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優しい顔にするもの

最近いろいろな人から野菜や果物をもらう。あたたかくなって美味しいものがたくさん実る季節になったからだろう。

庭で採れたよ、畑で収穫したよ、直売所で買ったよ、など理由は様々。誰かが新鮮な農作物を持って玄関先に現れた時は気持ちがふわっとする。

特に印象的だったものが2つある。

1つがそら豆。

そら豆は今が旬で直売所やスーパーでも見かけない日はない。ただ、どうしても金額が高くて手軽に買えない。大きなさやに収まった大粒のそら豆は、茹でたてが格別美味しくて好みだ。そんなそら豆を大量に頂いた。

もう1つが苺。

田舎でも苺は高額な果物でなかなか買おうという気持ちにならない。そんな苺を文字通り山積みの状態で頂いた。完熟で表面がちょっとこすれたくらいの甘い苺だった。

そんなわけで頂いた分と自分で買った分の農作物が冷蔵庫にたくさん眠っている。

「胸がほくほくするこの光景、いい感じ」

ピピーピピーと賢い冷蔵庫に催促されて扉を閉める。

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野菜と果物が好きで食生活のメインに据えているから、新鮮な農作物に囲まれると嬉しい。食卓がカラフルだと箸の進みもいい。気持ちもいい。

かつて都会で一人暮らしをしていた頃の食生活とは全然違うことに気が付く。

「あの頃はキノコ丼ばっかり作っていたなあ」

当時生活していた場所には野菜の直売所なんてあるわけもなく、スーパーに行っても納得する野菜は買えなかった。結果キノコばかりを買うようになって、気が付けばキノコ丼が自炊の定番メニューになった。

キノコは全国どこでも品質が割と安定している食材だと思う。健康にもいいし、味も深いし、便利。

けれども、ある時キノコ丼が喉を通らなくなったことがある。

その時はその日食べたエノキがたまたま硬かっただけかもしれないと思っていた。でも、そうじゃなかったと今ならわかる。自分が惨めに思えてしまったのだ。

毎日一生懸命仕事して、走って、一日の終わりに茶色っぽいキノコ丼を黙って食べる。そんな自分の姿が惨めだった。満たされなかった。

食べ物によって心が左右されることはよくある。悲しいときは暴飲暴食して自分を傷付けた。キノコ丼を食べても、もう自分を労わってあげることは出来なくなった。

「野菜がいろいろあって豊かだねえ」

湖畔暮らしを始めてから夫に口癖のように言うようになった。たくさんの野菜や果物を見ると安心感が生まれる。自然と優しい顔になる。カラフルな食卓が私の心を支えている。

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「メロンと苺食べますか?」

たまたま自宅の工事をお願いしている職人さんが来ていたから、おやつにあげた。嬉しそうだった。

職人さんは汗をかきながら一生懸命作業してくれたから、御礼ができてよかった。どんな人も優しい顔に変えちゃう農作物は平和の象徴だ。


そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。