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あたらしいことに触れる時間

家に帰ってきてほっとした。胸のなかにまだザワザワした感じが残っているけれど、無事に終わってよかった。

今日はご縁あって、自分にとっては「あたらしいこと」を行った日だった。

最初話をもらったとき正直どうしようか悩んだ。金額のこととかじゃなくて、理由はこれまで挑戦したことがない「あたらしいこと」だったからだ。

いつもだったら「遠慮しときます」で終わっていたように思うけれど今回は、理由は分からないけれど「やってみよう」という気持ちだった。

やろうと決めても「あたらしいこと」はいつだって緊張する。

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あたらしいことに関わる時、大体緊張している。お腹のあたりが、誰かに胃袋をつかまれてねじったような感覚になる。

あたらしいことを考えると頭のなかは不安でいっぱいになって、余計なことを考えて怯えたりもする。

でも実際あたらしいことに取り組むと、意外とあっさり終了していることが多い。

例えば去年私がやったことのなかで言うと、カヌー大会がある。

趣味で4年間やっているカヌーだがそれなりに上達してきたようで、教わっている人から大会に出てみないかとお誘いがあった。あたらしいことだった。

「行きます!がんばります」

そうは言ったものの、当日になってすごく緊張した。何回もトイレに行ってお腹を下すし、胸はどきどきしっ放し。おまけに天気は曇雨。もうだめかも……。

そんな感情にふたをして、カヌーに乗り込みスタートの合図を待った。

実際舟をこぎ始めるといつもカヌーをやっている自分に戻っていて、緊張のことは忘れた。スタート前に感じていた不安な気持ちはどこにいったのか分からない。

結局私にとってあたらしいことの一つだったカヌー大会は「経験できてよかったこと」として脳内に記録されている。

あたらしいことをやるんだ!と考えると不安に駆られて仕方がないけれど、やってしまえば不思議とそういう気持ちは鎮火されていく。

どんなことにも初めての瞬間は必ずあって、舞い降りてきたチャンスを生かして経験するのはいいことなのかもしれない。成功したか、失敗したか、なんて関係なくて。経験したこと事体が人生になる。失敗は怖くない。

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自分にとってあたらしいことは、良くも悪くも家族にも影響があるみたいで。

特にいつも話を聞いてくれる夫は、私があたらしいことに関わりそわそわし出すとその心情を察知するようで、なるべく平穏でいて欲しいと思うらしい。

それでも時々あたらしいことをやりたくなる。不思議だね。出来上がったモノやコトが不格好でもなんでもいい。

夫に迷惑をかけない程度に「あたらしいこと」とこれからも付き合ってみたい。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。