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鈍感でいることを忘れずに

最近まで通っていた病院の先生が、昔働いていた会社の先輩に似ていて、たまに診察を受けながらその人のことを思い出していた。先輩は私に仕事の心得を教えてくれた、貴重なひとりである。

「鈍感になるってことですかね」

先輩が言ったこの一言は、当時の自分にとっては衝撃だった。仕事をする上で心がけていることは鈍感になることだ、というのだ。その華麗なる仕事さばきからは想像もできない、意外なコメントだった。

それから何年か経つが、私は仕事をするとき、いつも「鈍感になる」感覚を胸に抱くようにしている。

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第二新卒で入社した会社は、外資系出身者らが複数人で立ち上げた投資会社だった。おもにM&Aを経たうえでのコンサルティングを中心とした業務を行っていて、金融畑を歩いてきた少数の社員で構成されていた。

私は秘書だった。

資金調達のため全国津々浦々の金融機関とアポを取ったし、事業承継を望む事業会社の経営陣とのスケジュール調整などを行った。直属の上司はファンドレイズに夢中で全国を飛び回っていたため、地方の空港や駅やホテルに詳しくなった。

社員はみんな本当にいい人ばかりだった。外資系出身者がほとんど、ということも関係していたのかもしれない。さっぱりした性格の人が多く、呼び方も苗字ではなく下の名前で呼び合った。

ただ、一つ問題があった。

最前線で活躍する上層部は外国の大学を出た優秀な人が多く、それに付いていく社員が大変だったことだ。私に「鈍感になること」を教えてくれた先輩も、上層部にいろいろと細かな作業を依頼されて大変そうにしていた。

先輩は、繁忙期には日にちが変わるまでオフィスにいることも多く、体調やメンタルは大丈夫なのだろうか?と心配になることもあった。

ある日、なんとなく今の気持ちを聞き出そうとして、さり気なく声をかけてみた。しかし、不思議なことに、先輩は全然大丈夫そうにしていた。忙しさのあまり上層部に楯ついたり、急に嫌になってしまうのではないかと冷や冷やしていたから、そのギャップに驚いた。

なんでそんなに平気なんだ、と不思議そうにしていた自分にその時先輩が言った。

「鈍感になるってことじゃないですかね」

先輩はにこやかに微笑んでいた。面白がっているようにも見えた。ここで言う鈍感とは、決して仕事を適当に行うことや上層部を冷やかすことではないことは、先輩のしっかりとした忠誠心あふれる仕事ぶりからすぐに分かった。

端的に言えば、自分自身の気持ちの持ち方のことである。

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最近では繊細さんのような、人の性質を表す言葉が広まってきているけれど、当時はまだそんなに知られていなかった。

「鈍感」という言葉を聞いて、どこかピーンときた自分がいた。

秘書の立場であっても立て続けに上司からあれやこれやと注文を受けていると、段々気が滅入ってくることもたまにはあった。一生懸命に調整したスケジュールがリスケになると「今までの苦労はなんだったんだ」と思わず言いたくなった。

そう感じていた時、恐らく自分は繊細に反応していたのだろうなと思う。

いちいち物事に一喜一憂して、ひとつひとつの事柄に感情を持っていかれていたのかもしれない。それでは疲れてしまうわけだ。

「鈍感になること」を先輩に聞いてからは、なんとまあ仕事がラクになったことか。何回上司にリスケと言われても平気になったし、以前なら内心イラッとしていただろう注文も気にしなくなった。

ただ、あまり目の前の業務に一生懸命になりすぎて、心を込め始めると繊細に感じるようになってしまうのだ。そうなったときは丁寧に仕事をすることは忘れず、「鈍感鈍感~」と心を込め過ぎないように気を付けた。

そうするとまた平穏でフラットな空気が舞い戻ってくるのだ。

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手塚治虫の『ブッダ』のなかで好きな考え方が出てくる。

それが「心を閉じる」というものだ。感情が湧き上がりそうになったとき、自分の心をいったん閉じてしまい、感じることを辞めようという考え方で、まさにこれは「鈍感になる」ことではないかと思う。

それからこの会社は退職してしまったけれど、ここで教わったことは今も大切にしている。どんな職場でも丁寧に仕事をすること、そして何より鈍感であることを忘れないようにしている。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。