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大袈裟な感謝の後ろに

慣れない土地へ引っ越して不安なことの一つに人間関係がある。

地域の人たちが意地悪だったらどうしよう、嫌がらせを受けたら誰に相談しよう、と何も起きていないのに心のどこかで雨雲が立ち込めていた。実際はどうだったかというと、全然大丈夫だった。むしろとんでもなく喜んでくれた人もいる。

「若い人たちが来てくれるって嬉しいもんなんだよ」

特に喜んでくれたのはお隣さんのおじさんだった。おじさんは私の両親とちょうど同い年でなんだか親近感がわいた。子供はおらず奥さんと二人で暮らしている。

おじさんから引っ越してしばらくは毎日いろいろな頂き物をした。みかん、柿、無花果、焼き芋、お米、味噌、手作りのホウキ、など挙げればきりがない。

どうしておじさんがここまで親切にしてくれるのかよく分からなかった。庭のお手入れに来てくれた時におじさんが言っていたことが気になった。

「俺にしか分からないんだ、とにかく泣くほど嬉しいんだよ、ありがとう」

私は感謝されることなんてしていないし、むしろいろいろ恐縮するくらい頂き物をしている立場なのになぜこんなに大きな感謝をされるのだろう。不思議だった。

***

私は最初、おじさんの対応は「大袈裟な感謝」じゃないかと思った。でもその後、おじさんの気持ちは大袈裟な表現なんかじゃなく「素直な気持ち」だったのでは思い直した。

理由は、自分も過去に偽りなく「大袈裟な感謝」を他者に表現したことを思い出したからだ。

大学卒業後、大きめの会社に入社した私は割と真面目に仕事をこなして上司からも一目置かれるようになった。でもこんな新入社員を好まない人もいた。特にベテランと呼ばれる層の女性数名から嫌われた。

コソコソと噂話もされたし、あからさまに私に対する態度が悪くて、お昼も一人で食べることが多かった。毎日朝がくるのが嫌だった。だって会社に行かないといけないから。

つまらない嫉妬心でいじめを受けるくらいなら違う会社に転職しよう、そう心に決めて別の会社にいった。そこではこれまでの会社生活が嘘みたいに楽しかった。転職してよかった、心からそう感じた。

特に感謝したのは私を採用してくれた女性の上司に対してだった。ある日彼女に対して、感謝の気持ちを伝えるメールを送った。

特に用件はないのだけど「いま一緒に働かせて頂けることが幸せです、感謝でいっぱいです」といった内容だったと記憶している。

もしかしたら私のメールは彼女にとって「大袈裟な感謝」だったかもしれない。だっていきなり部下からラブレターのようなメールをもらったんだから。何かいいことあったのかしら?って不思議に思われたかもしれない。

彼女に対する感謝の背景には間違いなく辛かった過去があった。辛くて仕方なかった日々があったからその時彼女に心から感謝したいと思ったのだ。この気持ちに偽りはない。

誰かに対する「大袈裟な感謝」の後ろには、自分にしか分からない辛い過去がある。辛い過去があると、辛さから解放された時にその場面に居合わせてくれた人に感謝したくなる。

おじさんの私に対する「大袈裟な感謝」の後ろにも辛い過去があったのかもしれない。そう考えたらなんだか切なくなった。

***

それからしばらくしておじさんはぱったり来なくなった。彼のなかで辛かった過去が昇華されたのかもしれない。理由は分からない。

心が満たされると「ありがとう」って言いたくなる。感謝の気持ちを抱けるのは幸せな証拠だ。そして幸せを感じる背景には辛かった過去が関係している。

嫌だった過去と向き合うことは簡単じゃないけれど、そうすることで今の幸せを存分に感じられるような気もする。そう考えたら、たとえ今辛くても未来の幸せに繋がってるかもなって思う。

おじさんが教えてくれたことを大事にしたい。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。