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干し柿の陰影

うちにある3本の柿の木に、たくさんの柿が実った。

古民家へ移住してきた当初、それがまだ渋柿なのか甘柿なのか分からなく、食べてみたら甘い柿だったからとても嬉しく思った。植木に詳しいお隣さんによると、わざわざ敷地内に植えてあるということは、甘柿の可能席が大いにあるということだった。

この一年、柿の木のサイクルを毎日観察してきた。

5月には瑞々しく透き通った黄緑色の葉を付け、白とベージュを混ぜ合わせたような花を一斉に咲かせた。花は小さく、それでいてしっかりとした花びらだった。

そして11月。秋晴れの空のもと、オレンジ色に熟れた数々の柿がずっしりと木になっている。

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「あの高いところにある柿を僕がとるから、さきは皮を剥いて干し柿にして?」

夫が仕事のない休日に、大きな梯子を使って柿を収穫してくれた。

もともと今暮らしている古民家は、空き家になって10年近くが経っていた。家屋を心配するのはもちろんだけれども、庭木の手入れも相当長いことされていない様子だった。それもあって、3本の柿の木はとんでもなく背丈が伸びていて、梯子なしには収穫できない。

下から見上げる柿の実は、空に近いところにあるような気さえした。

干し柿を作るのは初めてで、最初だけに作り方は丁寧に調べた。と言っても、とても簡単で楽しい作業だった。ただ、カビが生えないように注意しないといけない。2週間~1か月程、軒下で干して出来上がる。

うちの縁側は特に午前中、太陽の光がよく当たる。そのため縁側越しの畳や障子に、軒下に吊るした干し柿の影が映る。

この光景をひどく気に入ってしまった。

ただの柿の影と言えばそうなんだけれども、いつまでも見ていたくなるような、そんな気持ちになった。

きっとこれまで胸のどこかで「干し柿の吊るされた家で暮らしたい」という願望があったのだと思う。

先人の知恵が詰まった保存食。穏やかな秋という季節。地道に皮を剥く作業。干し柿にまつわる全ての事柄が愛しい。

そして、こんな干し柿に対する想いを最も感じさせたのが「影」だった。

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ひたすらに剥いた柿の皮は、ヤギたちの食事となった。彼らも柿が大好物で、皮や種も気にせずむしゃむしゃ食べる。毎度ゴミが減って良かったと思う。

今の暮らしを始めてちょうど1年。

その間、柿の木と共に過ごしてきた感じがあって、今その柿が最も盛りの時期を迎えて、まるで我が子の卒業式に出席する親の気分みたいだ。

嬉しいような、寂しいような。また来年、素敵な実を付けて欲しいと願って。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。