ぶらす! ~彼女たちの奏でるビューティフルハーモニー~第6話

母親の影響で、小学生からトランペットを吹いていた高城沙織は、高校に進学してからも、部活動は吹奏楽部にしようとしていた。

そんな時、吹奏楽部に降り掛かった“難題”を、まだ入部する前から解決した沙織。

吹奏楽部へ入部してからも信頼され、まだ一年生なのにトランペットのパート・リーダーに任命されてしまう。

そして、新入生勧誘活動の二日目、部長からある提案を言い渡される。

成り行きで、その提案を受け入れてしまう三人。

そのことが、彼女たちの今後の吹奏楽部での活動を運命づけてしまうことになろうとは、

誰も予想だにしていなかった。

【練習番号E】プレリューディアム~入部

やっと放課後が訪れた。

正式な授業がないのに、放課後というのは違和感あるけど、オリエンテーリングや校内設備紹介も学校の正規の活動なので、放課後で間違いない。

今日は、朝イチから大変なことがあったから疲れたけど、吹奏楽部のためにやったことだと思うと、気分は爽やかだった。

そして、これから、その吹奏楽部への入部手続きのために、部室に行く。

朝のことを茉莉奈さんに話したら「ふーん」という軽いリアクションしかもらえなかった。

別に、大袈裟なリアクションは求めてなかったけど、ちょっと淡白すぎないかい?

茉莉奈さん的には、自分の知らないところで、私が朝から石神井さんといっしょに何かしていたのが気に入らない様子だけど。私の自意識過剰かな。

「やあやあ、お二人さん」

ざわついていた教室が、一瞬静寂に包まれる。

何やら賑やかな人が教室に入ってきたな、と出入り口の方を見たら、案の定、石神井さんだった。

それにしても、別のクラスにも平気で入ってくるんだな、この人は。私なんか、いくら友達がいても、別のクラスにこんなにも陽気に入っていける気がしない。

「二人とも、ちゃんと楽器、持って来た?」

部活の初日に楽器を持ってくる、というのは、石神井さんの提案だった。

「初日から、楽器吹くの?」と訊くと、「万が一、別の楽器に回されたら嫌でしょ? カモがネギ背負って来てるんだから、楽器吹けるところ見せれば、そうそう別の楽器に回したりしないでしょ」というのが石神井さんの理屈だった。

でも、朝の一件で、私と石神井さんは吹奏楽部の部長と副部長、上級役員に借りを作ったので、希望楽器を言えば、二つ返事でOKじゃないかな。

ねえ、石神井さん。一応確認するけど、その「カモ」って、まさか私達のことじゃないよね。

そういえば、希望者が大勢来たパートって、どうするんだろう?

経験者、その中でも“マイ楽器持ち”が優先なのは分かるけど、全員経験者だった場合は、オーディション? 他の楽器になって部活辞めるとか言い出した人は? とか、気になり出したら切りがないが、毎年なんとかなってるのだから、今年もなんとかなるだろう。


吹奏楽部は、主に音楽室で活動をする。

F女学院には、音楽室が2つある。それぞれ第一音楽室・第二音楽室と呼ばれているが、両方とも、普通教室があるのと同じ校舎にある。そして音が出るという性質上、ちょっとした短い渡り廊下を渡って行かなければならない。もともとそういう構造だったらしいが、私の所属する1-Aの教室が最も遠くにあるのが玉に瑕きずだ。

とはいえ、運動部は、本校舎からは校庭を横断しないと行けない部室棟に部室があったり、やはり本校社からは離れた場所にある体育館で活動している。そういう運動部からすれば、雨が降ろうと嵐が来ようと、普通に歩いていける場所に部室があるのは、恵まれているだろう。運動部の皆さん、お疲れさまです。

音楽室に向かおうとして1-Aの教室を出ると、そこには各部活の勧誘部隊が待機していて、出入り口のドアを開けた途端、「入る部活決まってる?」とか「是非、うちの部に見学を!」とか「途中で帰ってもいいから、見るだけ見ていかない?」とか、声を掛けて来たり、チラシを渡してきたりする。

もちろんどの部活も、新入生の勧誘には全力を尽くして取り組む。

部員が5人以上いないと予算が出る“部活”として認められないこともあるが、部の予算は部員数とも関連しているということもあって、レギュラーが5人のバスケット・ボール部や6人のバレー・ボール部でさえ、一人でも多くの部員を確保したいのだ。

しかし、吹奏楽部にとって“人数”は死活問題だ。中学からの経験者だけだと人数が足りないし、楽器編成も偏ってくるから、一人でも多くの初心者に入部してもらう必要がある。

吹奏楽部が4月からの一年間の活動で、最も精力を注ぐ「全日本吹奏楽コンクール」の一校当たりの出場枠は最大55人。聴き映えのある演奏をするには、やはり最大人数で挑みたい。

初心者狙いのキモは、吉美のように、帰宅部を決め込んでいる生徒や、入りたい部活がない生徒を、いかに多く取り込めるかにかかっている。だから放課後になったら、なるべく早く勧誘活動を開始しなければならない。そうしないと、既に帰ってしまうからだ。そうならにように、一年生の各教室前に勧誘員を配置して、ホームルームが終わって教室を出てくる人を片っ端から勧誘しているのだ。

廊下を歩いて、もうすぐ音楽室というところまで来ると、外から吹奏楽部の演奏が聴こえてきた。

「始まったわね、沙織」

私の左側を歩いている石神井さんが、私の肩に手を置いて言った。

「そうね」と私。

私は、楽器が入ったケースを右手で持っているので、石神井さんは、自然と私の左側を歩くかたちになる。

私の楽器ケースは、<ダブル・ケース>といって、トランペットが二本入るタイプだ。茉莉奈さんが持っている一本入りの通常のケースよりも、横幅が広い。トランペットのケースは、楽譜とかミュートとかの小物も入るようになっていて、縦にも長い。一見、連泊用の旅行カバンのようにも見える。

電車に乗るとか、楽器を外で持ち運ぶには、ソフト・ケースが軽くて便利だ。けれど、ソフト・ケースは、文字通り柔らかい素材で出来ているので、簡単に潰れそうで怖い。むしろ、ハード・ケースが外用で、ソフト・ケースが、学校内での移動とかの室内用、といった感じだ。

石神井さんとの短いやり取りで、今朝の顛末が思い起こされる。

吹奏楽部の勧誘演奏が無事に始まったことで、本当の安堵が訪れた。

この勧誘演奏を間近で聴いてみたいとも思うけれど、石神井さんにそう言うと、「私達、吹奏楽部に入るの決まってるに、なぜ勧誘演奏を聴くの?」と言われそうな気がするので、言わないことにする。

後ろを歩いている茉莉奈さんはどうなのかな、と思って振り向くと、澄ました顔で歩いている。

私と目が合うと、「どうした?」と言って来た。

はぐらかすのもおかしいので、

「茉莉奈さんは、吹奏楽部の勧誘演奏、聴きたい?」

茉莉奈さんにそう訊くと、「うーん・・・」といって、一瞬間が空いた後、

「どっちでも」と答えが返ってきた。

<どっちでも>かあ・・・。

<聴きたい>と言うと、「じゃあ、これから聴きに行こうか」となり、音楽室に行くのが遅れる。かといって、<聴きたくない>と言うのは、これから吹奏楽部に入ろうという人にとって、どうなのか。

「聴きたいけど、音楽室には早く行きたい」というのが茉莉奈さんの答えだと、思うことにする。

吹奏楽部の演奏を聴きながら音楽室に向かう。そんな幸せなひとときを、これから仲間になる二人と共有できる喜び。それを味わうことが出来ることだけで、よしとしよう。


――その15分前、第一音楽室

「それでは、これから新入生の勧誘活動を開始いたします!」

吹奏楽部部長の鶴の一声により、各自配置につく吹奏楽部員たち。

吹奏楽部は、三学年揃えば50人を越える大所帯になる(はず)。何かの行動を開始する際、号令は不可欠だ。その意味で、主に号令を掛ける役目になる部長は、旅行代理店の添乗員に似ている。

「遊撃部隊はこっちに集まって!」

「機動部隊はウォーミングアップとチューニングなる早でね! 時間の5分前になったら、昇降口に移動します!」

「迎撃部隊は、音楽室のセッティングよろしく!」

それぞれの<部隊>のリーダーがそれぞれの部隊員に号令をかける。

この学校の吹奏楽部でいう<遊撃部隊>とは、一年生の各教室を回り、声を掛けて勧誘活動をする部員。<機動部隊>は、校内の公の場で実際に勧誘演奏をするメンバー。三年生と、二年生の選抜部員で構成される、勧誘活動の主体となる部隊だ。<迎撃部隊>は、音楽室に直接部活見学しに来た生徒や、入部届を持ってきた楽器経験者を中心とする、最初から吹奏楽部に入部する気がある生徒を出迎え、逃さないようにする部隊だ。

女子校の吹奏楽部で、なぜ軍隊用語なのかは分からない。私のお母さんの時代からそう呼んでいたそうだ。別に、うちの学校の吹奏楽部が戦前からあったわけではない。最初の顧問の先生が、軍楽隊にいたのかな。まあ、勧誘活動が大切なのは、吹奏楽部も軍隊も変わらないし、吹奏楽部は、昔は楽隊と呼ばれていたし、軍隊用語とも相性がいいのか。そういえば、英語で吹奏楽のことをMilitary Bandと言ったりするし。

「部長、副部長、遊撃部隊、行ってきます」

そう挨拶するのは、遊撃部隊のリーダー、三年生の奥山咲さき。人当たりがよく、常に笑顔を絶やさないコミュ力の権化とも言われる奥山が遊撃部隊のリーダーになるのは自然の流れだった。去年も、遊撃部隊のメンバーの中で、最も新入生の勧誘数が多かった実績がある。

声掛け勧誘のコツは、第一印象を良くすることだという。一年生は、上級生から部活の声掛け勧誘があることを分かっているし、街中のキャッチセールスじゃないんだから、と思うけれど、実績を上げている人が言うのだから説得力がある。

「咲ちゃん、去年は勧誘数ナンバー・ワンだったよね。今年も期待してるから。遊撃部隊のお世話、咲ちゃんに一任しちゃって悪いけど、よろしくね」

遊撃部隊のメンバーは、咲が選んだ選抜メンバーだ。

部長にそう言われると、咲は満面の笑みで

「いやぁ、部長。私、背が低いから、一年生に親近感持たれるだけっスよ。先輩っていうより、友達感覚で音楽室付いてきて、つい入部しちゃう、みたいな?」

彼女のこのフランクな感じも、下級生に好かれる原因の一つになっている。

咲は、楽器の第一志望はトロンボーンだったが、スライドの一番遠い第一ポジションまで腕が伸びないということで、第二志望の打楽器になった。打楽器は、シンバルやスネア・ドラム、バス・ドラムなど、様々な楽器を扱うので、いろいろな楽器を経験できて嬉しいとのこと。なかでも、スネア・ドラムがお気に入りらしい。

迎撃部隊のリーダーは、副部長。

「遊撃部隊が勧誘から戻ったら、私は迎撃部隊に加わるけど、それまで少人数で大変だと思うけれど、よろしくね」

副部長は、部長からそんなねぎらいの言葉をもらい、驚いた。

「今更、なによ。皆んな、一年生の扱いは心得ているわよ。部長の方こそ、あんなことがあったお陰で、昨日の夜から大変だったでしょう?」

吹奏楽部の、今年の新入生勧誘演奏の中止は、昨日の夕方の帰りがけに、生徒会長から電話があって伝えられていた。その時は、怒り浸透で頭の中が真っ白になった。その場でその決定に抗議しようと生徒会室を訪れたが、正式な通達は明日で、その時にならないと申し立ては出来ないという。そもそも、新入生勧誘演奏が翌日行われるため、正式な規約通達前にその内容を知らせる異例の判断を生徒会がしただけだからと。もっとも、自分にとってそんな重大なことを聞かされてすぐでは、ろくな主張はできそうになかったから、翌日(つまり今日)の朝にミーティングを行うということを承諾した。結果的に、それがよかったのだけれど。

「それより、来るのよね、あの子たち」

「朝は、そう言ってたわね」

「あの子達がやってきたら、よろしく言っておいてね」

「分かってるわ。経験者かどうか分からないけど、あなたが帰ってくるまで、引き止めておくわ」

そろそろ時間だということで、機動部隊は音楽室を出ていった。

遊撃部隊と機動部隊が出払い、迎撃部隊しか残っていない音楽室は、普段より広く感じる。三年生が卒業し、新たな二・三年せいだけになって最初の全体ミーティングの時も、音楽室は広く感じられたが、それ以上だ。しばらく後には、ここに新入生がやってくるのだ。勧誘活動解禁初日は、何人くらいの新入生が集まるのか。去年より、部員数を増やすのが目標だ。

「私、ちょっとサイト更新してくるから」

副部長は、迎撃部隊にそう言い残すと、音楽準備室に入っていった。

音楽準備室には、部の備品であるデスクトップ・パソコンが置かれている。

F女学院高校では、学校のポータルサイトに、各部活がそれぞれウェブ・ページを持ち、部の活動報告、例えば運動部なら、練習試合の実況動画など、様々な情報を発信している。

学校に入学すると、一人ひとりの生徒にログインIDが付与され、在校生なら誰でも見ることが出来る。どの部活でも、新入生の勧誘活動では、フル活用されるツールだ。もちろん、吹奏楽部のページもあり、勧誘ポスターやチラシのQRコードから、簡単にアクセスすることが可能だ。吹奏楽部全体だけでなく、各楽器の紹介動画も既にアップされている。

副部長は、アクセス解析から今日だけで200近いユニーク・アクセスがあったことに満足した。去年の初日は、100程度だったから、倍増していることになる。ユニーク・アクセスだから、一人で何度も見ればそれだけアクセス数は上がるけれど、それは去年だって条件は同じだ。今年の新入生の吹奏楽部に対する興味は、去年より上がっているということだろう。

その理由は、明らかだ。

去年は、20年以上前、吹奏楽部強豪校と言われていたF女の吹奏楽部が、顧問が変わって以来、突破したことのない地区大会を、再度顧問が変わってから始めて制覇し、ブロック大会に進んだ。そのブロック大会でも、次の支部大会には出場出来ない、いわゆるタダ金とかダメ金とか言われている金賞となる。昔の強さを知らない世代には、「ブロック大会初出場(本当は違うのだけど)で金賞を勝ち取った奇跡のF女」と言われ、昔を知っている世代には「不死鳥F女、堂々の復活」と話題になった。

副部長業務とは別に、部のホームページの管理をしている副部長は、

<○時○分より、校門エントランス付近で、吹奏楽部が新入生勧誘演奏を行います。入る部活が決まってない新入生はもちろん、部活に入るかどうか決めていない新入生も、是非聴いていってください>

そのような文言をウェブ・ページの「新規情報」の欄に書き込んだ。

これで、新入生が一人でも多く、吹奏楽部に興味を持ってくれればいいけど。

新入生が、音楽室に部活見学に来るかどうかは、最終的には本人次第だ。誘拐同然に、強引に引っ張ってくるわけにはいかない。

正直言って、この部活の練習は、一時期に比べると格段に厳しくなった。どの部活も、練習はある程度厳しいだろうけど、「自分で部活を選んだ」「自分で入部を決めた」という意識がないと、すぐに辞めてしまう。それでは、部にとってはもちろん、本人にとっても不幸だ。

副部長が音楽室に戻ると、すぐに外から演奏が聴こえてきた。

「やっぱり、時間、ぴったりですね」

ホルン・パートの二年生、近藤貴美たかみが話しかけてきた。

「そりゃ、時間厳守にうるさいあの部長だもの。遅いのはもちろん、早すぎるのも、ないわ」

副部長は、背伸びをしながら答える。

「最初に来るの、どういう子ですかね」

知らんがな、と思ったが、そういう思考実験は嫌いではない。考えてみる。

「そうね、吹奏楽部に入りたくて、ホームルームが終わるの、今か今かと待ち望んでいる子、かしら」

そう言ってから、ちょっと違うな、と思い直し、

「吹奏楽部、いや、楽器の演奏が三度の飯より大好きな子、かな」

その考えを聞くと、

「そんな女子、いるんですか? 私も、楽器の演奏は好きですけど、三度の飯の方がもっと好きですね」

貴美の発言に副部長は「あー」となり、

「そうだよね。実は、それ、私も。残念ながら、楽器の演奏は、三度の飯についで、二番目」

二人して「あはは」と笑う。

新入生が音楽室にやってくるまで、迎撃部隊の仕事はないので、気楽なものだ。

すると、音楽室の一般教室がある方の出入り口が開き、ドアの外で待機していた、音楽室にやってくる新入生を出迎える迎撃部隊の<入り待ち要員>が、

「新入生三名、ご案内お願いします!」と、音楽室全体に響き渡る大きなソプラノで、新入生がやって来た合図を送ってきた。

さて、いよいよ仕事にかかりますか――。

そう思いながら、出入り口の方を見た副部長、副部長の視線は、いま入ってきた新入生に釘付けになった。

「ごめん、さっきの、訂正させて」

副部長が貴美に言う。

「何を、です?」

貴美は、狐につままれたような不思議な顔をして、副部長に訊き直す。

「三度の飯より楽器演奏が好きそうな子、いたわ・・・。しかも、三人もいっぺんに」


自分たちの教室を出て5分。

途中、何度も声を掛けてくる部活の勧誘を、ノラリクラリとかわしながら歩いて、沙織、茉莉奈、石神井の三人組は、やっとの思いで音楽室前にたどり着いた。

はいはい、カモがネギ背負ってやって来ましたよ、と。

石神井さんに訊いたら、「当たり前でしょ。タヌキよりはマシじゃなくて?」と冷たくあしらわれたので、自分たちが「カモ」であることを素直に受け入れた沙織であった。鴨南蛮がたぬき汁になったところで、本質は変わらないけどね。

音楽室への出入り口付近には、新入生の出迎えと思われる二年生が待機していた。

その二年生は、制服のブラウスの襟元に結んでいるタイの学年カラーで私達が一年生であることが分かると、一気に笑顔になって声を掛けてきた。

「一年生ね。吹奏楽部にようこそ。自由に見学していってね。いつ帰ってもいいから」

その声に、私達三人は「ありがとうございます」と例を言い、音楽室に入ろうとすると、ドアを開けてくれた。彼女に軽く会釈をし、音楽室に一歩踏み入れると、その二年生が背後から大声で音楽室内に向かって叫んだ。

それは、ファスト・フード店で注文した時に、厨房に向かって声を掛けるような感じだった。

その声に一同驚き、一瞬立ち止まる。

外での、吹奏楽部の新入生勧誘演奏の音だけが私の耳に入る。

音楽室の中側を見ると、一人の三年生が立ち上がり、私達の方に足早に近づいてくる。

あ、今朝、生徒会室にいた吹奏楽部の上級役員の人だ。

「あなたたち、本当に来てくれたのね!」

そう言って、私と石神井さんの手をがっしりと握りしめ、ブンブンと激しく上下に動かす。

部長さんか副部長さんか知らないけど、その表情は、親友と何年ぶりかに再開したように、泣きそうになっている。

「あなたたちのお陰で、ほんとうに助かったわ! 吹奏楽部の命の恩人よ!」

ああ、数年ぶりに再開した親友から、命の恩人に一気に格上げされた。

そりゃ、そんな顔にもなりますわね。

石神井さんは、自信たっぷりの表情で

「吹奏楽部入部希望者として、当然のことをしたまでですわ! 困った時は、お互い様ですわ」

なんか、偉そう。

っていうか、今朝のは、いささかお互い様の押し売り感満載だったけどね。

私には、石神井さんの台詞が「もっと褒めてくれてもいいんですよ?」と聞こえるのだけれど、気のせいだろうか。<命の恩人>以上の褒め言葉って、何だ。神様か。

「でも、本当の功績者は、ここにいる高城沙織さんですのよ! あの切り札を見つけ出したのが、沙織さんなんですから」

石神井は、沙織の背中を副部長に握られていない左手の手のひらでバシバシ叩く。

その叩かれている箇所だけ、血行が良くなり、熱くなっていくのを感じた。

「そうなの?!」

副部長は、沙織の目を潤んだ瞳で見つめた。

同性に見つめられても、ちょっと恥ずかしい。

私の頬が、石神井さんに叩かれている背中のように、熱くなっていく。

「いやあ、その、まあ、そんな感じです」

どうも、私には、石神井さんのような自信たっぷりな反応は苦手だなあ。

音楽室の中にいる吹奏楽部員は、いつもは冷静・沈着な副部長を「こんな副部長、初めて見た」というような、ぽかんとしたような顔をして見つめていた。

そんなやり取りをしていると、後ろの方から清らかなソプラノが聞こえてきた。

「あのう、副部長? 後ろが詰まってるんで、この辺で次の新入生の受け入れしたいんですけれど、大丈夫ですかね?」

廊下を見ると、一年生が五人くらい、並んで待っている。

ああ、この人が副部長さんなのか。すると、朝いた吹奏楽部の上級役員のもう一人が、部長さんてことか。

副部長は、ソプラノの持ち主にそう答えると、

「あれれ、これは失礼。どうぞ、順次入ってもらって」

と言い、

「あなたたちとは、奥で話するから、どうぞ、奥まで入っていって」

と私達三人に言って、私たちは彼女の後ろに付いて行った。

「さっきは、つい感情的になってしまって、ごめんなさいね」

副部長さんは、私達にそう謝罪すると、茉莉奈さんの方を見た。

「こちらの子も、入部希望? 朝は、いなかったけど」

茉莉奈さんは、突然、自分が注目されたので、ちょっと居心地悪そうにしている。

やっぱり、知らない人に話しかけられるのは苦手なのかな。

それを察したのか、石神井さんが助け舟を出そうとすると、

「はい。是非、入部しようと思って来ました」

茉莉奈さん、やおら、そう力強く答えた。

昨日は、「吹奏楽部には入らない」とか言ってたのに。

「まあ、嬉しい!」

副部長は、制服のリボンタイの前あたりで両手を合わせ、小さく拍手した。

「そうしたら、希望する楽器は決まっているのかしら?」

副部長さんにそう訊かれると、三人声を揃えて「あります」と答える。

「それは素晴らしいわね! ということは、もしかして、三人とも、経験者?」

質問攻撃。

「そうですわ。三人とも経験者ですわ」

今度は、三人を代表して石神井さんが答える。相変わらず、偉そうなのが気になるけど。

「助かるわ。経験者が一気に三人も。ちなみに、何の楽器なのかしら」

副部長さんは、「あなたは?」といって、まず石神井さんに担当楽器を確認する。

「私は、クラリネットです」

得意なのはバス・クラ、よね。今は言わないんだ。

そして、今度は私の番。

「私は、トランペットです」

私がそう答えると、

「いいわね! トランペット。うち、なかなかトランペットのなり手がいなくて」

副部長さんは、「うんうん」と納得したように首を上下に動かして、満足そうにしている。

この分じゃ、茉莉奈さんの答えを聞いたら、飛び上がって嬉しがりそうだ?

「で、そちらは?」

相変わらず、茉莉奈さんは私と石神井さんの影に隠れてもじもじしているので、副部長さんは、少し身を乗り出すような格好になって茉莉奈さんに訊いた。

「トランペット、です」

「まあ、トランペットの経験者がもう一人! よく来てくれたわね」

そう言って、副部長さんは、少し離れた場所にいる茉莉奈さんの方に歩み寄り、茉莉奈さんの手を取って両手で握り、激しく上下させる。

「どうも、恐縮です・・・」

茉莉奈さんは、一昔前の芸能レポーターみたいな返事をし、照れ笑いをしている。

私達三人と副部長さんが、そんなやり取りをしていると、続々と新入生がやってきて、音楽室の中に入ってきた。

「では、人も多くなってきたから、自分の楽器の場所に行って、パートの人の話を聞いてもらえるかしら」

私達は、「はい」と言って、机の上にそれぞれの楽器が置かれている各パートのブースに向かった。

気がつくと、外での勧誘演奏は、もう終わっていた。

私と茉莉奈さんが、トランペット・パートのブースに着くと、二年生の先輩が二人、ニコニコ顔で待機していた。

二人とも、さっきの副部長さんとのやり取りを聞いていたのか、

「部活見学初日から、二人も経験者が入部しに来てくれるなんて、驚いた。二人、同じ中学で吹いてたの?」と訊いてきた。

今日は、よく質問される日だ。

それにしても、この学校は、そんなにトランペットのなり手がいないのかな。ということは、この先輩たち、二人とも初心者で入部したという可能性もあるけど。

私が、

「いえ、私はM中で、この子は北M中です」

「北M中は、ご近所さんよね。去年のコンクール、結構良いところまでいったのよね」

「はい、お陰様で」

「M中は、どの辺りなの?」

茉莉奈さんが答えると、

「あら、学区の外れの方じゃない。ずいぶん遠くからなのね」

「30分くらいで来れますから、大した距離じゃないです」

「そうなんだ。私、学校から歩いて七分くらいだから、それでも十分遠く感じるわ」

ああ、この先輩も学校の近くなんだ。私より少し離れているけれど、帰る方向が同じだったとしたら、帰りはほとんど一緒って可能性もあるな。優しそうな人だから、いいけど。

もう一人の二年生も、通学に30分くらいかかるそうだけど、茉莉奈さんとは逆の方向だ。

しばらく、その二年生と茉莉奈さんとの電車通学談義があった。

その最中、音楽室の出入り口のほうがいやに賑やかになってきた。一年生が集団でやって来たのかな、と思っていると、勧誘演奏から引き上げてきた<機動部隊>のメンバーだった。

音楽室内にいる、<迎撃部隊>の部員が口々に「お疲れさまでした!」とねぎらいの言葉をかける。

しばらくして、一際大きな叫び声のような声が上がった。

「え、来てるの!? どこどこ?!」

副部長さんに、私達が来ていることを告げられた、部長さんだった。

副部長さんが、

「クラ1人、ラッパ2人」と言うと、

部長さんは、まずクラリネットの方を見て、石神井さんと目が合った。

すぐ、部長さんは石神井さんの方へ早足で歩み寄り、

最敬礼して「今朝は、どうもありがとうございました」と言った。

この事態に、クラ・パートは「え、なになに?」となり、みな、お互いに目を合わせたり、首を傾げたりしている。

部長さんは、そんなことはお構いなく、

「で、もう一人の子は?」と石神井さんに言うと、

すぐに「あ、トランペットね!」

と気付き、こっちの方を見た。

瞬間、私と目が合い、「いた!」というような顔になった。

部長さんは、さっきと同じ様に早足で私の方にやって来て、

「今朝は、本当にどうもありがとう。やっぱり、トランペットだったのね」

そう言って、さっき私がケースから出したばかりの楽器をまじまじと凝視した。

「生徒会室に持って来てたの、このトランペット?」

私が「はい、そうです」と頷くと、

「ケースが、普通のより大きかったから、違うのかなと思ってたけど」

さすが吹奏楽部の部長さん。遠目にちょっと見ただけで、トランペットのケースだと見破るとは。

いつもは、旅行かばんと間違えられて、中学の時なんか、持ち歩いていると「どこ旅行に行くの?」とよく言われたものだ。

「はい。楽器が2本入るダブル・ケースなので、普通のケースより横幅が広いんです」

私は、足元に置いてある自分のトランペット・ケースを指差して言った。

「そうそう、これこれ。そうかあ、ここに楽器が2本入るのね」

部長さんが、中を見せてくれ、とせがむので、机の上に置いて、ケースの蓋を開ける。

「あ、もう一本ちゃんと入ってるわね」

もちろん、ダブル・ケースなので。

私は、外に出る時は、いつも楽器は2本持ちだ。

その習慣で、つい2本学校に持ってきてしまった。

「はい。もう一本の方は、Cツェー管なんですけど」

通常、吹奏楽で使われるのはBbベー管。指揮者が見る、全ての楽器のパートが書かれているスコアや、トランペット・パートの楽譜は、Bb管で音符が書かれているのが普通。

C管は、主にオーケストラで使うトランペットだ。オーケストラでは、Bb管も使うけれど、どちらかといえばC管が主流。微妙な差だけれど、Bb管は、木管楽器と合わせる時に、音色が合いやすい。C管は、Bb管よりも響きの質感が固めだ。他の楽器との融合より、トランペットらしい、大きく鋭い音して、音が目立ちやすい。オーケストラは、大編成になると百人以上の奏者が一斉に音を出す。トランペットのパートが演奏する時は、トランペットの音が聴こえて欲しい場面であることが多いので、Bb管よりも都合がいいのだ。

でも、どうしてもトランペットだけが目立ってはほしくない箇所もあるので、私はC管とBb管の二本持ちにすることにしている。

どうせ、オーケストラのトランペット・パートは、吹奏楽のようにBb管だけで譜面が書かれている訳ではなく、要所要所でEbエス管やF管に持ち替えるよう指定されている場合があるから、何管を使っても構わない。

「へえ、C管まで持っているのね。実物見るの、初めて」

部長さんは、目を輝かせて言った。

「実はね、私もトランペットなの」

なんと。

ああ、だからすぐにケースだけ見てトランペットだと分かったのか。

「楽器のメーカーは、どこのを使っているの? YAMAHAのちょっと古いタイプのように見えるけど」

さすがよくご存知で。

「これ、シルキーなんです。今のYAMAHAは、BACHバックの形に近いですけれど、昔はシルキーのトランペットを参考にデザインしていたそうですよ」

「で、そちらの一年生は?」

「私のは、ストンビです」

「ストンビ?」

あー、さすがの部長さんもこれは知らなかったかあ。

「スペインのメーカーだよね」

「うん。モーリス・アンドレが使ってたの。楽器が軽くて吹きやすいのに、響きが豊かで好き」

ああ、茉莉奈さんがストンビ吹いてるのは、そういう理由だったのか。

確かに、私もBACHは楽器を持った時、楽器の先端の方が重く感じて、吹いていると常に重量がかかっているように思える。

後から聞いたら、お母さんが、「子どもにはBachよりYAMAHAの方が持ちやすいから」ってことで、私は最初からYAMAHAをずっと使ってたからかもしれないけど。

もちろん、茉莉奈さんがずっとストンビを吹いているのは知ってたけど、理由までは知らなかった。これはいいことを聞いたぞ。

「沙織、驚いた? 私がこの楽器使ってる理由までは知らなかったって顔だなあ。あ、メモとかするなよ!」

やばい、茉莉奈さんに心の声を聞かれてしまった。

うん、大丈夫だよ。メモなんて取らないよ。脳みそにしっかり叩き込んだから。

「そしたら、ちょっとC管の音聴かせてもらっていい?」

この部長さんも自分の欲望に正直な人だな。吹奏楽でC管なんて吹かんのに。

言わないけど。

「わかりました」

部長さんの要望に素直に応え、楽器を取り出す。

「へえ、Bb管に比べてずいぶん短くて、細身なのね。比べなくても、見ただけで『短かっ!』『細っ!』ってなるわ」

部長さんの瞳が、急に輝き出したように見えた。

「そうですね。チューニング管の部分が短くて、細いベルが長く伸びてますからね」

「なるほどね。ベルの直径は同じくらいだけど、チューニング管が三番スライドと同じ長さしかないのね」

「C管は、Bb管を全体的に小さくした感じなのかなと思ってたけど、リードパイプからベル先までの長さは同じなんだな。チューニング管のBb管より短い部分がちょうど一音分てわけか」

茉莉奈さんが加勢した。その通りだよ。

部長さんと茉莉奈さんの前で、吹いてみせる。

「まあ、Bb管と音色が全然違わね。すごく明るい音」

「はい。Bb管でも、バックボアがコンマ数ミリ違っただけで音色が変わりますから。これだけサイズが異なると、音色だけでなく、吹き心地も全然違いますよ。吹いてみますか?」

私はそう言って、楽器を部長さんの前に出す。

「いいの?」

部長さんは、両手を胸の前で合わせて、嬉しそう。

「大丈夫ですよ」

楽器を部長さんに渡す。

部長さんは、楽器を持った瞬間、驚きの声を上げた。

「軽っ!」

C管は、Bachの楽器が重く感じるのとは逆に、前の方にあるチューニング管が短くて、楽器の重量が手で持った部分に掛かるバランスのせいか、実際の重さより軽く感じるのだ。

「マウスピースは、Bb管用のでいいの?」

「はい。人それぞれこだわりがありますが、大丈夫です」

部長さんは、ブレザーのポケットからマウスピースを出し、楽器につけた。

金管プレーヤーの習慣だな。

楽器に付けたままだと、マウスピースがすぐに冷えちゃうので、しばらく吹かない時間があるときは、ポケットに入れて、保温する。

吹くと、

「あれ? Bb管と全然息の入り方が違うし、指と音がちぐはぐな感じがしてうまく音が当たらないわ」

「それは、もう慣れるしかないですね」

「あの、私も吹いていい?」

茉莉奈さんが言った。

「もちろん。私の、C管用のマウスピースあるから・・・」

全部言う前に、茉莉奈さんが私の言葉を遮って、

「いい! 自分のマウスピースで吹くから! スキ見せるとすぐこれなんだから!」

はいはい、失礼しました。

「冗談だよ。へへへ」

「あんたのは、いちいち冗談に聞こえないのよ!」

私と茉莉奈さんとのやり取りに、部長さんは「へ?」みたいな顔をしている。

そんな部長さんにはお構いなしに、茉莉奈さんは楽器を吹く。

「あ、確かに、音のツボっていうか、音のハマりどころがBb管と全く違う。でも、Bb管より、音の出る反応が良い感じがするし、息を入れても抵抗が少ないから、吹きやすい。これ、好きかも」

管楽器奏者にとって、楽器そのものの音色はもちろん大事だが、拭き心地も楽器選びの重要な要素となる。吹いていて、抵抗感のある方が良いという人や、その逆に抵抗感が少ない方が良いという人など、それぞれだ。いくら音色の良い楽器でも、吹き心地の悪い楽器は吹きたくないものだ。

茉莉奈さんは、Cスケールをやって、

「当然だけど、Bb管のドレミファの運指で、Cスケールになるのか。私、絶対音感ないけど、Bb管のBbスケールの指でCスケールの音っていうか、Cスケールの音のハマる感覚がするのは、ちょっと変だな」

うん、それも慣れるよ。

「沙織は、C管とBb管持ち替えて吹いて、全く違和感ないのか?」

「うん、平気。C管持った瞬間、C管の頭にスイッチ変わるから、どっちもおんなじだよ」

「すげー。慣れってのは恐ろしいもんだな」

わーい。茉莉奈さんに褒められた! 今日は「茉莉奈さんに褒められた記念日」だな。後でカレンダーに印付けとこ。赤丸ででっかく。

茉莉奈さんは、しばらく音出ししていると、もうコツを掴んだのか、音がスムーズに出てくるようになってきた。

「それから、ちなみに、沙織さんは、高い音はどこまで出るの?」

部長さんが恐る恐る訊いてきた。

もちろん、高い音が出れば巧いという訳ではないのだが、トランペット奏者にとって、どれだけの高い音が出せるのかは気になるところ。

「そうですね、私は、hiGハイゲーーですかね」

「そうなんだ。私は、hiDハイデーだな」

と茉莉奈さん。

それを聞いて、部長さんはポカンとした顔をしている。

「っていうかさ、二人共――」

はい、何でしょう、部長さん。

二人して部長さんの顔を見る。

今まで見たことのない真面目な表情になり、「こういうこと言うのもなんだけど」と前置きして。

「二人とも、すっげー上手くね?」


「二人とも、本当に先月まで中学生だったの?」

え、ええ。紛れもなく。正真正銘、先月、中学卒業したばかりであります。

「ねー、副部長! 副部長!」

部長さんは、大声で、まだ音楽室の出入り口のところで部活見学にくる一年生の対応に追われている副部長さんを呼んだ。

「なになに、どうしたの?」と、すっ飛んでこちらにやって来る副部長さん。

気のせいかもしれないけれど、なんだか、この副部長さん。部長さんに対して、すごく従順な感じがする。

「あのさ、今部活見学しに来てるトランペットの一年生なんだけど」

ああ、今朝お世話になった子と、もうひとりの子ね。彼女たちが、何か?

「二人共、楽器すっごい上手なのよ! どうしよう?!」

「そうなんだ。それはよかったじゃない」

副部長さんは、何か問題が起こったと思って心配していたので、「なんだ、そんなことか」とあっけらかん。

「ねえ、あなたたち! 本当に、うちの部活入ってくれるのよね?!」

そういう部長さんの質問に、「はい、そのつもりです」と私と茉莉奈さん。

「ありがとう、本当にありがとう!」

部長さんは、今にも泣きそうな勢いで私達に何度も礼を言った。

「実はね、あなたたちのどちらかに、お願いがあるんだけど」

部長さんは、私と茉莉奈さんの目をじっと見つめて言った。


「お母さん?」

部活が終わり、自宅に帰ると、珍しくお母さんが私より先に帰宅していた。

外回りの出先から、直帰したそうだ。

「どうしたの?沙織。今日、部活の初日だったんでしょ?」

うん、そうなんだけど、と、私は先を続けた。

「私、パートリーダーになった」

パートリーダーって、トランペットの?と。

そうですよ、もちろん、トランペットですよ。

私がトランペット以外の楽器に回されたら、まず、話題はそっちが先だろう。

「三年生、いないの?」

「いるけど、部長さんで。パートの面倒をみる以外にも、部全体の仕事がたくさんあって、パートリーダーと兼任すると、どっちも中途半端になっちゃうからって」

お母さんは私からそう聞くと、

「そうねえ、パートリーダーの仕事も、意外とたくさんあるからね。トランペットだからって、トランペットのことだけ考えてれば良いってわけじゃなくて、他の金管楽器のパートリーダーともコミュニケーションしなきゃいけないし、木管楽器との合わせがある時は、そっちの動きも把握してなきゃだからね。部長は部長で、各パートリーダーとの連絡係みたいなこともしなくちゃいけないし。F女、なんでも生徒の自主性に任せてるから、普通の学校で顧問がやるような仕事も部長がやらないといけないし」

とはいえ、お母さんはパートリダーでも部長でもなかったはず。

「私は、音大の受験で忙しかったからね。パート・ーダーや、あまつさえ部長なんて、とても出来るようなスケジュールじゃなかったのよ。ピアノと聴音が、小さい頃から音楽やってる子達より不利なの分かってたから、どうしても楽器演奏で上位にならないといけなかったからね」

そのお陰で、お母さんは、他のトランペット受験者と比べて断トツの成績を収めたと。

それで、なんでプロにならなかったのか。

まあ、その辺の経緯は、私がトランペット始めてから何度も聞かされて、耳タコなんだけど。お父さんとののろけ話がウザいというおまけ付きで。

「それで、どうするの? パートリーダー」

「もう決まったことだから」

「パートリーダー会議とか、パート練習の音頭取りとか、大丈夫なの?」

あんた、楽器を演奏している時以外は声も小さいし、引っ込み思案で、自分から積極的に発言するタイプじゃないじゃない、だと。

お母さん、私のこと、そんな風に思ってたんだ。ショック。だけど、本当のことだ。それは、自分がよく知っている。

でも、今朝の一件で、あの生徒会長に言う事言ってやって、ちょっと自信ついたかも。

「それは、自分でも変わっていかなきゃと思ってるし、みんな、音楽ちゃんとやって行こうっていう意欲あるから、友達と一緒に頑張っていこうと思う」

お母さんは、私の決意みたいなものを聞くと、驚いたように目を見開いた。

「あんた、もう友達できたの!?」

私の決意表明ほっぽって、そっち?

ええ、出来ましたとも。一気に二人も。そのうち一人は、押しかけ友達みたなもんだけど。私の。

「へーえ。中学の時は、幼馴染の吉美ちゃん以外、夏休み過ぎても一人も友達出来なかったのに?!」

せ・ー・ち・ょ・ー・したのね、なんて笑ってる。

「だったら、ちゃんと部長さんをサポートして、逆に部長さんの仕事が増えないようにしないとね。パートリーダーは、楽器が上手なだけじゃ務まらないからね」

はいはい。偉大なるOG様の忠告、しっかり肝に銘じておきます。

この後、この“偉大なるOG様”の意外なる真実が明らかになる。

つづく。

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