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待つのを辞める

「いってらっしゃい」

この言葉の意味を一番よく理解している人は、母だと思う。

母は父と結婚してすぐ、それまで勤めていた会社を辞めた。子供ができたこともあったけれど、私の親世代は結婚出産を経て退職する女性がほとんどだったそう。今では男性が育児休暇を取得したり、専業主夫という言葉ができたり、「生き方」が多様化している。一世代前とはかなりの差があるみたいだ。

父は海外出張が多い仕事をしていて、年に数回、長い時で二週間も家を空けることがあった。子供の頃は全く気が付かなかったけれど、母はそんな状況でも家を一人で守っていて、すごかったと思う。

そんな母も、たまに父へと愚痴をこぼす時があった。

「お父さんはいいよね、自分だけ出張だって言って、外国で観光できるんだから」

休日に何もしないでソファでテレビを見ている父に向かって、皮肉のひとつやふたつを投げていた母。大人になった今、娘の私はその言葉に込められた本当の意味や感情を考えている。

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「大人になる」ということは、「たくさんの役割を経験すること」であると思う。いろいろな役割を経験することで、いろいろな人の目線で物事を考えられるようになり、その結果視野や行動の幅が広まっていく。

そういう意味で、私の人生においては母の役割よりも「父の役割」を経験するのがまず先だった。

理由は、大学卒業後すぐに会社員として父と同じようなライフスタイルを送るようになったからだ(とはいえ、父は勤続年数のようなプレッシャーや、上司としての責任があったのだろうけれど)。

「父の役割」を経験している最中、母に悪いことをしてしまったと後悔していることがある。

仕事から帰ると、母は夕飯の支度をしながら私にたくさん話しかけてきて、一日の出来事を報告してきた。仕事で疲れた私は、話半分くらいにしか耳を傾けておらず、空返事もいいところだった。

それもそのはずだ。その頃はまだ「母の役割」を経験したことがなかったのだから。

結婚後、「母の役割」を担うことになった自分は今、あの時なぜ母がたくさん話しかけてきたのかがよく理解できるようになった。「いってらっしゃい」と働きに出る人を送り出して、その後一日の大半の時間を一人で過ごして、誰も褒めてくれない家事をこなして、心が寂しかったのだと思う。

ようやく帰宅した家族にたくさんたくさん話しかけて、心を温めようとするのは自然なことだ。

仕事を続けてくれた父にはもちろん感謝しているが、母に対しては感謝はもちろん、申し訳なかったという謝罪の気持ちが強い。主婦特有のやり場のない寂しさや虚しさが、胸いっぱいに広がる日も多かったでしょう。

それでも愚痴はたまにしか言わないで、きっと母はどこかでなにかをぐっと我慢していたはずだ。

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そんな母は、ある時から家族を「待つのを辞める」ことにしたみたいだ。

子供たちが完全に巣立ったことも影響したようで、これまでの経歴を活かしてサクサクと資格を取って、バリバリと働きだした。これにはもう家族全員が脱帽した。

ここまでどんなに家を守ることを頑張ってくれたのか、我慢したことも多かったと思う。

そして母のこの我慢に対する行動は、私に大きな勇気をくれるものだった。

孫ができるくらいの年齢からでも新しいことにチャレンジできること、年齢なんて関係なく輝いて見えること、いつだって学びはそばにあること、盲目になって走る瞬間は尊いこと、挑戦とは周囲の人がいつでも応援したくなる熱いものであること。

「待つのを辞める」のは、時として怖いものだと思う。待たれる側の責任も生まれる。

それでもやっぱり、我慢していることを変える手段として「待つのを辞める」ことは一つの選択肢なのではないかと、母の輝く笑顔を見ていて感じるのだ。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。