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なんでこんなCDを最初に買ったんだ?~CD初期の高校生の聴き方

初めてCDを聴いた衝撃

私が初めて買ったCDは、他の記事でも書いているが、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルによる演奏でショスタコーヴィチの交響曲第10番だ。

中身のCD自体は輸入盤で、それに日本側でパッケージングをした、今のメジャー・レーベルでは考えられないなんちゃって日本盤だ。プラザ合意後数年の時期だったので、輸入盤で買えば2,100円(おまけに当時は消費税なし)くらいで買える代物で完全なボッタクリ

ただ、当時は輸入盤を取り扱っている店は、石丸電気やWAVE、十字屋など都心に集中していて、路面店などなくて気軽に行けるような場所ではなかったから、厳選に厳選を重ね、しかたなく日本盤を買っていた。

しかし、私が初めてCDを聴いたのが、このディスクかというと、それは違う。

私がCD(コンパクト・ディスク)の存在を初めて知ったのは、高校の音楽の授業だった。

当時高校生だった私の高校では、芸術科目は選択制で、吹奏楽部だった私は当然のように音楽を取ったのだが、吹奏楽部の顧問でもある音楽の先生がCD推しで、指導要綱には書いてないはずだけれど、一年生時、1コマかけてCDの凄さを伝授されたのが、CDを知った切っ掛けだった。

初めて見たCDは、宝石のようにキラキラ光っていて、この中に本当に音楽が入っているのかと、不思議だった。

授業を受けるうち、音のビット符号化や周波数サンプリングなど、音をデジタル処理する理屈は分かってきたが、やはり、音の信号がそのまま(厳密には違うけど)記録され、レコード針の振動を拡大してスピーカーで再生するレコードと比べると、感覚的には全く理解できなかった。

しかし、その音は、異次元の素晴らしさで、ノイズの全くない音は、オーディオで音楽を聴いているという感覚を奪った。

私の通っていた高校は、当時の校長がレコード会社や映画会社などのエンタメ産業の会社も経営している実業家ということもあって、学校集会を学校付属のコンサート・ホールで行なったり、社長の会社で制作した新作映画の鑑賞会なども開いたり、視聴覚室にはLDプレーヤーや最新式のプロジェクターを備えたりして、映像・音響施設はかなり充実していた。

音楽室も、JBLに特注させた巨大な業務用スピーカーと、YAMAHAの最新式DSPシステム(「DSP-1」?)を導入していて、総計1,000万円くらいかけたシステムがあった。

当然、レコードもそれなりのシステムで鳴らしていたはずだが、音量を上げると、どうしてもレコード針が盤面を引っ掻く音が低周波ノイズとして出てくる。もちろん、スクラッチ・ノイズと内周歪みは回避不能で、皮肉なことに、大システムゆえ、そういったノイズはどうしても目立ってしまう。
スクラッチ・ノイズは、レコード針の代わりにレーザー光でレコードの溝を読み取るレーザー・ターンテーブルでも、完全に取り去ることは不可能だ(小さな埃ならレーザー光が焼き切るが、それなりに大き目の埃では無理)。

レーザー・ターンテーブル

それが、CDになると、全く聴こえなくなるのだ。

今考えれば、そんなこと「当たり前」なのだけど、1986、7年当時は、レコードにしろテープにしろFMラジオにしろ、音楽を聴く時にノイズは付きものだった。

確かに、極初期のCDでは、デジタル特有のデジタル・ノイズや、電子回路から発生する電磁ノイズはあった。しかし、それも対策が進み、全くといっていいほど、ディスク自体のノイズを気にすることはない。

しばらくは買えなかったCD

CD初期の国内盤は、高かった。
当時は消費税がなかったからまだマシかもしれないが、レギュラー盤で¥3,200~3,500程度。
自販機の缶ジュースが100円くらいだったから、感覚的にはあまり物価は変わっていない感じだけど、1985年の大学の初任給が13、4万の時代。
初任給ベースで考えれば、¥6,000くらいの感覚か。そう考えると、缶ジュースは¥170くらいになるし、¥6,000といったら、今はDVDの価格になる。
あれ? 当時は結構物価高かったんだね・・・。

そんな感じだったから、高校生が国内盤CDをざくざく買えるような状況ではなかった。

これはnoteの記事にはしていないのだが、そこで活躍したのが、図書館だった。

うちの高校では、吹奏楽部員は音楽室にあったCDを自由に借りられた。
もちろん、私は毎日のように家に持って帰って聴いていた。
しかし、しばらくするとそのCDは全部聴いてしまい、どうしようかと考えた。

いろいろ調べてみて、通学途中の市立図書館で、CDを聴けるサービスがあることを知る。

行ってみると、かなり多くのCDを所蔵していて、驚いた。多分、少なく見積もっても千枚以上はあったと思う。もう、CDが出始めて5年以上たっていて、次の年にはCDとレコードの販売枚数が逆転するようになるのだけれど、CDの所蔵にかなり力を入れているようだった。

そこには、ヘッドフォン付きのCDプレーヤーが10台くらいあって、自由に聴くことが出来た。
もちろんタダで聴けるので、しばらくの間は入り浸りだった。

ただ、環境的にゆっくり音楽を聴ける状態ではなかったので、音楽に深く浸透することはできなかった。

それまでは、テレビでオーケストラの演奏会を見たり、ラジオのエアー・チェックをしたりして、音楽を十分に楽しんでいた。

しかし、CDを知ってからは、そのクリアな音質(当時のテレビの音声はモノラルだった)や手軽さに、一気に惹き込まれ、もっとじっくりCDで音楽を聴きたいと感じるようになった。

そこで、そのためには、やはり自分でCDを買わないといけないといけないな、と思った。

そこからは、以下のnote記事にまとめているので、ここではくりかえさない。

レコード業界を支えたCDの黄金時代

もちろんアナログ録音(最初の頃はそういう言い方はしなかったが)には、デジタル録音とは違う魅力がある。

しかし、レコードはCDと比べて製造には大規模なシステムが必要だし、何倍もの手間がかかる。当然、それは制作費にも影響する。

実際、レコード時代には、新規参入する会社は殆どなく、市場はほとんどいわゆるメジャー・レーベルの寡占状態で、そのほかには共産圏の国営企業がいくつかその隙間を埋める、といった状態だった。

また、私がCDに興味を持ち始める少し前、CDが普及し始めた直後の1980年代中頃から、新興のレコード・レーベル(マイナー・レーベル)が雨後の筍のように乱立し、1990年代中頃からはインディーズ系のレーベルからデビューするインディーズ系バンドのブームもくる。

そして、現代では、ディスク(円盤)の代わりに、ディスク・レスのネットで音楽を聴くのが主流になり、数万円の録音機材されあれば誰でも音楽で商売できる時代になった。

クラシック音楽限定になるが、CDの歴史は、以下のように分類することが出来る。
1.1982年~1990年:デジタル録音による再録音の時代
2.1985年~1990年:アナログ録音復刻の時代
3.1990年~1998年:アナログ録音リマスタリグの時代
4.1995年~2000年:マイナー・レーベル乱立の時代
5.2000年~2010年:ライヴ録音全盛の時代
6・2010年~現在:CD衰退とネット配信の時代

1.は、カラヤンやバーンスタイン、ショルティといった大物指揮者が、アナログ時代に既に録音していたレパートリーを、デジタル録音で録音し直す時代だ。もちろん、それと並行して、アバドやプレヴィン、ムーティ、バレンボイムといった中堅指揮者による新録音も積極的に行われ、レパートリー的にも、マーラーやブルックナー、そしてオペラといった、CDの長時間録音を利用した大曲の録音もアナログ時代に比べて増えていく。

デジタル録音による新録音が定着すると、今度は、過去の録音の復刻が行われるようになる。この、いわゆる「買い替え需要」により、CDの売り上げは右肩上がりに増えていき、1980年代の後半になると、レコード(アナログ盤)の売上枚数を越える。

その延長として、1990年辺りからは、今度はそれらの録音をリマスタリングした、「高音質化」がブームとなり、これが1990年代後半まで続き、様々なリマスタリング方式が乱立していく。

つまり、1980年半ばからのCDの隆盛は、ほとんどアナログ録音の復刻によって支えられていたと言っても良いのだ。

このアナログからCDへの買い替え需要は、レコード産業にとって強力な助け舟となった。

というのも、レコードの売り上げは、1973年の第一次オイルショックによる「狂乱物価」の影響が落ち着いた1976年、一旦売り上げが回復したかのようにみえたが、成長率はほぼ横ばいとなり、1981年には、なんとレコード史上初めてのマイナス成長になってしまう。

レコードの売り上げは、その後も下がり続け、CDと合わせてピーク時の1981年の売り上げを越えるのは、やっと1987年になってからになる。その、1987年こそ、CDがレコードの売り上げを越えた年なのだ。

そして、CDの売り上げは右肩上がりに増えていき、1998年がピークとなるが、現在では、アナログ・レコードのピーク時より下回っている。

1987年から、音楽ディスクの売り上げが上がり始めた要因は、様々あると思うが、やはり、団塊ジュニア世代が就職し始めたという社会構造の変化があると思う。

同じように、1981年がレコードの売り上げがピークとなり、その後売り上げが下がり続けたのは、団塊世代(1947~1949年生まれ)が結婚し、子どもが生まれたり家を買ったりして、可処分所得が少なくなっていったのが要因だと思う。

そして、1995年あたりからは、その少し前からくらいからヴァージン・レコードやHMV、WAVE、タワーレコードといった外資系のディスク販売店が次々に出来ていくと同時に、山野楽器や新星堂といったそれまでのレコード店では扱っていなかったようなマイナー系のレーベルが増えていく。

特に、NAXOSの登場は、レコード業界のみならず、レコード市場全体を驚かせた。

「衰退」の一言しか出ないCD業界

しかし、2000年を越えると、音楽ディスクの売り上げはみるみる下がっていき、一つのレーベルがアーティストを抱え込む「専属契約」制度自体が成り立たなくなる。

これは、アーティスト個人レベルの話ではなく、ベルリン・フィルやニューヨーク・フィルといった有名オーケストラが、次々に独自のレーベルを設立し、過去のライヴ録音をCD化していった。

また、1980年代後半に相次いで亡くなったカラヤン、バーンスタイン、ヨッフウム、オーマンディ、ムラヴィンスキーに引き続き、ショルティやチェリビダッケ、クーベリック、テンシュテット、朝比奈隆、ヴァント、クライバーといった中堅指揮者が1990年代中頃から相次いで亡くなり、彼らの過去の録音を復刻するブームも来る。

そして、2000年代後半には、BMGやEMI、Philips、Londonといった、レコード産業創生期からあるようなメジャー系レーベルが次々に解散していき、現在では、それまで毎月何タイトルもリリースしていたレーベルも、月に数タイトルの新譜を出す程度になっている。

私は、もうCDの役割は終わったと思っている。

はっきり言って、CDで音楽を聴かなければならない理由はないのだ。あるとすれば、あの宝石のようにキラキラ光った盤面くらいしか・・・。



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