削られることのない鉛筆
とても大切にしている一本の鉛筆がある。まだ先端すら削られておらず、本来の使われ方を一度もされたことのない新品同様の鉛筆だ。そこにはこう彫られている。
「人に頼るな 自分でなせば叶う」
湯島天神の刻印も入っているから、恐らく神社で入手できるものなのだろう。私は今でも頑張らないといけない瞬間にこの鉛筆をぎゅっと握りしめる。
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この鉛筆をくれたのは、勉強の「べ」の字も知らなかった自分に勉強の仕方をみっちりと教えてくれた予備校の恩師である。
結婚してから夫の仕事の関係で地方移住した私は、これまで勤めていた会社を辞めて自由の身となった。フルタイムで働くことに体が慣れていたし、突然の時間の空白をどう埋めればいいのかと考えていた。
そんな折、失業保険をもらうためにハローワークへ通っていたところ、こんな提案をされた。
「資格をお持ちのようなので、もう少し上級資格をとってみませんか」
提案されたものは、本当に自分にとれるのかな?と感じるやや難易度高めの資格だった。それでも時間に余裕があったし、夫も賛成してくれて、とりあえず受けてみることになったのだった。
これが予備校の恩師と出会うことになったきっかけである。
資格予備校は独特な雰囲気があって、「学生ではないもののやっていることは学生とほぼ一緒」というなんとも贅沢な場所だった。ひとつ違うとしたら、家族を背負って、人生かけて勉強している人が多いということくらい。
恩師はそんなふうに人生かけている人たちを、いつも座席の後ろから見守ってくれていた。
予備校では、朝から晩までテキストと問題集とにらめっこをしているから記憶力の容量がパンクしそうになったり、課題の多さに泣いたこともあった。随時開催される小テストでは点数や順位が張り出され、プライバシーとは無縁の世界だった。
特に小テストで順位が落ちると焦りが出てきて、ショックを隠せなかった。方言でそう聞こえていただけかもしれないけれど、普段なら口が悪い恩師もそういうときは繊細に感じ取って、「大丈夫だよ」と優しく声をかけてくれた。
試験前、最後の授業。
恩師は鉛筆をくれた。そこに彫られたメッセージを見れば、もうその他の言葉はいらないと感じた。当時は分かっていなかったけれど、予備校に通っているあいだずっと、私は人生どんなときよりもエンジンがかかっていた。
合格発表の日、恩師からのラインで、紙兎ロペが「おめでとう」と呟くスタンプが送られてきた。
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迷いやすくて自信を喪失しがちな自分だけれども、勉強をしている時だけは、なぜか自分を信じることができた。ただ試験当日に向けて淡々と走り続けることができた。
勉強が楽しかったこともあるけれど、それ以上に大きかったのは恩師の存在だったのではと思う。がっかりさせたくない、喜ばせたい。
そのとき初めて気が付いた。
自分にエンジンがかかるのは、勉強しているときだ。そして誰かの喜ぶ顔を想像するときだ。まだ削られてすらいない鉛筆は今後もずっと、削られることはないだろう。
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。