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贈与社会への興味の根底にあるもの
最近の関心ごととして「贈与」や「ペイフォワード」などの恩送りといった概念がある。今取り組んでいる新規事業でも大切にしていきたい世界観に大きく組み込んでいる。なぜ、こんなにもこうした概念に関心を惹きつけられているのか。これまでのことを振り返って、そうか、と腑に落ちる部分があったのでせっかくなので記録に残しておきたいと思う。
「努力できる環境」で育ったという自覚
自分は恵まれているという自覚がある。
めちゃめちゃ裕福な家庭というわけではない。そうではないが、自分はとっても恵まれているという自覚がある。それは当たり前に、正当に努力をし続けられるという環境があったから。金銭的に苦労をせずに大学まで進学できた。大学受験の際は死ぬほど勉強をした。努力をした。しかし、志望校に受かった1番の理由は自分が努力をしたからではなく、そもそも努力をできる環境があったから。本当にすごく恵まれていると思う。
努力をすることはあたりまえだと思っているが、その当たり前ができない人もいるということを知った。海外での経験や、また外に目を向けたことで内にも目が向くようになった。
努力は当たり前と努力できる人は口を揃えて言うが、本当にそうだろうか?そもそも、努力をするというマインドを持てる環境にいない人も本当に多いと思う。
日々の生活に追われていて、今日の生活をやりぬくだけで精一杯の人。戦争や差別などで住んでいる国で穏やかな生活が送れず、生きることが大変な人。圧倒的に情報が不足している環境で、未来の選択肢を知らない人。そういった人たちは、そもそも努力をする環境にいないし、努力を知らないかもしれないし、努力をしたくてもできないかもしれない。
だからこそ、そういった環境がある今にとても感謝をしているし、努力ができるのに努力をしない自分が最低だと思うし、努力をして何かを成し遂げたとしても自分だけの力ではないという自覚がいつもそばにある。
親孝行とペイフォワード
そんな環境にいることを作ってくれた両親への感謝は大きい。両親のおかげで、今があり、やりたいことを努力すればできる環境にいる。
母が亡くなってから6年が経った。そんな感謝も伝えられず、何も親孝行できなかったという無念。ずっと後悔していた。父にこの恩を返していくのはもちろんのこと、母に返せなかったこの恩は、また別の人に伝えていきたいと最近強く思う。恵まれているという自覚があるからこそ、これを自分の中だけに留めておくわけにはいかない。もっと大きく循環させていきたいと思っている。
まとまりのない文章になってしまったが、これが私が最近「贈与」に関心を惹きつけられている理由なのだとふと思った。
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