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「どんぶりめし」発言で出会えた栄養疫学研究者への道

前回のnoteでは、九大農学部時代の紆余曲折ぶりを綴りました。

食品機能学の研究者になることはあきらめて農水省に入った私ですが、そんな私を待ち受けていたのは、再度の挫折と、栄養疫学という学問との出会いだったのです。


●コンクリートに囲まれた霞が関で農業を想う(農水省時代)

東京の霞が関で働き始めた私。農水省で最初に配属されたのは、米や麦の管理をする部署でした。米の消費拡大のプロジェクトも担当していました。「食育に関わりたい」と採用面接時に伝えていたことを考慮してもらったのかもしれません。

部署としては食育に関係はあるものの、入省1年目の係員が食育の実務をいきなり任されることはありません。実際にやっていたのは課内全体の総括業務。書類のコピーや、課内にきたおたずね案件の回答を担当者に作ってもらってその回答を依頼元に返す仕事などです。目の前のことをひたすらこなすだけで、国民のため、農業のために働いているという感覚は感じにくい状況でした。

そして、自分たちの担当案件を処理しながら、政治家からおたずねがあればすべての業務をストップさせて政治家対応をする、というやり方で仕事が進みます。国会の開催中には、残業は当たり前で翌日の答弁作りをする上司たち。それに巻き込まれて帰りが遅くなり、体調を崩す同期。近いうちにこの流れに巻き込まれるのだろうなと思い、びくびくしていました。

霞が関のコンクリート街へ毎日出勤


●どんぶりめし発言にショック

仕事に関わるうちにわかってきたことは、農水省は健康のためになることを実施するところではなく、農家のためになることを実施するところ、ということです(当たり前といえば当たり前ですが…。気づいていなかった!)。「健康のため」という視点がないせいか、米の消費拡大のためには「どんぶりめしを推奨したほうがよいのではないか」といった発言も耳にしました。

たしかにお米の摂取量は増えるかもしれないが…

「国には世の中を変える力も、それを支える頭脳もあるはずなのに、食べ物を通した社会の健康づくりをここで目指すことはできなさそうだ。しかも何か根本的に足りないものがある。」という思いが次第に湧いてきたのです。

●栄養疫学との出会い

 公務員生活が始まってもうすぐ2年となるころ、省内の食育勉強会で、東京大学の佐々木敏先生が講義をされました。ご専門の栄養疫学は、実際に生活しているヒト集団を対象に、食べているものと健康の状態を調べる学問だそうです。研究というと「実験研究」しか頭になかった私は、このような「疫学研究」という分野があることを初めて知りました。そしてオリーブオイルや食物繊維は健康によいという情報をどう捉えたらよいのか、栄養疫学の研究結果があれば判断できることを知りました。
 
私がそれまでに感じていた「何か足りないもの」とは、こういった栄養疫学の研究結果と、それを政策づくりに活用しようとする姿勢だったのです。栄養疫学の研究結果があれば、社会に向けて食事をどのように食べたらよいか、説明することができます。それが真の食事の教育、つまり「食育」にもなります。私の学びたかった学問はここにきてようやく見つかったのです!

恩師となった佐々木敏先生との出会いは、こちらでも紹介しています。


●そうだ、栄養疫学の研究者になろう!

佐々木先生の研究室にその後訪問して、日本では栄養疫学研究が十分実施されていないことを知りました。ならば自分がそれを担わなければ、と思ってしまったんですよね。若気の至りですね…。でも元々は研究を仕事にしたいと思っていたわけですし、そして学びたい分野も見つかりました。それならばそのまま公務員にしがみつく必要はありません。農水省を辞めて、学生に戻る覚悟を決めました。
 
農学部時代、修士課程まで修了はしていたのですが、人の健康のことを十分に学んではいません。ちょうど東大に公衆衛生大学院が数年前に設立したところでした。お医者さんや看護師さんなどの医療関係者が学び、得た知識を現場で活用してもらうことも目的にあるため、社会人入学の人が多いということでした。その大学院で人の健康を扱う公衆衛生学を修士課程から学んだほうがよいだろう、というアドバイスを佐々木先生からいただきました。普通の大学院の修士課程とは違って、定員に対しておおよそ3倍の受験者がいる、という狭き門でしたが、働きながら再び受験勉強を始めました。
 
仕事では部署移動があり、内閣府の食品安全委員会事務局へ出向となりました。偶然にも最初はあまり忙しくなく、なるべく定時で帰宅し、早朝と夜を土日を勉強にあてる、国家公務員の受験勉強時代と同じようなスタイルで勉強を進めました。公衆衛生学といえば医学分野。自分が今までまったく学んでこなかった分野です。最初は過去問を見ても用語はさっぱり、だったところから、猛勉強の末、5か月後の受験でなんとか合格を手に入れました。

●おにぎりで命をつないで(食安委時代)

東大の受験勉強が終わった直後から、急に仕事が忙しくなりました。深夜の帰宅が毎日のように続きました。食と健康に今後携わるなら、自分の食事は大事にしなければと、外食を減らすために毎日2食の弁当を作り、昼と夜に食べるという生活を続けていたものの、次第にそれもできなくなり、夜はおにぎりだけ、という状態になりました。今後の生活の中では、人に食事の大切さを説くのであれば、絶対に自分の食事はおろそかにしたくないな、と感じたものです。このころまた少し体調を崩しました。

大変な中ではありましたが、食品安全委員会事務局の仕事は、研究論文の結果(evidence;エビデンス)に基づいて様々な物事が決まっていくため、農水省にいたときよりは仕事の進めやすさを感じました。Evidence-based、つまり研究結果に基づいた判断をすることの大切さを、この1年で体験させてもらえたと思っています。 

 合計3年間だった公務員時代は幕を閉じ、再び待ち受けていたアカデミアの世界はどのようなものだったのか?続きは次回へ。


すべての100歳が自分で食事を選び食べられる社会へ。

みなさんの人生10万回の食事をよりよい食習慣作りの時間にするため、できることからひとつずつお手伝いしていきます。

また読みにきてください。
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