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愛すべき意味不明な存在

うちでは二頭のヤギを飼っている。私はヤギのことがとても好きだ。見た目が可愛いとか、触り心地が気持ちいいとか、ベタベタ懐いてくるのが愛しいとか、好きな理由はいくらでもある。しかし、一番大きな理由は別にある。

それが「意味不明」であることだ。

私がヤギを好きなのは、意味不明だからなのである。意味不明というのは、予測不能と言い換えることができるかもしれない。例えばこちらが予測していない行動を取ったり、急に変な表情をして笑わせてきたり。

ヤギは言葉を発せられない分、じっくり観察して彼らのことを知る必要がある。すると、観察すればするほど「!?」という瞬間が訪れる。そうくるか、といったアンビリバボー体験も夢じゃない。

そんな意味不明な彼らが幸せそうにしているところを見ると、私たち人間とはやっぱり生きている世界や次元が異なる気がしてならない。ヤギの周囲だけまるで違う世界の空気に包まれているようだ。ペットを飼っている人なら、なんとなくこの感覚が伝わるだろうか。

そしてこの感覚を味わうことこそ、ペットを飼育することの醍醐味だと考えている。あるいはペット以外でもいいのだ。とにかく人間かつ自分という、狭く閉じこもった世界に「意味不明だ!」と衝撃を与える存在があるかどうか。

この存在に触れる機会が多ければ多いほど、優しい人になれると考えている。

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先日、川上未映子さんの代表作『ヘヴン』を読んだ。

内容までは詳細に触れないけれど、かなりの衝撃が走る物語でページをめくる手が止まらなかった。簡単に言うと「いじめ」に焦点を当てたものだったのだ。「いじめ」というテーマがテーマだけに、苦々しい場面や痛々しい場面が多くあった。それでも読み進めずにはいられなかった。

さて、いじめに関して個人的に思っていることがある。

いじめをする側の人というのは、基本的に「怖がり」であることが多いのではないか。怖いというのは、決してお化けのような心霊的な意味ではなくて、「自分が知らないものに触れることが怖い」という意味の怖がりである。視野が狭い、と言い換えることもできるだろう。

先述した小説『ヘヴン』のなかでいじめられていた子には、見た目の障害があった。恐らくいじめをしていた側というのは、今まで生きてきた短い人生のなかで見たことがないものに出会い「怖い」と感じたのだろうと思う。

そうして恐怖を覚えた結果、いじめという歪んだかたちで内面が表現されたのではないだろうか。

まあ解釈はいろいろだろうけれど、個人的にはいじめというのはこんな感じで「今まで見たことがない、触れたことがない、新しいものを許容できないときに起こる現象」だと捉えている。

そういう意味で、日頃から意味不明で予測不能な存在と触れ合っていることは非常に重要だと思うのだ。

自分とは確実に違う世界で生きている存在があるぞ、と知っておくことは、その後の人生において「よく分からないもの」と出会ったときの衝撃を和らげてくれる。その存在が多ければ多いほど、新しいものに対して寛容になれる気がするのだ。

私にとってそれはペットであり、広く言えば動物や虫。意味不明でおもしろーい!という存在は私を少しだけ優しい人間にしてくれている。

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ヤギたちに飽き足らず、今年はニワトリを飼育し始めようと模索している。

家にさらに意味不明な(もちろんいい意味で)存在が増えることにわくわくしつつ、どんな「!?」を生み出してくれるのかが楽しみである。その結果、人間としての器もまた勝手に広がっていることを願って。

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