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想像は自分の鏡

先日、いつものように地元のスーパーで買い物をしようとお出かけした。田舎ながら人気のある店舗で、駐車場は大体満車に近い状態だ。

「今日はどこに停めようかなあ」

車に乗りながら空いている場所を探す。そして停車した。

すると、お店から出てきたおじいさんが、私のことや私の車をじろじろと舐め回すように見ている。車体を見ては歩き、また止まり、車体を見る。そんな繰り返しだった。

こういうふうにされたら、私の立場(見られている側)の人は何を考えるだろうか。

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結論から言うと、見られている側の私はこんなことを思った。

「車の停め方になにか問題があったかな?それとも他に間違ったことをしている……?」

何か注意されるのかな?怒られるのかな?と思いながら車を降りて、おじいさんに聞いてみた。なんですかって。相当不愛想だった。そうしたら、自分が考えていたこととは全く違う答えが返ってきた。

「いやあ、珍しい車だと思ってよお」

……おじいさん!そういうことね、と結局二人で軽く笑ってその出来事は終わった。

この出来事を経験して、自分ってなんてネガティブなんだろうと感じた。他人にじろじろ見られている、それだけの事実で「きっと怒られるに違いない、きっと注意されるに違いない」そんなふうに想像してしまった自分の根暗さに驚いた。

もしもこれがポジティブな人だったら。有名人と間違えているのかしら?とか、綺麗だと思っているのかしら?とか思ったのだろうか。そこまでナルシストではなくても、少なくともポジティブな人なら「注意されるかも」とは感じないだろう。

単純に車が珍しいと思っていただけのおじいさんに、変な勘繰りを入れてしまって、なんだか申し訳ない気持ちになった。

小さな事実(今回で言えば自分と車をおじいさんにじろじろ見られたこと)から、その先を想像するのは自由だけれど、その想像は自分自身を写す鏡のようだ。内面をよく表している。

***

他人から突然じろじろ見られて、警戒心が爆発する理由を考えてみた。

もしかしたらこれは都市部で暮らしていた時の名残なのでは?という答えが出た。都市部で一人暮らしをしていた頃、知らないおじさんが後ろから付いてきて、何やらワケの分からない言葉を発しながら近寄ってきて、妙に怖い経験を何度かしたことがある。

都市部で暮らしていると時々こういうことがあった。

だから私は見ず知らずの他人に対して、警戒心が強いのかもしれない。そんな過去が今の私の想像力を形成しているようだった。

でも、これからずっと田舎に暮らしていたらいずれはその警戒心もゆらぐだろう、と予感している。ここで怖い人に出会ったことはまだない。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。