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『クローザー』(原題:The Closer)

■久々に登場した本格刑事ドラマ


『クローザー』(原題:The Closer)は、アメリカで2005年6月13日から放送が開始され、2011年7月11日から最終シーズンであるシーズン7の放送が開始された刑事ドラマ。

近年では、刑事や警官を主人公としたドラマより、犯罪関係を広く扱ったドラマが増えたため、刑事ドラマというより「クライム・サスペンス」という言い方が普及しているが、本作の形式は、昔ながらの刑事ドラマだ。

日本ではDlife(BS258)において放映され、地上波では、『CSI:科学捜査班 シーズン11』の後番組として、テレビ東京で2013年8月5日から2013年8月26日までシーズン1、2013年8月27日から2013年9月24日までシーズン2が吹き替え版で放送された。
日本の映画ファンには、『ポリス・アカデミー』シリーズに警部として出演していたG・W・ベイリーが、やはり嫌味な警部補として出演しているので、親近感があるだろう(あ、ポリスアカデミーから降格されてるw)。

2005年のアメリカ・ドラマは、「クライム・サスペンス」の当たり年で、2000年に始まった『 CSI:科学捜査班(ラスベガス)』とそのスピン・オフ作品がほぼ毎年始まり、それぞれが継続中のなか、『異常犯罪捜査班S.F.P.D.』『女検察官アナベス・チェイス』『NUMBERS 天才数学者の事件ファイル』『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』『BONES』『クリミナル・マインド FBI行動分析課』と、パワー・タイトルを含む数多くのドラマが開始された。

しかし、表現規制のためかネタが見つからないのか、「CSIシリーズ」の影響なのかは分からないが、警察署の捜査課の刑事が主人公で事件を解決していくという、『太陽にほえろ!』や『特捜最前線』型の、昔ながらの「刑事ドラマ」は少なくなった。

例えば、2005年に始まった番組を見ても、鑑識(CSI、BONES)や捜査協力者(ミディアム、NUMBERS)、あるいは特殊捜査専門の部署(S.F.P.D.、クリミナル・マインド)が舞台となるドラマばかりである。

タイトルの「クローザー」とは、野球用語の「クローザー」と同じで、「事件を終わらせる者」というような意味。

キーラ・セジウィック演じる(後にプロデュースも)本作の主人公、ブレンダ・リー・ジョンソンは、ギャングやドラッグ絡み、多重犯罪など凶悪化する犯罪を取り締まるため、LAPD(ロサンゼルス市警察)に、強盗殺人課(実在する)とは別に、新たに設置された架空の重大犯罪課へ、彼女の知り合いでもあるLAPDの警運用部長がアトランタ警察から本部長補佐(日本で言えば警視長もしくは警視正。Gメン'75の丹波哲郎と同等)として引き抜かれた尋問のスペシャリスト。

「尋問のスペシャリスト」はつまり、「クローザー」という訳だ。

夫はFBI捜査官で、彼が事件解決の要となるエピソードもあるが、基本的なストーリー(というかプロット)の結末は、ブレンダが容疑者尋問のあの手この手を使って、犯行を自供させるというものになっている。

■なぜ、自供か?

~日本と根本的に違う米国の司法・行政制度を理解するべし!

本作は、宣伝文句によれば「CIA仕込みの尋問テクニックで犯人を自供させる」云々とある。

上にも書いたが、ドラマのプロット(流れ)の基本は、ブレンダ(演ずるキーラ・セジウィックは、本作品で2007年第64回ゴールデングローブ賞テレビ部門ドラマシリーズ・主演女優賞等を受賞)が捜査線上に浮上した第一容疑者を自供に追い込み、事件を解決する。

中には違法スレスレのやり取りもあり、「裁判で自供を覆されたらどうするんだろう?」と見ているこちら側が心配になってしまう場合もあるが、飽くまで取り調べによる「自供」によって容疑者を堕とすことへの拘りは、このドラマの見所である。

しかし、タイトルになっている「クローザー」が、「容疑者を自供させて事件を解決する者」という意味なのだとしたら、タイトルにするほど、なぜ、そんなに「自供」に拘るのだろう、という疑問が湧いてくる。

その最大の理由は、警察の「経費削減」だ。

三権分立が徹底されているアメリカでは、司法組織(裁判所など)と行政組織(警察など)は、完全に分立されている。

日本では、比較的大きな犯罪の場合、容疑者が犯罪を自供しようが容疑を否認しようが、必ず裁判をし、量刑の言い渡しとなる。

ところが、アメリカの場合、州によっても微妙にことなってくるのだろうが、少なくともドラマの舞台となっているロスでは、あくまで裁判所は容疑者が容疑を認めていない場合に限り、有罪か無罪かを審議し、有罪であった場合には、量刑を言い渡す場となっている。

つまり、容疑者が警察の取り調べで自供し、有罪であることを認めた場合、裁判所での審議はなく、判例に基づいて、量刑を言い渡すだけになる。

そして、容疑者が自供せず、罪を認めなければ、警察が裁判所に訴えを出し(起訴)、有罪か無罪かを審議してもらう。

行政組織が司法組織に「依頼して」裁判をしてもらうのだから、もちろん、個人が裁判所に訴え出る場合同様、警察は裁判費用を支払わなければならない。

だから、容疑者を取り調べで自供させれば、裁判は行われない。つまり、裁判費用が浮くわけだ。

どこの国も同じだと思うが、ロス市警は、度重なる予算削減で、「経費削減」が至上命題となっている、というドラマの設定。
現実では、ロス市警は2009年に新庁舎を建設しており、ドラマの中でも「そのためにさらに経費削減の圧力が強くなった」という場面がある。

もちろん、経費削減の波は人員整理にも及び、優秀な捜査員を失いたくないブレンダは、さらに「容疑者の自供」への拘りを強くしていく。

従って、ブレンダがいかに法律スレスレ、時には、もし裁判で容疑者が訴えたら「証拠能力認められないだろう」というような手も使って、自供を引っ張り出してきたりしている(もちろん、暴力を使うことはないし、証拠や目撃証言を捏造したり・・・は少ししかしないです)。

ブレンダをロス市警に引き抜いた、彼女の盟友であり上司でもある運用部長は上から再三経費削減を言い渡され、ノイローゼ寸前。彼のためにも、経費削減は絶対で、「クローザー」の名に恥じないためにも、事件を裁判に持ち越してはならない。

このドラマの醍醐味である、ブレンダが容疑者を自供させるまでの過程を描く裏には、誰もが納得するこんな理由があるのだ。

また、逆に考えれば、アメリカで「法廷もの」の映画やドラマが量産されているのも、分かる気がする。

「裁判をする」ということは、容疑者が自白しなかったということなので、かなり強かな犯罪者といえる。
警察が取り調べで落とせなかった容疑者を、検事と弁護士の戦いの中でやり込んでいき、陪審員にどう納得させるか。シナリオライターの腕の見せ所だ。

この、「容疑者が自供したら裁判はない」は、日本の司法制度とは大きく違う部分なので、あまり広く知られていないが、ドラマでも映画でも、アメリカのクライム・サスペンスでは、「常識」として何の説明もなく「知っている」という前提で物語が進むので、そういう作品が好きな人は、知っておいたほうがいいですよ。

■今までの犯罪ドラマの常識が覆る?

日本の司法・行政制度と違う点でいえば、私がこのドラマを見て驚いたのは、ブレンダが「ミランダ警告」による諸権利を、容疑者に放棄することを促すやり取り。

「ミランダ警告」とは、被疑者に告知することが義務付けられているという、「あなたには黙秘権があり、供述は法廷であなたに不利な証拠として用いられる事がある・・・」というアレ。

他のドラマでは、容疑者の確保時に、ミランダ警告を被疑者に告知する場面は当たり前のように描かれる。『クローザー』でも、捜査官(刑事ではなくFBIだが)が「この権利の告知ってやつは、何度やっても飽きない」と、被疑者に聞こえるように嫌味ったらしく呟くシーンがあった。

もちろん、『クローザー』の中でも、ミランダ警告の容疑者への言い渡しは極めて重要。

だが、実は、ミランダ警告は、そういう制度のない日本人には馴染みが薄い、というか米国の刑事ドラマでしか知らない制度なので勘違いしている人も多いが、ミランダ警告は、容疑者の逮捕時に、容疑者に告げる、という規則ではない。飽くまで、取り調べ時の供述が、裁判で証拠能力を持つように取られる措置である。

例えば、『クローザー』では、逮捕に至っていない参考人(逮捕された息子の両親であったり、夫や妻であったり)に取調室(部屋の出入り口のドアにはインタビュー・ルームと掲げてある)で話を訊く前に、ミランダ警告をするケースも数多くある。

事前にミランダ警告をしておけば、「黙秘権がある」「取り調べでの証言が自分に不利でも裁判で証拠として取り上げられる可能性がある」ことを知った上で証言したということになり、

多くの場合、その参考人が真犯人だったりするのだが、もし、容疑者ではなく、単なる参考人だから、という理由でミランダ警告をしていなかったとしたら、容疑者の家に無断で侵入して得た証拠に証拠能力がないのと同じで、その際の供述は裁判で証拠として使えない。

とはいえ、このミランダ警告。現実の取り調べでは、権利の放棄」とセットになっており、「無実なら、権利放棄してもいいよね?」っていう圧力になっている。ある論文によると、警察の取り調べを受けたのとのある米国人の中で、80%近くが「無実だから、権利放棄した」と答えたそうだ。

また、現実では、弁護士がついても、弁護士が取り調べに同席することは殆ど(全くないという報告もある)ないという。容疑者が弁護士立会いを要求するということは、すなわち、「取り調べ拒否」として受け取られるからだという。米国の刑事ドラマの取り調べシーンでお決まりの、分が悪くなった被疑者が「弁護士を呼んでもらおう」ドヤ顔で宣言し、弁護士と相談しながら取り調べが進むなんてのは、ドラマならではの演出であろうか。

■取り調べの可視化

私が『クローザー』を見て驚いたのは、「取り調べの可視化」を徹底的に掘り下げていたこと。
というか、このドラマ、警察官ではないが、取り調べの状況を映像で記録する専門のスタッフがメインキャラにいるのだ。

映画やドラマの中での取り調べというと、取り調べ室の壁がマジックミラーになっていて、その裏側で他の刑事や検事が取り調べの様子を見ているといった場面が出てくるが、『クローザー』の場合は、それがモニター越しで行われる。

警察での取り調べの可視化は、「容疑者が自白すると裁判がない」という規定上、自白を共用する取り調べが大きな問題として取り上げられており、取り調べの可視化は重要視されるようになり、欧米では積極的に進められている。
ただし、これは意外なのだが、FBIに於いては、取り調べの可視化についてはずっと否定的で、取り調べを録画するかどうかは、捜査官の判断に委ねられているという。そして、取り調べを録画・録音する際も、局内で相当な手続き作業が必要で、実際に取り調べを録画・録音するケースは、半数を割っているそうだ。その理由は様々そうだが、「(FBIの)取り調べ手法が知られてしまう」「合法的な取り調べでも、公判では否定的に捉えられるケースが多い」という理由は面白かった。

いずれにせよ、警察に於いては、取り調べの可視化は現在、基本的に全過程が録画されている。警察側も、取調べの方法について非難される ことがなくなり、被告人・弁護人側、捜査機関側の 双方に利点があるとされている。

こうなれば、当然、映画やドラマでも、取り調べのシーンがあれば、反映される。しかし、ほとんどの場合、リアル感を出すためだけで、ストーリーに密接に絡んでくるものはほとんどない。

そんな中、『クローザー』では、取調室でのやり取りが、ストーリーの進行・展開に密接・有機的に絡んでくる。

シーズン2第5話「特別観覧席」では、ある捜査上の規定違反を隠しながら捜査しなければならない状況に陥り、強盗殺人課が捕らえられた容疑者の尋問をコントロールしたい(その容疑者に遺体を遺棄した場所をしゃべらせるわけにはいかなかった)ブレンダ。しかし、なぜかその容疑者が重大犯罪課の取調室にいる。

ブレンダが部下の捜査官に聞くと、強盗殺人課の取調室の録画機にトラブルがあり、空いていた重大犯罪課の取調室で尋問を行うことになったのだという。
その捜査官の手には、オーディオ機器の接続ケーブルが。

そして、ブレンダは取調室に併設されているモニター室に入っていき、「あら、ここの取調室使ってるのね? 見学させてもらってよろしいかしら?」と言って、取り調べの様子をモニター(タイトルの「特別観覧席」と対応している)。
いよいよ容疑者が口を割ろうとした瞬間、ブレンダはオーディオ機器のコンソール(制御盤)にいつも持っているバッグを置き、「あ~ら、こんな厳しい取り調べ精神的にも耐えられないでしょう。なんで権利を行使して黙秘と弁護士呼ばないのかしら?」と独りごちる。

だが、ブレンダのこの独り言は、モニター室から指示を出すため、取調室についているスピーカーから流れていた。それを聞いた容疑者は「べ、弁護士を呼んでくれ。それまで、俺は何もしゃべらねえ」と言い放ち、取り調べは中断。

ブレンダがコンソールにバッグを置いた際、取調室内に音声を流すスピーカーのスイッチがオンになっていたのだ。

ブレンダは「あら、いけない。どうしてこんなミスしちゃったのかしら?」ととぼけるが、当然、わざとだ。もちろん、この「ミス」は後で問題になるが、上司とのミーティングの際、ブレンダは機転を利かして、実は麻薬の売人であったその容疑者は、メキシコでも麻薬の密売を行っていると国際的なドラッグ販売網をでっち上げ、その容疑者の身柄をFBIに引き渡すと言い出す。

この容疑者は、強盗殺人課が捕らえてきたので、どうしても重大犯罪課の案件にはならない。そこでブレンダは、自分の恋人(のちに結婚)がFBIの捜査官なのを利用して、容疑者に接触できるようにした、という訳だ。

■アメリカの警察といえば、銃撃ちまくり・・・のはずが

アメリカの映画やドラマの警察モノといえば、いろいろあっても結局最後は「銃で解決」と思っている人は少なくないだろう。

しかし、現実は・・・?といえば、警官・刑事ともども、銃の使用はかなり慎重に行われる。

もちろん州によっても異なるが、犯罪者が銃を持っている可能性が常にあるアメリカ警察の犯罪捜査、警務執行時においては、銃の出番は少なくない。

だが、もし銃を使用した場合、その判断が適切であったのか、違法性はないのかなど、厳しく追求される。

『クローザー』の舞台であるカリフォルニア州は、アメリカ国内でも特に銃に対して規制が厳しいことで知られている。銃を所持するためにはあらゆる手続きをクリアしなければならず、運転免許を取るより難しそうだ。

一方、銃規制が緩い州としては、テキサス州が有名だが(ドラマでも度々ネタにされる)、ネバダ州、フロリダ州も緩く、所持ライセンスや待機期間(銃を購入してから実際に所持できるようになるまで。『ターミネーター』参照。クソ!あの野郎ぶっ殺してやる→銃砲店で銃を購入→殺害、がすぐにできないように)がない州もある(あ、だからCSIはラスベガス→ネバダ州、マイアミ→フロリダ州なのか・・・)。

詳しい論文がみつからなかったので、あくまで『クローザー』を見た限りだが、ロス市警では、刑事であっても、現場で銃を使用すると、昇進に響くようだ。映画『ダーティーハリー2』(カリフォルニア州のサンフランシスコが舞台)で、ハリーの上司であるブリッグス警部補が「私はホルスターからさえ銃を抜いたことがない」と自慢げに話し、模範的な刑事として描かれる(それが結末への伏線になっている)のは、このためか。

『クローザー』では、ブレンダが、優秀な部下である巡査部長(シーズン6から刑事巡査部長へ昇進)の昇進を危惧して、彼の代わりに自らが銃を発砲するシーンがある。

そして、その発砲が適切であったのかが問題となり、後にブレンダの宿敵となる、監察部(実在)の内務調査員が登場。最終の7シーズン目でレギュラー出演となり、1話あたりの出演料30万ドル(当時、女優としてドラマでは最高額)を蹴って、キーラ・セジウィック自らの申し出で降板後は、その彼女が重大犯罪課のチーフとなって、新たなシリーズが製作されていく。

もちろん、警官・刑事の銃使用が問題になる映画やドラマがないわけではない。『クリミナル・マインド』の最初の方のエピソードでも、銃を発砲した行動分析課の捜査官に対し、内部調査が終了するまで謹慎処分を受ける話があった。しかし、「FBIや警官でも銃の使用を控える」というストーリーは、銃使用推進派に都合が悪く、後で全米ライフル協会からクレームでも来るのか、あまり頻繁には見たことがないという印象。

■アメリカの司法制度を駆使した卓越な物語構成

そして、『クローザー』の醍醐味は、やはりなんといってもブレンダがどうやって容疑者から自白を引き出すか、という心理戦だ。

取り調べに際し、容疑者にどうやって権利を放棄させるか。嘘で言い逃れしようとする容疑者の嘘をどうやって見破り、どうやって真実を告白させるか。「守秘義務」を盾に、肝心な部分を隠そうとする弁護士や医者の証言者から、どうやって証言を引き出すかetc・・・。

ときには、FBI捜査官である恋人(のちに結婚)をダシに使い、「警察に嘘を言っても違法にはならないけれど、FBIに嘘を言ったら、連邦犯罪に問われるわよ」といった脅し文句も現れるが、共謀罪やスリーストライク(三振)法、司法取引といった、日本人には馴染みのないアメリカ独特の法律知識も豊富に織り込まれており、「ここでそんな法律を出してくるのか!」という驚きもある。

中でも、第5シーズン第12話「殺しの記念品」で、連続殺人を犯した容疑者を、一時は重大犯罪課案件にしてカリフォルニア州で罪に問おうとしていたものの、以前からその容疑者を追っていたテキサス州の警官に引き渡すことにするエピソードには、考えさせられた。

カリフォルニア州は、死刑制度は廃止されていないが、刑の執行は行わないことを宣言(事実上の終身刑)している。対し、テキサス州は、1974年から4年間執行を停止した後に再開し、執行された数は全米の1/3に登る。

ブレンダは、テキサスとカリフォルニアで連続殺人を犯してきた容疑者に対し、最初は、簡単に死刑を執行するテキサス州に対して「野蛮だ」と切り捨て、カリフォルニア州で罪に問おうとする。当然、死刑になりたくない容疑者は、カリフォルニア州で裁かれるなら、と自供していく。

しかし、テキサスの刑事から容疑者の残忍な手口、その上、余罪を楽しそうに自供していく容疑者(連続殺人犯には得てしてそういう傾向がある)に対して次第に怒りがこみ上げ、散々悩んだ挙げ句に、テキサス州の刑事に身柄を引き渡すのだ。

このように、『クローザー』は、アメリカの司法制度をしっかり理解した上で見ていくと、それらを十分に駆使してストーリーが組み立てられていることが分かる。
これは、アメリカと司法制度が根本的に違う日本人の視聴者にとって難度は高いかもしれないが、それが少しでも分かってくると、断然面白くなっていく。
何度も書いているが、アメリカだって州によって大きく法律が違う場合もあるのだから、アメリカ人の視聴者にとっても同じだろう。

同じ様なドラマには、スピン・オフも多数製作された超長寿番組『Law&Order』がある。「Law」は法律、「Order」は秩序で、法律とその秩序を守る警察と法廷が舞台で、初期のころのプロットは、犯罪捜査とその容疑者の法廷での裁判を中心に描かれていた。『クローザー』は、いわば、『Law&Order』でざっくり抜けていた「取り調べ」(容疑者に自白させちゃったら裁判描けないからね)に焦点を当てたドラマということが出来るだろう。

あと、上では書けなかったけれど、『クローザー』はコメディー要素も満載です。
なんども書いているように、『クローザー』は警察の取り調べに焦点を当てたドラマだが、肝心の捜査場面は、ドジで間抜けな捜査員たち、予算削減のことしか頭になく、すきさえあればブレンダとよりを戻そうとする部長など、基本的にコメディー一色(『NCIS:ネイヴィー犯罪捜査班』を思い出して貰えばよろしい)。終始シリアスな雰囲気に包まれた『Law&Order』とは対極となる。

しかし、取り調べを通して、次第に犯罪の全貌が分かってくるに連れて、被害者への同情、やむを得ず犯罪を犯してしまった容疑者への哀れみ、犯罪行為への怒りといった、ブレンダの人情味あふれるリアクションに感動することもしばしば。

『クローザー』は、一人でも多くの人に見てもらいたい、正におすすめの「名作」ドラマである。

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