ずるいの心理
「ずるい」という言葉を年令問わずたまに聞く。
たしかにずるいという言葉は幼いときは使っていたことがあるような気もするが大人になってからはあまり発言していない気もする。
この前その言葉を聞いたので、なぜ「ずるい」という心理になるのかしばし考えた。
ずる‐い【狡い】
人をだしぬいて自分が得をするような、正しくないやりかた。わるがしこい。こすい。
これが狡いの意味らしいが、人よりも利益を得たり、うまくやっていく様は良いが正しくない行為がはさまれるとずるいになるようだ。人を出し抜く行為は好印象は持たれないかもしれないが個人的にはアリな気もしている。
なのでこのなかの「正しい、正しくない」の認識が「ずるい」を産み出すんだろうか。それともギルティライン的なものがずるいをジャッジし始めるんだろうか。なんだがそんな判断するしないをしてるのは大変忙しいですねぇ、という気持ちになる。
正しい、正しくない、ずるいの判断時に感情がからんでいる場合はたいがい羨望や嫉妬がいりまじっている。なかなか人は複雑だ。
倫理的なものは別として大きな実害がない限り「ずるい」と強く思うのは私は難しい気もする。
あとはたまに自分自身の中にでてくる「あれはずるいのでやらない」というのは物事を真正面から向き合うのが怖い可能性なのかな、とも思う。やらない理由を並べるのは比較的得意で、到着までの道のりを伸ばす行為だな、と自分でわかりながらもひとますよくやる。私の場合はそんな感じだった。道のりはどこまでも長くできるものだ。
これからも生きていたらこんにちはする言葉だと思「ずるい」。耳にするたびに色んな気持ちになりつつ「ガンバレ」と私は思うのだろうな。
その前に「な、なんでずるいと思ったの?なんで?なんで?」と問い詰めるような人間なんだが。
「ずるい」という気持ちもまた自分で作り上げた枷になりかねないひとつなのかもしれないな。
ふと思ったことなどを絵と共に記録します。 原風景は森の中。野性味じわっとあります。