ランドセルの思考(下校中)
いま生きている地下には海という別の世界があるように、この空の上にはまた違う世界があって、人間じゃない生き物が私たちを見ているんじゃないかと思う。
海で魚の仲間が急にいなくなったとき、魚からしたら仲間は死んだのかと思うはず。でも実際は地上の世界で、人間の家の水槽で飼われてたり。
そうすると人間だって、地上で死んだと思っても、その魂的なもの?は、空の上の別世界の何かに飼われてるんじゃないか。
その空の上のヤツラは私たちのことをよくよく見ていて、面白がっているかもしれない。
そんなことあるわけないだろうと99%の人が思ったところで、宇宙を目で生で見たことが無いからちょっとよくわかんない。
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私はデジャヴ(…ヴって打つのおしゃれみたいで恥ずかしいからこれからブにします。)がひどい。うわ、これ夢で見た景色、状況だわーーーー超見覚えあるーーーってことがしばしばある。そういう時は、人生ってもう最初からぜんぶ決まっていて、ことある選択肢でめちゃくちゃ悩んで決定したことでも、それはぜんぶ必然だったのでは?と思う。
子供のころは目の前にどちらか選ばなきゃいけない選択肢が出てきた時、デジャブを感じない方、つまり不正解を選びたくてたまらなかった。でも定期的にデジャブにおそわれて、あーーー、また不正解選べてなかった!残念!!って気持ちになった。
ただ、最近、そういえばデジャブがない。もしかしたらどこかの選択肢で念願の不正解を選べたのかもしれない。…それもそれで保証がなくてちょっと怖いな。でも、あみだくじみたいに張り巡らされた選択で作られる人生なら、想像もつかない普通選びようがない道を通ってみるのも有りな気がする。
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あと、これも思ってた。生きてるんだけど、実は、私は一人でリクライニングチェアに座ってるだけなのでは?ということ。
目の前には360度のスクリーンがあって、いま触れたり感じたりしているものはぜんぶ、モニターで映される映像をみているだけ。だから本当は友達も、家族も、居ないのかもしれない。ひとりっきり、映画館のように密閉された部屋で、ただ見ているだけ。今時VRが出てきたから余計そういうことも可能になってる気がする。でもさ、ただ見てるだけだとしたら別に私が人間である必要は無いんだよね。ただ眼がある、ドロドロの妖怪かもしれない、じぶん。不思議だな。
小学生の時、本当はひとりっきりだと思ったらとんでもなく寂しく怖くなって、目の前にいてくれる友達がいつもより大好きで大切になったのを覚えてる。
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もし、生まれ変わりがあるとしたら。
今日死んでしまった恋人を泣きながら看取って、次の日、恋人は蟻になってたとする。で、気づかずにまた踏んづけてるかもしれない。
あんまり、今のこの状況の中こんなことを言うのは不謹慎というか良くないのかもしれないけれど。
私は歴史が苦手だ。なんか、どうもしっくりこない。分からない。紙のインクを読んだところで、ほんとかよ〜〜と疑ってしまって現実味が無くて、信じきれない。書く人によって解釈も見え方も違うし。
だから戦争についても、どの国が悪いとか、誰が悪者とか、そういうの難しいと思ってしまう。もちろん、だから投げ出すのは違うし、考え続けなきゃいけない。だけどじぶんよりもずっとずっと昔の人がしてしまった失敗とか、憎しみとか、現代にそのまま引き継ぐ必要がどこにあるのと思ってしまう。
だって、自分がいつどこに生まれ落ちるかは自分で選べないわけで。
例えば、今日わたしがAという国側に立って、銃を持って、Bの国の人を殺したとする。
でもさ、私が殺してしまったBの国の人、私の死んだおばあちゃんの生まれ変わりだったらどうするの?
と、思っちゃう。
生まれ変わりがあるとするならば、今日自分が殺す敵国の赤ん坊は、昨日まで一緒に暮らした恋人かもしれないんだよ。
生まれる場所も時間も選べないってそういうことだから。
うん。そういうことで、私は戦いたくない。
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だらだらと書いてきた、主にランドセルを背負いながら考えてきた思考だけど、正解がないからこそ思い浮かぶことたち。
いい学校を出て、お給料とお休みをちゃんともらえるお仕事について、安定安心して生きていくのが正解な気がしてしまうけど、大人になればなるほど思考が固まってきてしまうけど、そもそもの概念から不確かなのが現実だ。
そういう固まっていく思考に対して、”芸術”はすごく有効だと思う。(芸術文化専攻の学生らしいでしょ)
音楽、美術、演劇、映画、そういうもので、私たちが普段思考停止してる”当たり前”の概念を覆すこと。新しい角度から、ほんとにそうなのか?って疑ったり、逆に自分だけだと思ってた、一見おかしなことに共感したり繋がったりすること。
「俳優は、演劇は、映画は、人生を変えるものだ」って言う人がいるけど、まあ、それは言い過ぎな気もする。というか、簡単に人生を変えるとか言っちゃうと逆に薄っぺらく感じるし、観たくらいでそう簡単には人生変わらない。
でも確かに、人生変えちゃうかもしれない可能性は、なきにしもあらずだよね、って思う。そういうこともある。
一見くだらないと思うような妄想が私は大好きで、まわり道も決して無駄ではないって思えるから芸術が好きなんだろうなぁ。ほんと、暇さえあれば妄想してるわ、昔から今も。
ということで今後もずっと死ぬまで妄想に溺れながら生きる。
アイスを買います