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趣味未満という豊かさ

「やること」があるのは、単純に喜ばしいことだ。

ここで言う「やること」とは、暇つぶしよりは大事な作業だけど、趣味や仕事というわけでもない、ちょうどその中間あたりに存在するタスクのことである。

締切が決まっていることはないけれど、生活を良くするためにやっておいた方がいいんだよねえ、程度の「やること」。例えばご年配の方が毎日コツコツと行う薪割りや草取りなんかは、これに当てはまると思う。

やりたければやるし、やりたくなければやらなくても良い。

オンオフが激しい現役世代の人には、そんなの単なる生産性の無い時間だ、無駄だ、とでも言われてしまいそう。仕事でもなく、趣味でもない、パッと見て必要性が感じられない時間だからね。

でも最近思うのは、こういった時間にこそ豊かさが潜んでいるのではないか、ということだ。暇つぶし以上趣味未満の「やること」が傍にある生活は、幸せを感じながら生きる手がかりとなる。

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移住前の自分は、予定のない日が苦手だった。

予定が何も入っていなくて、ただ家にいるしかない時間が嫌いだった。やることなんて作ればいくらでも作れるのだけど(友人と遊ぶ、デートする、読書する、課外活動に参加するとかね)、でもどうしても空白の日ができてしまうことってあると思う。

予定のない日は、心がとても退屈だった。寂しさもあった。今考えれば、趣味未満の「やること」がなかったのだろう。というか、そういう環境に居なかった。

今では予定のない日でも退屈しないし、寂しさは生まれなくなった。理由は、これといった予定が無くても庭にさえ行けば適当に「やること」があるからだと思う。

私たちが暮らしている古民家は庭が広くて、無限大に手入れが可能だ。急いでやる必要もないけれど、将来的にはやった方がいいよね、くらいの軽いタスクが散らばってる。

そんな感じで、最近は予定がなければひたすら夫と「庭いじり」をしている。

竹を処分したり、雑草を抜いたり、焚き火で枝を燃したり、小さな畑を耕したり、池の金魚の様子を見たり、ヤギに食べられそうな木の新芽を守るネットを張ったり。書ききれないけれど、とにかく庭に行けば何かしらやることが勝手に見つかっていく。

とても地味な作業に思えるけど、こういう暇つぶし以上趣味未満のことをやっている時は気持ちが良い。

よく晴れた日などは特に良い。心がすっきりしていく。

仕事じゃないから、余計な金銭面での不安もない。夫との時間も取れる。ゆっくりだけど、着実に作業が前に進んでいる感覚が得られるのも嬉しい。

先月、父が遊びに来てくれた時、ここに居るとやることがてんこ盛りでいいね、と言っていた。続けて庭いじりについていろいろな提案をくれた。もしかしたら父も、実家では感じられない上昇する気持ちを味わっていたのかもしれない。

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庭いじりをしていると、「これはもしや……!?」という植物に突然出くわすことがある。

最近で言えば、山椒と遭遇した。

生えているんじゃないかなーと思っていたけど、遂に見つけた。葉っぱをちぎって香りを嗅いで、確信する。思いがけず炊き込みご飯の飾りができた。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。