうまく説明できるか試してみたい。

マスメディアの議論は文明と文化を混ぜて何でも情緒的にしてしまうように思う。大昔の話だが、携帯電話が普及しだしたときの議論を思い出すと、携帯電話の無い時代は家に電話して、こんばんわ、○○ですが◆◆さんはいらっしゃいますか?等の挨拶や礼儀がしっかりできていた。それが携帯電話ができたことによってその礼儀やあいさつが無くなった、けしからん!!みたいな議論が中心だった。

 嫁姑問題でも昔は紙おむつなんて無かったから毎日おむつを手洗いしてたけど今のお母さんは楽してる!!

 よく聞く話だった。でもこれはおかしいと思う。携帯電話は文明(テクノロジー)の話でテクノロジーは必ず前に進む。それは便利になっていくということだ。それを挨拶や礼儀(文化)で語っても何の意味もないと思う。この論理でいくと黒電話が挨拶や礼儀を教えていたことになってしまう。。。でもこの議論に慣れているのかほとんどの人が違和感を持たない。

 携帯電話を否定してた人たちもテレビや洗濯機や冷蔵庫というテクノロジーの恩恵を存分に受けたはず。それを忘れて新たなテクノロジーを文化で否定するのは筋が通らないと思う。

 紙おむつにしてもおむつを洗う時間は無くなったが仕事に行く時間が増えたり勉強を教える時間や子供の部活や習い事の対応が増えたりして別に総合的に楽をしているわけではないと思う。

 これらの議論は20年以上前によく聞いた議論だが職場においては今もあまり変わっていないように思う。

文化を情緒に、文明を論理に置き換えると、部下が仕事の仕方をより成果が出る新しい方法で上司に提案することは目的に論理的に向かっていると思う。対して上司は俺のやり方を否定した!生意気だ!と情緒で対応する。

上司が部下に言う場合も論理 対 情緒だと、部下は怒られたと受け取りがちになってしまう。論理の場なのか情緒の場なのかを明確に共有しないと建設的にならず人間関係にも影響してくる。今のテレワークの上司と部下の関係も多くはこの関係になっているように見える。

だから僕は会社でできるだけ文明と文化を分けて話すようにしている。また、論理と情緒の使い方も出来るだけ分けるようにしている。

また、目的に情緒(感情)を使って手段に理論を使うべきだと思う。しかし、手段が目的化することが多くなってしまい、目的で論理を、手段で感情を使ってしまっているので話し合いが出来なくなってしまっている。

試合に勝ちたい!が目的で感情を強く持ってその為の練習を論理的に行うことが効果てきだと思うが実際は練習が目的になってしまい、練習に感情が入ってしまってうまくいかない、みたいなことが仕事でもよくある。

この文明と文化の違い、論理と感情の使い分け、目的の明確化をお互いにはっきりさせていく努力で会社やその他のコミュニティもかなり人間関係は良くなっていくと思う。

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