裏側の世界
人は誰でも外見だけでは分からない「裏側」を持っていると思う。人の数だけ生き方があるのだから、当然その分の「裏側」が存在する。つまりここで言いたい裏とは、過去の経験や体験とも言えるだろう。
現在私は、地方の田舎町で暮らしている。観光地でもないし、自治体の名前を出したところで恐らく分かる人は少ないと思う。分かりやすい特徴といえば、町は夕日が綺麗な湖畔沿いに位置しているということくらい。
それもあってか、話しを聞きつけた人たちは「なんでここへ来たの?」「なんでそこへ行ったの?」と不思議そうにする。確かにそう聞きたくなる理由は分からなくもない。
でもきっと、それは私が持っている「裏側」を全く知らないからだ。強がりでもなんでもなく、私は確かに今ここで、それなりに納得して生きている。これまでの経験や体験を経てこの地で生きている。
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昔、新卒で入社した会社に勤めていたときのこと。
自分が入社するタイミングと同時期に、数個年上の女性も中途採用で入社してきた。年齢は上だったけれども、同じ仕事を同じペースで覚えていったこともあり、すぐに親しくなった。月日が経過して、業務に関してもいろいろなことを共有できる仲になった。
「最近仕事が辛くて……。調子はどうですか」
ある日、私は彼女にそう漏らした。
てっきりものすごい共感されるかと思っていたけれど、答えは案外そうでもなかった。理由は、彼女が以前勤めていた会社の方が辛かったからだと言っていた。それに比べれば大丈夫そう、といった回答であった。
正直その答えを聞いた直後は、なんで平気なのだろう?と意気消沈したし、感覚が違うんだなとやや寂しかった部分もあった。
しかし今考えると、私は彼女の「裏側」を全く知らなかったのだ。
同じタイミングで入社し同じ業務に携わってきたけれども「裏側」が違うと、なるほど肝の据わり方が大きく変わってくる。
もう彼女とは連絡をとる術がないためどんなふうに生きているか分からないけれど、きっと今も同じ場所でほどほどに納得しながら働いている可能性が高いのでは、と予想している。
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その人の「裏側」にどんな景色が広がっているのか、それは本人が一番よく分かっていることだろう。傍から見たら「なぜ」と思うことも、本人はごくごく普通に納得している可能性だってある。
私がこの町で生きているのは、それなりに裏側の世界を歩いてきた結果に過ぎないのだ。ちっぽけな容姿を見ただけでは分からないことでしょう。
もし初めからこの地で生まれていたらまた違う「裏側」が作られていたわけで、その時はここに居なかったかもしれない。
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。