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連載:私を「クラシック沼」に落した穴(傑)作~その4

私がある種の音楽にハマっていったプロセスをひたすらなぞっていくこの連載。
第1回と第2回は、脳科学と認知心理学の知見を利用し、その概念を概観した。そして、第3回では、その具体的なプロセスに入っていった。
簡単に総括すると、そこには、「衝撃」を受けたかどうかが大きく関わっているように思う。私の場合、それがたまたまクラシック音楽だっただけで、パンクでもヘヴィメタでも同じだろう。もちろん、音楽以外でも。
この第4回では、恐らく、人生の中で最も強い衝撃を受けた作品との出会いからお話していく。

人生最大の衝撃との出会い
それは、たまたまの偶然だった。
前回、最後の方でお話したとおり、生活に少し余裕が出てきて、放送時間に間に合ったので「久々にN響アワーでも見てみるか」と思い、TVをつけたのが、運の尽きである。
N響の定期公演は、FMの同時中継はエアー・チェックしていたが、TV放送はやたらに録画(生テープが高すぎる)する訳にはいかなかったので、それでよしとしていたのだ。
当時の「N響アワー」は、作曲家の芥川也寸志が司会を務めていた。
ちなみに、芥川はN響創設と同年の1925年生まれ。
芥川自身、子供の頃からロシア音楽に親しみ(父親―もちろん芥川龍之介!―の蓄音機で色々聴いていた)、ソ連に入国したこともある経験から、ロシア=ソヴィエトの作曲家や音楽の話しとなると、特に饒舌になった。

その日紹介されたのは、ストラヴィンスキーの《春の祭典》。
まあ、ストラヴィンスキーが厳密な意味でロシア=ソヴィエトの作曲家なのかという議論はあるが、前述したように、芥川は子供の頃から父親の遺品であるSPレコードで《火の鳥》や《ペトルーシュカ》を聴いてきたので、ストラヴィンスキーにも思い入れがある。なにしろ、ストラヴィンスキーが来日してN響を指揮したコンサート(1959年)も聴いているのだ。

上の動画でも確認できるが、芥川は「猫招きの様な手で指揮する」とか、「指揮の途中で鼻をかむ」とか、ストラヴィンスキーの指揮について様々な逸話を披露(要するにストラヴィンスキーの指揮は上手くない)。
特に、「(音楽の)静かな部分になると客席でいっせいにガサッ、ガサッと音がする。何かと思っていたら、みんな、スコアを見ながら聴いているんですね。当時の楽譜は紙質が良くなかったから、スコアを捲る度、いっせいに。当時の人達はみんな勉強熱心でしたね」という話しは強く印象に残って、私もコンサートに行くときはスコアを持っていくようになった。

中でも、ストラヴィンスキーが《春の祭典》を作曲する際にスコアとは別に書いていた、音楽のアイデアを記したスケッチ集(The Rite of Spring [Le Sacre du Printemps] Sketches, 1911–1913)を紹介していたのは、作曲家でもある芥川ならではだろう。

《春の祭典》スケッチ集(出版:1969)

そして、いよいよその演奏であるが、指揮をするのはシャルル・デュトワ。1987年9月4日、サントリー・ホールでの演奏である。なお、この組み合わせは、9月16日にもNHKホールで演奏しているが、N響アワーで放送されたのはサントリーの方。正真正銘、デュトワが「初めて」N響を指揮した際のものである。なお、舞台の後ろ側に空の山台が設置されているのは、同日に演奏されたラヴェル作曲《ダフニスとクロエ》第2組曲の合唱用に用意されたもの。

N響は、1987年1月にも、セルジュ・ボドと《春の祭典》を演奏しているのに、この時の私は、《春の祭典》を聴いたのはなぜか初めてだった。恐らく1月は、前回お話ししたヤンソンス指揮レニングラード・フィルのチャイコフスキーばかり聴いていたため、未チェックだったのだろう。

今でも鮮明に覚えている、というか、常に忘れることが出来なかったのだが、初めて《春の祭典》を聴いた時の衝撃は凄まじかった。とにかく、こんなデタラメな音楽がこの世に存在していたのか? と思った。
まあ、19世紀になって以降、「デタラメ」な音楽なら星の数ほど生まれてきてはいるのだが、まだまだクラシック音楽を本格的に聴き出して一年くらいなので、その時は知る由もない。今なら、一日中youtubeを漁っていれば、いくらでも幅広い音楽に接することは出来るが、当時はFMのクラシック音楽番組を聴くかCDを買うかくらいしかなかったから、あれを聴きたいこれを聴きたいと、自由に手を広げるわけにはいかなかった。まして、CDでは、知らない曲には手を出しづらい。当時、国内盤CDは3,500円くらいした。知らない作曲家や曲を知るには、FM放送しかなかった。

「先に進まなければ」という切迫感
かくして、目出度く(?)、《春の祭典》を知ったわけだが、もう、ほとんど《春の祭典》のことしか考えられなくなっていた。
そこで、銀座のYAMAHA店に行って、《春の祭典》のスコアを入手。「N響アワー」の番組内で芥川が言った、「勉強熱心」という言葉がずっと引っかかっていたからだ。「音楽を勉強するには、聴くだけではなく、スコアを読むことも必要」。彼の言葉を、そう捉えたのだ。

それからは、変拍子や特殊楽器、特殊奏法、様々な楽器の組み合わせetc、《春の祭典》の複雑なスコアと格闘する日々が続く。とにかく、これを普通に読めるようにならなければ、《春の祭典》をマスターしたことにはならないし、先に進める気がしなかった。

しかし、《春の祭典》のスコアを買うため、銀座のYAMAHA店に行った時の、楽譜の量の多さには、目がくらんだ。もちろん、《英雄の生涯》や《春の祭典》、そして交響曲のようなオーケストラ曲以外にも、ピアノ曲、室内楽曲、歌曲、オペラetcと、あまり触れてこなかったジャンルもあるのだが、オーケストラ曲に限っても、その量は圧倒的だった。クラシック音楽の幅広さというか、圧倒的な作曲家と作品の量を実感したが、まずは、「これ、全部聴くのは不可能だよな」という不安がよぎった。

前述したように、FM放送を聴いていただけでは、限られた音楽にしか出会えないだろうし、そうして手当たり次第に聴いていくだけでは、いずれ限界が来るだろう。《春の祭典》だって、自分から積極的に出ていれば、もっと早く聴くことが出来ていたかもしれない。

そう考えた時、「もしかしたら、今の聴き方は、ものすごい損をしているのではないか?」という恐怖心を覚えた。《春の祭典》レベルの作品、もしくは、それ以上に魅力的な作品はあるのに(いや、確実にあるだろう)、消極的な聴き方をしているせいで、未だに遠ざかったまま、出会えないでいる。

とはいえ、クラシック音楽の全てを知りたい・聴きたい訳ではなかった。
試しに、学校の図書館に行くと、『名曲解説全集』(全24巻+補巻)があった。

『名曲解説全集』(全24巻)

もちろん、バッハやハイドン、モーツァルトは知っていた。だが、今まで好きになった作品を思い出してみると、自分は、どうやらワーグナー以降の後期ロマン派と相性が良いようだと分かった。しかし、ワーグナーは自分が好きではないオペラの作曲家だからハズすとしても、知るべき作品は、膨大な数に上りそうだった。
当然、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンあたりの割合は大きいだろうし、ラジオ放送がそれら以外の全てを網羅してくれるわけではないだろう。

ということで、そろそろ冬休みが近くなり、部活も出ても出なくてもいい感じになったし、短期アルバイトをすることに決めた。
時に、日本はバブル経済真っ盛り。高校生にも、探せば出来る仕事はいくらでもあった。
取り敢えず、夕方は近くの工場のライン作業、そして、夜は、郵便局(これお集配センターが近所にあった)の仕分け作業のバイトを入れることにした。ラジオを聴く時間はなくなるが、仕方がない。

そして、1987/1988年の年末年始は、12月中旬辺りからバイト三昧に明け暮れることになる。しかし、こうして、一定の経済力を持ったおかげで、現在の自分に繋がる音楽との出会いがあるとは、この時点で全く予測はできていなかった。

というところで、今回は、ここまで。
次回に続く!

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