茜色に染まりて
夕焼けが綺麗な日が続いている。
湖の彼方へ消えていく太陽は、リレーの選手かと思うくらいスピードが速い。特に運転している時に日の入りが重なると、その速さをありありと感じる。
車のアクセルを踏めば自分が前に進むのは当然だけれども、まるでその力が太陽にも伝わっているかのようだ。地平線の向こう側へと太陽をぐんぐん引っ張っていく。
「この町から見る夕日は本当に綺麗よねえ」
ご近所さん、近隣市町村に住む知人、いろいろな人がここから見える夕焼けに魅了されている。かく言う自分もその一人。特に目立った観光スポットは無い田舎町ながらも、夕景のことを話す時だけは、みんな嬉しそうにする。
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自分が暮らす町を選ぶとき、大好きなところが一つだけあればいいと思っている。
もちろんたくさんの魅力があればあるほど、好きな町ランキングのような番付では上位にいくんだろう。でも、実生活をするうえで(つまり市民の立場としては)、すべての魅力を毎日毎日噛みしめられるわけじゃない。
自分が感じる「いいなあ」が一つでも傍にあることで、その町を好きになれるような気がする。
そういう意味で、この町の人たちは「この町から見える夕日」が本当に好きなのだと思う。最近ようやく耳に馴染んできた訛りで、地域の人が夕景を語る姿がなんだか微笑ましい。
自分はどうだろうか。
夕日はもちろん好きだけど、実はそれと同じくらい好きなものがあって、それは「サツマイモ」だ。この町には甘藷畑が一面に広がっている。地域の直売所へ行けば、あらゆる品種のサツマイモが手に入る。
自宅で焚き火をするとき、ついでに焼き芋も作るのだけど、たくさんの品種の食べ比べも叶ってしまう。サツマイモが好きな自分にとっては天国そのもので、胸のなかで小さく「幸せだなあ……」とにんまりしている。
好きな町や暮らしたい町は人それぞれ違うはずで、それは何故なら「いいなあ」と思えるものが違うのだから。誰かの物差しで測る訳じゃなく、個々人の胸に問いかけて分かるもの。
そういうものが一つでも、二つでも、あれば良いんだよね。むしろ少ない方が、よりじっくり味わえるかもしれない。
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冬になると空気が澄んで、空が透き通って見える。
夏には見えなかったはずの富士山が夕日に照らされて遠くちょこんと見えたとき「冬だな、この季節の夕焼けだな」と思う。
少しずつ春の匂いを感じながら、残り僅かな冬を味わっている。冬はキライと毛嫌いしていたものの、やはり何かの終わりはいつでも寂しいものだね。
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。